第34話 耐え凌ぐ
伝令を放ち、シグリッド殿に混成騎兵部隊の準備を進めて貰っているが、その間にも帝国の攻勢を仕掛けようと言うは圧力を増している。
今日は夜を無事に迎えられるのか、明日の朝を迎えられるのかと言う不安を兵士は常に抱えているのがはっきりと分る。
兵士達の中には、現状の苦しさから出来れば戦いなんて止めたいと思っている者達も多いだろうが、投降したところで許されるはずもないと分っているのか逃げ出す者は無かった。
ロスカーンの悪政に対する怒りが、私に対する怒りよりもまだ強いのかも知れない。
だが、何時までその状態を維持できるかは分からない。
そんなことをここ数日は考え込んでいる。
敵が打って出るのは時間の問題、むこうとしては此方がボロボロになってくれている方がありがたいから、こうして攻勢を控え、煽り続けているのだろう。
だが、兵にあれが擬態だから休めとは言えない。
何せ、初日に不意を突いて奇襲を仕掛けてきている。
……その後の展開に少し違和感を感じているが、流石はカルーザスだ。
最初に攻め込み主導権を奪ってから、士気を低下させる策を使う。
奴を上回る為には如何すれば良いのか……。
思考を巡らせていると、コーディが兵士と話しているのが見えた。
アレは……ローデンから来た義勇兵か。
場に似つかわしくない陽気な雰囲気が見て取れて、一体何を話しているのか気になって近づいて行った。
「やっぱり神様はね、見ていると思うんだ!」
「コーデリア様もそう思われますか? 俺達もそう思っているんですよ!」
宗教談義か?
ローデンは確かに信仰に篤い所であったし、コーディはああ見えて
信仰の話で盛り上がるのも分らない訳じゃない。
でも、ほら、周囲の兵士とかうるさげに見ているから、もう少し声を潜めて――。
「でも、最も神様が見ているのはベルちゃんだよね!」
「べ、ベルちゃん? ま、まあ、あの方はローデンでは
「え? そうなの! 神様の化身!」
「カナギシュ族に追われて森を彷徨った際に見知らぬ巫女に導かれ神殿にいたり一命を取り留めたと聞いています。それは復活者の道と呼ばれる経路を通ったことを意味していて、其処を通り来る者は
はっ?
何だか突拍子もない話になっている。
しかし、そう言う事であればあの時、今は亡きローデンの神官たちが慌てていたのも納得できる。
彼らは私がその言い伝えを知って、自分が神の化身を名乗ろうとしたのではないかと思ったわけだ。
それは確かに民衆に働きかけるには便利なアイコン、知っていたら私は確かにそれをやっていたかもしれない。
だが、結局は偶然と言うべきか、あの謎めいた少女の導きで至ってしまったので、彼らは言い伝え通り私を神の化身と考えた……?
いや、確かにローデンの街の者達は喜んで馬を差し出すし、ガレント殿は遺言で領地を差し出したし、何より義勇兵までやってきてしまった。
ローデンでは私は神の化身となってしまっているのか。
彼等の神話では連環の黒太子が甦らせようとしたのは、
一瞬思考が明後日の方向に飛びかけた時に声が上がった。
「おい!」
コーディとローデンの義勇兵に声を掛けたのはうるさそうに見ていた兵士だった。
まさか、一触即発の事態になるのかと慌てかけるが……。
「なに?」
コーディはニコリと笑って問い返す。
「面白そうな話じゃないか、ちょっと混ぜてくれよ」
声を掛けてきた兵士が思ってもみなかった反応を返した。
ああ、そうか……。
人間は、敢えて言えば兵士は結構迷信を気にする。
たとえそれが高級将校であっても変わりはしない。
出陣前に吉兆を占うと言うのは、どの国においても良くある事だ。
当然、その際には吉が出るように細工し、今回の戦は勝てると士気を高めるのが将帥の務めだが。
そうなると、だ。
これは……士気高揚の好機ととらえるべきであろうか。
私が三柱神の一柱の化身であると触れ回る?
――馬鹿な。
流石にそれはあり得ないだろう。
あり得ないのだが……昼夜問わず攻め入る素振りを見せつける帝国軍と相対している兵士の疲労はピークに達している。
精神的にでも高揚する物が無いと、いざ反撃と言う段になっても戦えない状況が起こり得る。
そこまで考え至りながらも、私はそっと首を左右に振ってその場を離れた。
神を僭称する行為、そいつを行うのはまだだ。
別に信心からだけじゃないが、やはり不敬であるし、外交的な問題が後で必ずやってくるのが目に見えているのだから。
とは言え、今を凌がねば明日はない。
明日を迎えるために、いざというその時までその手段は取って置こう。
今を凌げるからと軽々に飛びつく手段じゃない、代わりに夕刻にでも演説をぶちあげて士気の高揚を図るしかない。
そう心に決めて、私は戦場を俯瞰できる高台に移動した。
自軍の劣勢を憂いてばかりでは、決して勝てる相手ではない。
苦しかろうが前に進まねば、ホロンへ侵攻を始めているナイトランド軍が脅威と伝わる前に我々の戦線が崩壊してしまう。
高台から見える光景は、慣れ親しんだ軍団同士が対峙する光景。
ゾス帝国軍の布陣を眺めて、何処にも穴がないなとため息をついてから気づく。
……これは本当にカルーザスの布陣だろうか?
もしかしたら、カルーザスはこちらに優れた副将なりを送り込み、自身はルダイを攻めるために進軍しているのではないかという思いが不意に強くなった。
不安がそうさせているのか、或いは……予感か。
「サンドラは置いてきたが……さて、持ち堪えられるだろうか?」
カナトス防衛戦の勝利、ルダイ防衛線の勝利は正直覚束ない。
だから、ホロン侵攻戦の勝利に望みを賭けた。
そして、ホロンには皇帝がいる。
カルーザスの肉親が。
「敵の愛する所を攻撃せよ、か」
誰の言葉であったか定かではないがそんな言葉が浮かび上がって、消えた。
「それで退きますか?」
不意の声を掛けられた。
白銀の胸甲を身に纏ったシグリッド殿だ、出立の準備が整ったのだろう。
「退くさ、あいつは武勲よりも大事にしているものがあるからな。……よろしく頼む」
「心得ました」
「ローラン王にもよろしく伝えてくれ、私はここで見送らせて…………」
私はそこまで口にして、ゾス帝国の布陣を凝視する。
「どうされましたか、ロガ王?」
「カルーザスじゃない?」
「カナトス攻めの指揮官が、ですか?」
思わずつぶやいた言葉にシグリッド殿が驚きの声を上げた。
私は早まったかと思いながらも、彼女に声を掛けた。
「出立前にリウシス殿を呼んで貰いたい、フレア殿と共にここに来るようにと」
確証はないし、はっきり言って無理やり希望を見出そうとしているだけかも知れない。
だが、私は先ほど見た。
カルーザスの誇る深緑騎兵部隊たる者が、あの深緑の外套を羽織った猛者たちが陣中に在って己の旗印を下げる等と言う事があるだろうか?
カルーザスと共に数々の栄誉を勝ち得て来た彼らが。
この微かな違和感こそ、帝国優位の状況に一石投じる策を生み出すかもしれない。
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