第8話 禍根残り
レトゥルス殿下の言葉に、陛下は微かに苦笑じみた笑みを浮かべた。
レグナルは私から陛下に視線を移して、縋るように声をかける。
なるほど、陛下の影に隠れて私腹を肥やすタイプか。
「で、殿下の言葉の意味は分かりかねますが、ロガ卿の言葉には看過できぬ物が」
「異な事を言うな、レグナル。確かに場違いな言葉だが、何を看過できぬ? 一言、奴隷と申しただけではないか」
「……こ、これは、私としたことが……聞き違いをしてしまったようで」
なるほど、レグナルが奴隷売買に手を染めようとしたことは、公然の秘密になっているのか。
これはどうするべきか。
追及するべきなのか、私も不用意な言葉であったと謝るべきなのか。
静かに思案しようとするも、胸中に燃え立つような怒りが生まれる。
……奴隷。
かつてはゾス帝国にそう言う制度があった事は学んでいた。
戦争捕虜を労働力にしていたそうだが、テス商業連合の推し進める奴隷制とはいささか趣が異なる。
奴隷であっても給料は無論出るし、専門的な知識がある者は並の臣民より高給取りだった。
通常の家庭内奴隷であれ、十数年後には自立して帝国臣民になることもできたし、それなりの貯えも持てた。
農場や鉱山では厳しい労働を課せられたが、それでも生きてそれなりの時間を務めあげれば貯えを得ることは出来た。
借金をして返せぬ者をゾス帝国の奴隷にして、十年ほどで完済させた借金取りの話などあった程だ。
これは、奴隷も自由身分の使用人と同じように適正かつ公正に扱うべきと言うゾス帝国三代目皇帝にして哲学者としても名高いカナン帝の考えが広まったからだ。
それ以前は確かに多くの問題を抱えた制度であったが、カナン帝の考えが広まり、最終的には自由身分の使用人と同じ扱いをするようになり奴隷と言う制度自体が消えた。
言うなれば戦争捕虜を奴隷と言う身分に落とし格差を作るより、臣民として同化して飲み込む方を選んだのだ。
これは占領地でも行われた、言うなれば他民族の帝国化だが、文化や宗教の独自性だけは認めていた。
強固な軍事力と治安維持能力があってこそ可能だったのだろうが、文化も宗教も許容されてしまうと、民族的自立と言う思想だけではほとんどの者は立ち上がらない。
寛容さと法治主義、これがゾス帝国の強さの源だ。
さて、その一方でテス商業連合の言う奴隷は完全に別物である。
異国の話になるが各地方の豪族や貴族が自身が治める他国の住人を浚い、宝石や金品と引き換えに売り捌くのだそうだ。
ロガ領の交易都市ルダイにいた頃から、森の民や魔族は大層高値で取引されることを風聞として聞いている、非常に胸くそ悪い話だ。
バルアド大陸は奴隷需要が高く、ガトやその他の大陸から奴隷が集まっているとも。
テス商業連合は、更なる奴隷の需要を増やそうとゾス帝国に働きかけているらしいが、帝国は奴隷制とは違う方向に舵を切っている。
善や正義を謡う訳じゃないが、私はゾス帝国の在り方が好みだ。
心の底から。
その帝国に奴隷制度を我欲の為に持ち込もうとしたレグナルとか言う野郎を許しておけるのか? 野放しにしておけるのか?
ここは――踏み込むか。
奴隷制を導入を画策し、バレてからも未練たらたらな様子のレグナルと言う奴は……何かとダブる。
妄想世界の……ブラックとかいう奴に。
何故ブラックと呼ぶのかは曖昧だが、精神性が黒いと言う事だろう。
それはさておき、そうは言ってもレグナルに関しては明白な証拠がない。
公然の秘密となっていると言う事は見逃されているのかも知れず、下手を打てば逆に私が危機に立たされる。
だが、ぶっ潰さねばこの胸の内に燃える怒りは消えないだろう。
そんな風に目まぐるしく思案をしていると、陛下に声をかけられた。
「若きロガよ、何ゆえに奴隷と?」
「――身内の恥をさらすようで恐縮ですが、きっと陛下のお耳には入っていると思われますのでお伝えいたします。叔父ユーゼフが奴隷売買に手を染めようとしたことがありました」
「聞いておる。そなたの父カーウィスより、な。そなた自身もその阻止に働いたと聞いておるが……それが?」
いや、あの……私は夢だか妄想の話をしただけなんですけれど……。
そうは言えなかったので、多少はと答えてから陛下に告げる。
「叔父だけで奴隷の販売ルートを構築できるかと思っておりましたので、つい……」
「……若きロガよ。中々に危うい橋を渡っておるぞ?」
「確かに。ですが、レグナル卿がロガ家に何やら敵意をもっていらっしゃるとカイネス卿が仰っておられましたので、最近ではその程度の事件しか思い浮かばず……」
そこまで告げた瞬間にレグナルが顔を赤くして叫ぼうとした。
が、それより早く八大将軍筆頭のベルヌ卿が一喝した。
「ロガ卿! 言葉が過ぎますぞ!」
「失礼いたしました、若輩ゆえの不作法、誠に申し訳ありません。臆病ゆえ害されるのかと思いますとついつい先走ってしまいまして……」
頭ごなしの怒号と言うよりは、レグナルの機先を制したような言葉であったので、私も素直に引き下がることにした。
だが、臆病と口にした途端、何人かが思わず吹き出していた。
――まずかったかな? いや、まずいか……。
将軍としての言葉選びを誤ったかと思い内心ガクブルとしていたが、極力顔には出さなかった。
出なかった筈だ。
……出なかったよね、多分……。
「この場で言いたい放題言っておきながら、臆病とは人を食った男だ。カーウィスとはまた違う性質を持っておるな、そなたは」
陛下は苦笑を浮かべながら私を見やって告げる。
……ああ、そういう事ね。
レグナルに対する挑発のように取られたのか……そんなつもりは無かったのだが。
「ロガ卿には、まず礼儀作法を教えねばなりませぬな」
「ベルヌよ、そなたに任せる」
「御意」
ベルヌ卿がそう答えると、レグナルが腰を浮かせながら陛下を見やり。
「こ、このような無礼な」
「若輩ゆえだ、許してやれ」
「陛下は甘すぎますぞ!」
「そなたの言葉の様にか? あるいはそなたに対する処分の様に?」
柔らかな言葉であったが、レグナルは陛下の言葉を聞いて力なく椅子に腰を落とす。
「ユーゼフ・ロガを罰せぬ以上は、そなたも罰せぬ」
「な、何を仰せでありましょうや」
「何も知らぬと思っておるのか? 余の目と耳は数多おるぞ」
「……」
「欲をかかず、職務に励めと陛下は仰せだ。貴殿の子息コンハーラは弟ロスカーンの良き友だ、息子にまで迷惑をかけるような真似は慎め」
最後にレトゥルス殿下がそう締めくくると、レグナルはがっくりと肩を落とした。
そうか……こいつを罰すると言う事は叔父も罰せられる訳か、それは道理だ。
未遂だったことだし、私も一旦は矛を収めよう。
そんな事を考えていると、厳めしい顔のコンラッド・ベルヌ卿が席を立ち、私の傍に来て……。
「早速始めるとするか、急ぎ支度を整え、わしの詰め所まで来い」
「い、今からですか?」
「物怖じしない指揮官には仕事はたんまりとある。しっかり働けるように色々教えねばな」
……何か、こき使われる未来を垣間見た気がする……。
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