第13話 不穏

 帝都では春の盛りを過ぎた頃だろうに、ローデンの空はどんよりと雲が立ち込めており、何だか重苦しい。


 今にも雪が降ってきそうな雲行きだが、流石に其処まで冷えこみはしなかった。


 ただ、リチャードにはまだ辛い気温だったから、連れて来なくて良かったと安堵していた。


 道中の一部気まずさは置いておくが、何事も無くローデンに至った私達は、ローデン領主のガレント・ローデンの館に部屋を借り生活している。


 ガレント・ローデンは、年の頃は五十を過ぎた、温厚そうな頭髪の薄い男だった。


 彼は私達の突然の訪問に驚きはしたが、嫌悪も動揺も無く迎え入れたように見えた。


 空は重苦しかったが、ローデン家の生活は其処まででもなく、私はこっそり安堵した。


 殿下が色々とガレントと話し合う最中、私は警備隊の状況視察などに追われていた。


 警備隊の面々は、末席とは言え八大将軍の一人である私や、何より第二皇子レトゥルス殿下の来訪に大いに驚き、喜ぶべきなのかと何とも言えない空気を醸していた。


 さて、こっちはどう見るべきなんだ?


 状況を見られて困るのか、嬉しいのか判別が付きにくいな。


 ともあれ、警備隊長のグレッグと言う男に現状何が問題なのか問うてみたが、どうも妙だ。


「ボレダン族の侵入が相次いでいるとか」

「侵入と言うほどの物ではありません、閣下。一騎か二騎、物見遊山で国境を越えてくるのです」


 はっ?


 何処の世界に物見遊山でゾス帝国の国境を侵そうとする馬鹿がいるのだ?


「様子を見ながら国境を侵そうとしているのではないのか?」

「そうではないかと、思われます」

「じゃあ、なんでそんな危険な真似を?」

「分かりかねます」

「警備隊はどの様に対処を?」

「警告し、矢を射かけて追い払っております」


 ……うーん。


 どんな状況で、どんな意図でそいつを行っているのか確認するまでは、何とも言えんな。


「普段の国境警備任務はどの様に? 東方では警戒部隊以外は訓練を行ったり、インフラの補修に従事しているようだが」

「他と同じであります、閣下」

「では、訓練状況など後日見せて貰っても?」

「……無論であります」


 ……なんだよ、その間は。


 私は、あとで訓練の日程を教えてくれと告げて警備隊長の傍を離れる。


 そして、警備隊長から死角になるような場所に赴いてそっと彼を窺うと、なんだか渋面を作った警備隊長が見えた。


 あれが、若造に指図されているからなのか、もっと別の意図があるのか洗い出す必要はあるが、いかんせん手が足りないな。


 等と思いながらローデン家の客間に戻り、周囲の地形を頭に叩き込むべく地図を書き写す。


 いついかなる時でも周囲の地形を頭に叩き込んでおかないと兵の指揮もおぼつかないと父に言われていた事を思い出したからだ。


 地形の把握は確かに有益だろうと思い、ガレント殿から地図を貸してもらった。


 幸いローデン家の地図は緻密で正確だったので、簡単に書き写すだけで幾つかの進軍ルートや兵の配置は思い描けた。


 暫く地図と睨めっこをしていると、扉を叩く音がする。


「どうぞ」

「失礼、お客様」


 人を食ったような言葉を吐き出して部屋に入ってきたのは銀色の髪を肩口で切りそろえたローデン家に仕えるメイドだった。


「将軍閣下が根詰めているからと、旦那様からの差し入れだよ」

「ローデン卿から? いや、申し訳ないなぁ」


 銀色の盆の上に置かれた木製のコップから微かに湯気が立ち上っている。


 そいつを私の邪魔にならない位置に置きながら、不意にメイドは口を開いた。


「差し入れって言えばさぁ、警備隊長って金あんだねぇ」

「そうなのかい?」

「将軍が見に行く訓練に参加する全員に銅貨五枚ずつ渡したそうだぜ」

「へぇ、そいつは豪気だ」


 この地を警備する警備隊の総数が千二百。


 基本的には三分の一が警備、三分の一が非番、残り三分の一がインフラ補修や訓練に勤しむ訳だが……って、ちょっと待て。


 銀貨二百枚分も一気に払っているのも、勿論おかしいが……。


「ええっと、その……」

「アニスだよ、言ってなかったっけ?」

「聞いてたかなぁ? いや、そうじゃなくて……アニスさん、何処から?」

「町の酒場で。あ、アタシは飲んでないよ? 旦那様の貰いもんのワインとか払い下げしに行ったりするんで」

「いや、そこは、それほど気にしてないんだけど……。それはつまり……兵士がくだ巻いてるってこと?」

「お偉いさんが働き詰めなのにねぇ」

「逆よりはマシだけど……情報が筒抜けじゃあなぁ……」


 ローデンの国境警備隊の軍規はどうなっているんだ?


 ゾス帝国軍の規律は厳しい事で有名だと言うのに、これでは話にならないじゃないか。


 情報の漏洩なんて最大刑罰が言い渡される可能性があると言うのに。


 それに、国境警備隊長の給金は幾らだ? 日給銀貨二枚だとしても年俸は銀貨八百枚はいかない筈だ。


 仮に八百枚だとしてもそのうち二百枚を訓練を行う兵士たちに払う?


 きな臭いどころの話じゃないな。


 碌に規律も守れていない兵士たちに、散財する警備隊長か。


 考え込む私を退出していなかったアニスは眺めていたようだが、不意に耳元に口を寄せて囁くように言った。


「それと、将軍閣下の副官様にも注意しておきな。警備隊長とこそこそ話をしていたぜ」


 声の主へと視線を向けると、すぐ近くで緑色の瞳を細めてにんまりと笑い、すっと離れていった。


「冷めないうちに飲んでおきなよ」

「――ローデンの住人達に被害は出ていないか?」

「……旦那様の、つまり領主の権限の一つに領兵の招集があるからな。しかし、質問がそことはねぇ……。将軍閣下はいい将軍になるよ」


 そう告げて謎めいたメイドのアニスは部屋を出ていく。


 その背を見送って、そっと息を吐き出す。


 考えるべきことは山のようにある。


 警備隊長は訓練時に何を目論んでいるのか、兵士たちはいつから規律を守っていないのか。


 ガレント殿がアニスを通じて寄越した差し入れとは、この情報であろう。


 何故表立たずにこっそりと私に教えたのか。


 その意図を正確に読み切らねばならない。


 規律を守れない軍隊に対する恐怖か? それもあるだろうがそれだけじゃない。


 そんな気がする。


 それにしても、副官のファリスが何故に警備隊長とこそこそ話をする必要があったのか。


 問い質した所で答えないだろう。


 いやな予感を覚えながらも、私は大した予防策を講じることが出来なかった。


 その考えから逃げるように、寝る間も惜しんで周囲の地形を頭に叩き込んだおかげで周囲の立地が良く分かったが、結局収穫はそれだけだった。


 そして、訓練が二日後に決まったと通達が来たのは、それからすぐであった。


 だが、後に私は知る事になる。学んでおいて損はないと言う事を。


 周囲の立地を知る事が、今回は生き残る事につながったのだから。

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