第2話 援軍を守るためには

 軍隊と言う物は移動に時間がかかるものだ。


 ましてや、武装しただけの民兵となればその練度の低さも相まって、正規軍と同じような行軍速度は望めない。


 ローデンからの援軍は言うなればありがた迷惑に近い。


 敵に注力したいときに、別の問題が降って湧いたからだ。


 それに、カナギシュの騎兵が一緒なので更なる問題が今こうして起きている。


「ベルシスよ、わしの覚悟を決めた。このユーゼフの首をもってカナギシュのアネスタに届けるがよい」

「何を仰せになりますか、叔父上」

「アネスタは私がお前にしたことを知ってしまった。そしてわしを憎み家を飛び出して駆け落ちした。これは身から出た錆だ」


 非常に鬱々としている叔父上の表情と言葉は、聞いているだけで暗い方向に引きずり込まれそうなほど重い。


 アントンをちらりと見ると蜜のような色合いの少し薄い金色の髪を困ったようにいじくっている。


 その表情は何処か諦めにも似た色が浮かんでおり、叔父一家の在り方に懸念を抱かざる得ない。


「つまり、アネスタは叔父上の首欲しさにカナギシュに輿入れしたと?」

「元々はそうではないだろう。だが、好機は巡ってきた。ロガ領が帝国と争う今ならば兵力を背景にわしの首を要求すれば……」


 私が親族を売ると言いたいのかね、叔父上は。


 歯車が何処かでかみ合わなくなったのは承知しているが、これは流石にと声を張り上げようとした。


「いい加減になさい、ユーゼフ! 先ほどから聞いて居ればうじうじと情けない! お化けが怖いと泣いていた頃のままですか、貴方は!」


 フィスル殿の報告以降、黙って考えを巡らせていた様子の伯母上ヴェリエが一喝した。


 ……そうか、叔父上はお化けが怖かったのか……。


「あ、姉上……」

「今の貴方を見ればカタリナも情けなく思うでしょう。何が覚悟を決めたですか。話し合いの場すら設けず逃げ回っているだけでしょう!」


 伯母上の舌鋒は鋭く、帝国との戦争状態にあってもその精神に揺らぎはない様子だった。


 一方の叔父上は伯母上の言葉に、その迫力に思わず一歩引いてしまった。


「わ、わしは」

「叔父上、僭越ながら私からも。アネスタの駆け落ちはそれはショックな出来事ではありましょう。ですが、貴方にはまだアントンが残っている。彼は貴方の怯えに配慮して対帝都方面からの侵攻に備えた防衛案をいくつか作っていた。それはつまり、貴方の息子は貴方を愛していると言う事だ」

「べ、ベルシス兄さん! それは大分若いころに作成した奴で、今は諦めて」

「では大分若いころの君の心は救われるべきだ、アントン。……叔父上、貴方が罪を犯したとすれば私を殺そうとしたことだけじゃない。息子の心に気付かずに死ぬことを望んだ事だ」


 私は努めて冷静に言葉を選んだつもりだ。


 叔父が臆病なのは知っている。


 それが高じて私を殺そうとしたことも。


 今回の首を持って行けと言う発言も、私と直接相対を避けていたことも臆病から来るものだ。

 

 私に直接危害を加えられたらどうしようと言うのは、まあ分かる。


 だが、娘に憎まれていると信じる事で真実を知ろうともせずに家族を切り捨てて死に安寧を望む気持ちは分からない。


 まあ、そんな思いを抱くほどにはこの二十年間、叔父はよほど怯えて暮らしたのかも知れない。


 私が生き残り名を馳せる事で叔父の恐怖はゆっくりと大きくなったのかも知れない。


 そう考えれば哀れみも覚えるが、しかし、支えてくれる者がいるのにそこには目も向けずに自身の安穏だけを、それも死をもって得ようとする事だけは許さない。


 そこは、言わせてもらう。


「……」

「まずは話し合うのが肝要でしょう。アネスタとも、アントンとも。……しかし、今回のカナギシュ騎兵の行軍に参加していますかね、アネスタは」


 道案内と言う意味では適任かも知れないが、ロガ家の娘であったアネスタが騎馬民族の様に馬を乗りこなすのは中々に困難ではないか?


 もし行軍を共にしていたならば、それはよほどの努力をしてカナギシュに溶け込んだ証でもある。


 そこは褒め称えるべきであろうか。


 そんな事を考えた際に、アネスタが誰に嫁いだのか明確に思い出した。


 と言うか、ファマルが私を恐れた云々もそう言えば言っていた事も。


 お世辞かと思って聞き流してしまったが、あれは本音だったのだろうか?


 なにせ、あのファマルの言葉だから罠かも知れないと疑う習性が付いてしまっていたようだ。


 気を付けねば。


「時期的にロガが帝国に反旗を翻したと知ってすぐさま派兵の準備に入ったみたいよ、カナギシュもローデンも」


 黙って事の成り行きを見ていたフィスル殿が口を挟んでくる。


「アネスタが嫁いだのは族長の息子です。彼女が派兵を願ったのかも知れませんね」

「……ベルシス兄さんは誰と駆け落ちしたかまで知っていたんですか?」

「うん……色々あり過ぎて今まで忘れてた」


 正直に話すとアントンは額に手を当て、ガラルはそう言えばベルシス兄貴はそう言う所があったわねと呟いていた。


 ちょっと肩身が狭いぞ。


「将軍って」

「うん」

「割と天然なのね」


 フィスル殿が淡々とツッコんできた。ほっとけ。


 ともあれ、ローデンの民兵及びカナギシュ騎兵を迎えに行くため軍を動かさなくてはならないが、それには他家の領地を通らねばならない。


 ゾス帝国は皇帝を柱とする中央集権国家ではあるが、領主には結構な裁量が与えられている。


 領兵の招集とかがその最たるものだが、それが今回は大きな足枷になりそうだ。


 中央から兵が派遣されるより、領兵を招集した方が早く兵が集まる。


 つまり、領兵が足止めすれば私達もカナギシュやローデンの兵も足を止めざる得ない。


 そして足を止めてしまえばいつカムンからアーリー将軍率いる帝国正規軍が迫り、背後を突かれるか分かったものじゃない。


 ローデンの民兵を抑えるために帝都から軍が派遣されるとも聞く。


 だからと言って援軍を放っておけば、この先絶対に誰も助けてはくれないのだ。


 ただ閉じこもって守りを固めて置けばよいと言う情勢ではなくなった訳だ。


「ともあれ、軍を動かすより他はない。伯母上には行軍先に、他家の方々に中立を貫いてもらえるように働きかけを願います。アントンと叔父上はロガの防衛に頭を悩ませていただきたい」

「将軍、一つ提案」


 私がまとめに入るとフィスル殿が声をかけて来た。


「なんだろうか?」

「将軍が少数で素早く彼らと接触した方が良いよ。場合によっては援軍自体を将軍が指揮できるように」

「考えないでもなかったが……」

「心配ならばついていくけど?」


 思わぬ事を言われてまじまじとフィスル殿を見つめるが、年若い美しい少女の、しかし何の感情を浮かべているのかまるで分からないポーカーフェイスがそこにあるばかりだった。

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