決戦
第52話 寒波、来る
季節はもう冬が終わろうとしている。
レヌ川の戦いが夏の前、雨期の前の時節だから既に七カ月はゾス帝国と戦っている事になる。
冬の最中であってもゾスは攻勢を緩めず、新年を迎えても祝うような余裕もなく戦中の緊張感に包まれていた。
レヌ川での攻防、アルスター平原の戦い、そしてカナトス、ルダイ防衛戦とロガを含むガト大陸南部の戦いだけでも半年足らずでゾス帝国は相当な兵力を動員している。
そして、南部に限って言えば戦果は芳しくない。
負けが嵩めば人心は離れやすくなる。
北東部でのガザルドレス、パーレイジとの戦いでは優位に事を進めていたが、ここで予想外の出来事が起きた。
ガト大陸に季節を大分外れて寒波が来た。
※
寒波と言う奴が数日も居座ると言うのは困りものだが、過ぎ去ってくれるとほっとする。
それに兵を指揮している状況で無かった事が幸いした。
ロガ軍の多くはロガ領で寒波をやり過ごすことが出来たからだ。
暖かな部屋の中で外は寒いと愚痴っていられるのと、野営の最中での寒波では意味合いが違う。
後者では死の危険と隣り合わせだ。
そして、そんな状況に陥ったのがゾス帝国軍の将兵たちだ。
天は我に味方したと思わぬでもなかったが、それは自分を買いかぶりすぎだ。
天候に意志はなく、あったとしても私の都合など関係は無い。
関係があるのならば、砂鰐が寒さで凍え死ぬ一歩手前まで行く事などなかったはずだ。
何とか猛獣使いのセルイと共に奔走してどうにか一命をとりとめることが出来た時は泣くかと思った。
三十も半ばを過ぎると涙腺が緩くなるのか……。
涙腺が緩いと言えばリチャードが私が妻を娶った事をことのほか喜んでくれた。
妻が三人になりそうだと聞いてもその様子に変わりなく、涙目で喜ばれると私も泣きそうになってしまった。
そのリチャードも寒波は相当堪えたようでほとんど自身の家から出なかった。
アーリーら砂大陸出身の者達も寒さには弱いかと思っていたが、砂漠自体が夜は非常に寒くなると言う事で思ったほどではなかった。
そのアーリー絡みで少し気が楽になる出来事があった。
バルアド総督府から連絡を密に取るために魔術師が送られてきた。
子連れの魔術師の名はアニス、かつては私の部下だった彼女だ。
「将軍……じゃない、ロガ王。まさか三人も夫人を娶る事になるとはねぇ。ローデンで初めて会った時は、そうなるなんて誰も予想できなかったろうね」
「私だって予想できなかったからな」
「そりゃそうだろうね、ロガ王は女心とか疎いからね」
そう言ってけらけらと笑うアニスは大きくなった息子と共にロガ領に住まう事になった。
ちなみにバルアド総督府に詰める魔術師はマグノリア、アニスが良く伝達していた女魔術師だ。
二人とも私の周りがきな臭くなった時に異動させていた。
アニスは体調不良の為に少し遅れたが、それでも無事にバルアド総督府に赴けた。
彼女の夫であるギェレが、ロギャーニ親衛隊の勇士の一人にして今なお眠り続けるレトゥルス殿下の護衛の任に一人ついていると言うギェレがそう働きかけてくれたおかげで彼女は無事にバルアド総督府に赴けたのだ。
「……なんだ、旦那は来ねぇのか?」
「殿下は未だに健在だよ、来る訳ないじゃないか」
ブルームの軽口にアニスが答えている数年前の日常が戻ってきたようにも思えた。
だが、真の寒波は、私の心に押し寄せた寒波をもたらしたのは、そのアニスの夫ギェレであった。
※
「何と申した?」
私は壮年となった懐かしい顔にそう声を掛けた。
「レトゥルス殿下がご逝去されました」
恐るべき剣の使い手、ロギャーニ親衛隊の勇士は片膝をついたままそう告げる。
私は眩暈にも似た衝撃を感じて、ひじ掛けにもたれ掛かる。
「陛下!」
「陛下っ!」
幾人かの声が響くが私は軽く頭を左右に振るのみで答えを返すことが出来なかった。
レトゥルス殿下が、死んだ。
その報告が私にこれほどの衝撃を与えるとは私自身思っていなかった。
もう助からないだろうと漠然と考えていたからだ。
だが、それでも私はひそかに考えていたようだ。
いつの日かお目覚になって、ロスカーンを叱り飛ばすのではないかと。
そうなれば今すぐにでも戦を止める事も出来たし、正しい道に戻れるのではないかと夢想していたのだと。
だが、その微かな望みは完全に断たれた。
私が帝国に寄せていた最後のより所が、消えてなくなった。
「いつ、亡くなったのだ?」
「ひと月ほど前に、懸命に毒に抗い戦い続けてまいりましたが、遂には。意識が戻った折には帝国の現状を嘆き何度か改善策を口頭で伝えておりましたが、結局それは何一つ叶わず握りつぶされました」
何度か意識が戻ってた時期があるのか? それでも、駄目だったのか。
「ロガ王が兵を率いて以降も一度だけ目覚められ、反乱それもやむ無しと笑っておりました。そして最後の最後に私にロガに向かえと」
「ロガに行けと仰ったのか?」
「そして伝えて欲しい、ロガ将軍に後は任せると」
……殿下。
徐々に視界が歪み曇り始める。
目頭に熱い物が込み上げて来た。
共にローデンで苦楽を共にされた方がお亡くなりになられた。
頬を伝う涙を拭う間もなく、私はあることに気付き不意にどうしようもない怒りを覚える。
「何故、帝国は殿下の死を公表し国葬になさらぬのか!」
「殿下は……レトゥルス殿下は既に死んだものとみなされておりました故」
「ふざけるなっ!!」
私は怒りをそのままひじ掛けに叩きつけた。
駄々をこねる子供のように二度、三度とこみ上げてくる怒りをそのままぶつけていたら、柔らかな感触を肩から胸にかけて感じた。
コーディが私を背後から抱きしめてくれていた。
「陛下……ううん、ベルちゃん。自分を責めちゃだめだよ」
そう囁きかけてくれたおかげで、少しだけ落ち着くことが出来た。
「――取り乱してすまなかったな。遠路はるばる報告ご苦労であった、ギェレ。まずは妻子の元に向かってやれ。アニスもこちらに来ている」
「ロガ王、貴方はいつまでも変わりなくある事に安堵いたしました。ご温情、ありがたく受け取らせていただきます」
ギェレはそう告げて、深く頭を下げてから退室した。
「コーディも、すまなかった」
「いいんだよ、きにしないで」
感情のままに怒りをあらわにして暴れるなど何時ぶりだろうか。
気恥ずかしくなりながらも、涙を拭い鼻をすする。
みっともない所を見せてしまった。
まったく、王になったって言うのに涙腺が緩くなては困りものだな。
「本当に。皇帝が違っていれば今の状況は無かったんだろうね」
フィスルがそう告げながら、かみ合わせが上手く行かないと戦になると嘯いていた。
ああ、レトゥルス殿下が皇帝になっておられれば今頃は戦もなかったのではないだろうか。
そう思うと、本当に惜しい方を亡くされたとしみじみと感じる。
「なれば、ベルシス。ロガで国葬を執り行いましょう」
それまで黙っていた伯母上が口を開いた。
「今までは帝国に弓引く事にどこか後ろめたさを感じてもいましたが……ロスカーンに義はありません。レトゥルス殿下の扱いや殿下が彼の勇士に告げたお言葉を鑑みれば、義は我らに……いえ、貴方にあるのですから」
「そうだ、ベルシス。今より帝国の戦いは殿下の遺志を継ぐ戦いでもある、それを内外に示すのだ」
叔父上も言葉を重ねる。
そうだな……もはや、躊躇すべき事柄は何もない。
殿下の遺志を継ぎ、ロスカーンを廃してギザイアを討つ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます