第15話 ベルシス、ボレダン騎兵を指揮す
「カナギシュだ! 連中攻めて来っ!」
天幕の外で声を張り上げた者の絶叫にも似た警句は途中で途切れた。
カナギシュ騎兵、確か馬上で短弓を操る恐るべき騎兵。
「馬鹿な……」
「あ、あいつら何で、何で今更!」
ボレダン族の族長は呆然と呟き、周囲の男達は狼狽えていた。
多分、数年に渡るカナギシュの低姿勢とぜいたく品の献上は、ボレダン族の精悍さばかりか、いざと言う時の決断力もを削いでいた様だ。
おいおい、お前らが奮起しないと私も死ぬんだぞ。
「ボレダン族に勇士は居ないのか! 何を狼狽えている、とっとと武器を持て! 馬に乗れ! 美酒と女で部族の矜持も忘れたのか! それでも帝国が西方で恐れるただ二つの部族の片割れか!」
私は何とか起ちあがって、後ろ手に縛られながらも吼えた。
このまま混乱の内に死ぬなんてまっぴらだ。
丁度天幕に入ってきた、私と同じか少し上くらいの青年が剣を抜き放ち、私に駆け寄り、腕の縄を切り裂く。
「ボレダンの勇士はここに居るぞ!」
「ならば、私と共にカナギシュを迎え撃て」
「何故ゾスの貴族が」
「警備隊長が通じているのが、カナギシュだからだ。連中は私をも亡き者にしようとしている。生き残るために戦うのに、帝国も騎馬民族もあるまい? ついでに私は将軍だ」
「道理で」
私の縄を切った青年は、ボレダン族の特徴を色濃く映した金色の髪の白い肌の青年だった。
「ゼス! 勝手な事を!」
「伯父貴は腑抜けた! ボレダン族の気概を失い、酒と女におぼれた結果がこれだ! 俺はボレダンを存続させるためには帝国とも手を結ぶ!」
「そんな若造一人いて何になる!」
「私はベルシス・ロガだぞ。私を私と認識して害すると言う事は、ゾス帝国に弓引く所業!」
ボレダン族の族長とゼスと呼ばれた若者の言い争いに割って入る。
今は時間がもったいない……ああ、ゾスの軍旗でもあれば一層効果的なんだがなぁ。
敵に私の存在を知らせる意味はある。
もし、本当にグレッグがカナギシュと通じているのならば、連中は私がここに居る事は先刻承知だとは思う。
だが、カナギシュ騎兵にもボレダン騎兵にも私がいると知らせてしまえば如何なる?
全員が知るのだ、カナギシュがゾス帝国に明らかに弓を引いたと。
帝国の軍事力を知らないカナギシュでもあるまい。
私の存在、その事実を末端の兵が全てを知っているのかどうかは分からないが、動揺は巻き起こる筈だ。
全軍に余すことなくその意を伝える事は非常に難しいから、それは無いと踏んだが……万が一、カナギシュの族長にそいつが出来ているのならば……。
ここが私の墓場かもしれない。
「ぼさっとするな! 武器を取れ! 誉れ高きボレダン族とは過去の物か?」
「言いおったな小僧ども! 良かろう、カナギシュなど蹴散らしてくれる! 者ども、迎え撃て!!」
ボレダン族の族長を挑発するように言葉を連ねたら、流石に怒りに火がついたようだ。
もう少し早ければ、これで五分に持って行けたかもしれないが、もう情勢は大分カナギシュに傾いているだろうな。
ベルヌ卿からお教え頂いた講義の数々も、今の状況でどこまで役立ってる事が出来るか……。
ともあれ、私は天幕を出れば大きな声で叫んだ。
「ゾス帝国八大将軍! ベルシス・ロガはここにあり! カナギシュ族よ、それを知っての狼藉か!」
どれほど響いたか、どれ程伝わったかは不明だ。
何せ、外は既にてんやわんやの状態だ。
「乗れ!」
ゼスと呼ばれた若いボレダン族の青年が馬を寄せてやってくる。
そして、灰色の愛馬に跨るゼスは、背後に乗るように伝えてきた。
ふむ、私が戦闘ではさほど役に立たない事は見抜かれているか。
「頼む」
私は頷き、彼の背後に乗ればその腰に手を回してしっかりと掴まった。
不格好だろうが何だろうが、構うものか。
もう一度落ちるのは嫌だ、痛いから。
ゼスが馬を走らせると、先程まで私達がいた天幕に火がついた。
火矢を用いて天幕を焼き払い、混乱を煽るつもりか。
「騎馬の、基本は、密集して、の、突撃で」
「言われんでも分っている、それより下手に喋ると舌を噛むぞ」
……はい。
忠告通り激しく揺れる馬上では、あまり喋らないようにしよう。
その代り、この場所が何処なのかを必死に考えを巡らせた。
「高所へ、地理、知りたい」
「……分った」
ゼスに伝え、少しばかり小高い丘に馬を進めて一旦馬を止めて貰うと、地図で見覚えのある物が見えた。
カナギシュ騎兵が両端から包囲を形成しようと迫るその背後に、川が流れている。
「セヌトラ川?」
「良く知っているな」
敵は包囲陣を敷こうとしているその背後に流れるセヌトラ川があの位置ならば、ローデンは左手側にある。
ローデンの北側には深い森があった筈、そこに逃げ込めばカナギシュ族の追撃もかわせるのではないか?
ならば、敵陣左翼に残存のボレダン騎兵を集めて一点集中突破を図るしかない。
「声の届く距離まで、カナギシュに近づいてくれ。そして、残存兵力を纏めて一点集中突破を図ろう」
「何故、声が届く距離まで? 相手の矢も無数に飛んでくるぞ」
「私がここにいる事を知らぬ者がカナギシュにおれば動揺するし、この奇襲で動揺するボレダン騎兵を立て直さねばどうにもならん」
「上手く行くか?」
「知らん。何もせずに死ぬよりはマシだ」
「それも道理か」
今まで以上に揺れるからな、と伝えゼスは馬を走らせる。
凄まじい速さで丘を駆け下り馬はカナギシュ騎兵へとみるみる迫った。
その距離と比例して、横殴りの雨のように矢が飛来するが、ゼスはどういう馬術か知らないが不意に移動先を変えてその矢を避ける。
「我が名はベルシス・ロガ!! ゾス帝国の将軍だ! この我の血を求むか! カナギシュ族よ!!」
一瞬、戦の高揚とは別のざわめきが起きた……気がする。
心なしか矢の飛来数が減ったようだし。
散発的な抵抗を示していたボレダン族にも私は声を張り上げた。
「丘に向かえ! ボレダンの勇士よ!! 我らが死に体では無い事を教えてやろうではないか! ぐっ!!」
「当たったか!」
「し、舌……」
「……」
変な沈黙するな! 私だって好きで舌噛んだ訳じゃない!!
「せ、旋回、しつつ、丘に登って、カナギシュ陣左翼に、集中突撃」
「ボレダンの同朋よ! 馬を駆り丘に集結せよ! その後、敵左翼に突撃だ! ここで朽ちても我らの武勇は朽ちぬ!」
ゼスが声を張り上げると背後から複数の雄叫びが上がった。
振り返ればボレダン族の騎兵が集まり出している。
その数はほんの数十騎に見えた。
数千の騎兵を誇っていた騎馬民族の残存兵力がこんな物か。
だが、だからこそ、命を拾えるかもしれない。
大勢は決したのだ、勝ちが決まった戦に命を賭す奴は少ないからだ。
旋回し、丘を登るまでにも何騎も討ち取られたが、討ち取られたより多くの騎兵が丘へと集まり、最終的には二、三百騎の騎兵が終結したようだった。
死地でかつての精悍さを取り戻した彼らは、もう止まる事はない。
「よく耐えた。これが乾坤一擲の一撃だ! 己が武勇に全てを賭けろ!」
そして、丘を登りきれば下知を飛ばして敵左翼に突撃を仕掛ける。
「全軍突撃!!」
丘を下る勢いも借りて風のように疾駆する騎兵集団の先頭はゼスと私。
当然狙われ矢が頬を掠める、頭髪を吹き飛ばす。
「ベルシス・ロガはここにあり!!」
それでも、私は半ば自棄になってか自身の存在を誇示し続けた。
カナギシュ騎兵までの距離が遠く感じる。
背後で落馬したボレダン族の呻き声が聞こえた。
振り返らない、真っ直ぐに敵を見据えていなければ……。
胃が猛烈な痛みを訴えることもできない程の緊張に包まれた長い、長い時間はようやく終わりを迎えて、カナギシュ騎兵の陣に飛び込むとゼスは剣を振るう。
カナギシュ騎兵も負けじと短弓から剣や槍に持ち替えて応戦しようとするが、後続のボレダン騎兵がそれを阻む。
こうして、ボレダン騎兵は雪崩の如くカナギシュの包囲陣左翼を打ち崩して、一点集中突破を成功させた。
死地は脱した。
だが、まだ危険は去った訳ではない。
去った訳ではないのだ。
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