第16話 深紅の巫女

 ローデンの街へと続いているはずの深い森を一人歩む。


 私は生きてローデンに戻らねばならない、生きて戻りガレント殿に領兵の招集を願わねば……。


 追撃を食い止めているボレダン族の連中の為に!


※  ※


 ゼスやボレダン騎兵と共に森へ逃げ込む筈だったが、カナギシュの追撃はすさまじく、それだけ私を逃す訳にはいかないのだとひしひしと感じた。


 それはボレダン族の男達にも感じ取れたようで、追撃を受ける最中、数十騎を率いる男がゼスとゼスにしがみつく私に向かって言った。


「カナギシュのファマルめはゾスの将軍殿が生きていると都合が悪いらしい! なれば俺たちの戦いの指針は一つ! 将軍殿に生きてローデンに戻ってもらう事だ!」

「何をするつもりだ!」

「時を稼ぐ! ゼスよ、不甲斐ない俺たちだが、最後にボレダンの矜持を思い出せたぞ! さらばだ!」


 そう告げて数十の騎馬が旋回を始め、雄たけびを上げてカナギシュの追撃部隊に突撃を掛けた。


 その光景に私は思わず叫ぶ。


「無茶だ!」

「……確かにそうだ。だが、あんたには生きてローデンに戻ってもらわねばならない。カナギシュはそれで報復に怯えて暮らすことになるし……俺たちの最後を」

「ふざけるな! 最後まで生き抜くために戦え! ボレダンの矜持は包囲突破で示したんだ! あとは生き残ってボレダンの力でカナギシュに!」

「……」


 ゼスは私の言葉を受けて次に沈黙を返した。


 そして暫し間が空いてから、小さく息を吐き出して告げたのだ。


「家族は囚われたか、殺された。戦えた少数の者だけがここにいる。仇を討てずとも一矢報いなくては矜持を示した事にはならない」


 それだけ告げるとあとは黙って馬を走らせる。


 私は返す言葉を持たなかった。


 年若く未熟な私では、死を覚悟して一矢報いようとする彼らを止める術を持たなかった。


 結局、陽が落ちかける頃にはゼスは私を森まで送り届け、辿り着けば降りるように告げた。


 私は暫し迷ったが、馬を降りると護衛のように付き従っていたボレダンの男たちが私に向かって馬上ではあったが右手を左手で包み、敬意を表して去っていく。


 その中に見た顔がいると思ったら、天幕で会話していた一人で、右手で左手を包んだまま私の方へと馬を寄せ。


「貴方は若くとも、まさしくゾスの将軍であった。窮地にあっては誰よりも勇敢で我らの矜持を取り戻してくれた。感謝いたしますぞ」


 それだけ言うと、はにかんだように笑って馬首を翻して去っていく。


 夕日に照らされた真っ赤な平野にボレダンの男たちが向かっていく。


 最後にゼスも、私に向かって右手を左手で包む馬上礼を行い。


「もし生きてまた会えたならば――あんたの下で働くのも悪くない、そう思える指揮だったぞ、ベルシス」

「その言葉忘れるなよ、必ず救援に向かう。無理な戦を仕掛けず、足掻くんだぞ!」


 私の言葉に笑いながらゼスもまた馬首を翻して赤い平野に去っていく。


 私は、その背を見送るなどと言う悠長なことはせずに、急ぎローデンの街へと向かった次第……。


 だが、そこで私はこの世ならざるものと出会った。


※  ※


 日は沈みかけ、森の中は既に暗かった。


 いかに地図を眺める日々を過ごしたとはいえ、森の内部までは分からない。


 ともかくこっちの方だろうと歩き続けていた私は、迷ってしまっていた。


「い、急がなきゃならんのに……」


 気ばかり焦るのにローデンに近づいていると言う実感がない。


 まるで物語に出てくる竜でも住んでいそうな森の中を、躓きながらも、懸命に歩く。


 心細いわ、焦るわ、転びかけるわ、碌な物じゃない。


 と、もはや少し先も見通せなくなった頃合いに、少し遠くで赤い何かが蠢いた。


(……なんだ? まさかこの辺には獣だけじゃなくて怪物もいるのか?)


 思わず恐怖に立ち止まってしまった私だったが、それが赤い衣を纏った少女だと気付いた。


 そして、闇の中で何故気づけたのかにも理解が及んだ。


 少女は片手に明かりをもっていたから、その姿が視認できたのだ。


「き、君!」


 私は助かったと思い声をかけたが……そこから言葉が出なくなった。


 夜の迫る森の中を一人歩む少女は何者だ?


 あれは、本当に人間なのか?


 心臓が先ほどの戦闘と同じくらいバクバクと鳴り響いているのが分かる。


 僅かの間の後、少女は明かりをこちらに掲げて、あっと小さな声を上げた。


 そして、トテトテと森の中とは思えぬ軽快さでやって来ると、たじろぐ私に構わずに深い紅の衣の懐から布地を取り出して私の顔を拭おうとした。


「転ばれましたか?」

「え? いや……馬から落ちた、のかな」

「それでこの程度の軽傷で済まれたのは、三柱神の加護があったのですね」


 そんな会話をやり取りしながらも少女は私の顔を拭うが、血は固まっているので落ちない。


 少女も諦めたのか、可愛らしい顔に不満を浮かべながら布地を私の顔から遠ざけ。


「それに、夜迫る森に一人でいて……。危ないですよ」

「それはそうだが……私にはやる事がある。街まで案内してもらえまいか?」

「――分かりました。お手を取らせていただいても?」


 正直その方が助かるので、うんと頷くと少女が私の手を握る。


 ひんやりと冷たい手だった。


「貴方が――隻眼のウォーロード」

「はい?」

「――いいえ、なんでもありません」


 謎めいた言葉を告げる少女に引っ張られながら私は森を歩く。


 私より三つか四つは年下だと思われる少女に、ボレダン族を助けねばならないと起きた事を懸命に伝えるが、聞いているのかいないのか。


 時々相槌を打ってはくれるが、なんだか心ここにあらずと言った感じだった。


 大丈夫なんだろうか?


「聞いておりますし、大丈夫ですよ」

「……へっ?」


 お、思わず考えを口に出していただろうか?


 間抜けた声を上げた私を見やって、紫色の神秘的な瞳で私を見上げて少女は笑った。


 引っ張られるままに森を進んだ先に、明らかに人工物である苔むした石造りの建物にたどり着いた。


 屋根と四方に柱があるだけの、簡易な神殿のように思えた。


「ここから地下道を通ればローデン市街の建物に出ます」

「この木戸の下が地下道なのか……」

「案内しますね」


 そう告げて、少女は建物の床に添えつけられていた木戸をあけて、一足先にはしごを下って行った。


 私も彼女に続いて木戸からを降りていく。


 そこは、幾つかの神話をモチーフにした像が並ぶ神殿じみた地下道だった。


 少女はまた私の手を握って、歩き出しながら、明かりである像を照らす。


 異形と化した造物主に剣を突き立てる「輝ける大君主シャイニング グレート モナーク」を象った像だった。


「ローデンの信仰は「連環の黒太子ブラックプリンス オブ ザ ウロボロス」信仰ではなかったのか?」

「三柱神の教えは調和。確かに「連環の黒太子ブラックプリンス オブ ザ ウロボロス」を信仰してますが、それでほかの二柱を蔑ろにする筈もないですよ」


 そうは言うのだが……ここにある像は「連環の黒太子ブラックプリンス オブ ザ ウロボロス」や「戦装束の淑女レディ イン バトルドレス」の像よりも「輝ける大君主シャイニング グレート モナーク」の像が多かった。


 首を傾ぐと、手を引く少女は笑い告げた。


「不浄を焼き払うお方ですから、「輝ける大君主シャイニング グレート モナーク」は」

「太陽神であるからねぇ」

「その化身の一つに、軍神としてのお姿があるのはご存じ?」

「いや? それは初耳だな……」


 少女は歩みを止めて、私を紫色の瞳で見つめて言った。


「隻眼のウォーロード、その名をベルシス・ロガ」

「はっ?」


 私は確かに少女に手を引っ張ってもらっていた筈なのに、不意にその手の感触が無くなる。


「お待ち申し上げております、貴方様が不浄を焼き払うその日を。呪われた運命を焼き払っていただけるその日を」


 言っている事もそうだが、いったい何が起きた?


 分からないが、それでも私は足を前に進ませていた。


「遠い、遠い未来で……」


 体が勝手に動くかのような感覚で前へと進み、両開きの扉に両手を添えて押し開ける。


 すると、見慣れた街並みが私の視界に飛び込んできた。


 もう、少女の声は聞こえないし、体は自在に動いた。


 今のは何だったんだ? 彼女は何者だったんだ?


 何も分からないままに暫し呆然としている私の耳に喧騒が飛び込む。


 領主の館の方で大勢の人間が騒いでいる様子に、私は慌てて走り出す。


 まさか、反乱か! と。

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