第40話 交渉
カナトスがバーレス城砦を攻めるか、駐屯部隊を釣り出そうとするのか迷っている気配を感じて、私は再度講和の文書を送る。
最初に提示した、即時兵をひく事、捕虜の返還、賠償金請求、ゾス帝国への侵略をしないという約定を結ぶという四つの条件はそのままに。
向こうは向こうで舐められたとでも思ったのだろうか、散発的な戦闘がその後起こったが長続きはしなかった。
そんな状況が三日過ぎ、七日過ぎ、半月も過ぎたころからカナトス陣営の様相に変化がみられると報告が来る。
どうも補給が上手く機能していない様子だ。
私の目論見は見事に当たったことをそれで知る。
カナトス側も負けじとこちらの補給を妨害しようとしているようだが、外に展開している部隊や後詰のセスティー将軍の手により手駒を減らされている状況に陥っている。
私は二度目の講和の使者を送るが、使者は王子の前にたどり着くことなく追い返されたようだ。
そんな状況だと聞けば、相当に頭に血が上っている奴がいるようだと容易に察せられる。
良い兆候だと、浸透部隊の労をねぎらう言葉と共に指示も与える。
「浸透してる部隊に伝えよ、よくやった、敵は疲労が見え始めていると。そして、引き続き徹底的に敵の輜重隊は叩けとな。ただ、危なくなったら深追いはしなくて良い」
無理する必要は全くないと付け加えて、私は浸透部隊の隊長たちに全て任せた。
あまり余計な口を挟んではやり辛いだろうからな。
必要最低限の、しかし筋の通った指示だけ出して、現場に任せるのも将軍の采配と言う物だ。
さらに半月が過ぎてもさほど状況は変わらないように見えた。
だが、更に一カ月が過ぎるとカナトス陣営の状況は一変していた。
食う物に困り始めている気配が察せられたが、私はまだ動く気にはならなかった。
それは先の戦いで敗走した苦い経験を思い出すからと言うのもあるが、カナトス王国軍はここ数年、カルーザスとしのぎを削っていた相手だからだ。
その力が私の目算を超えている可能性は高い。
ゆえに私は生半可な状態では手を出さない事を固く決意していた。
※ ※
カナトス軍の兵数は三万ばかり。
誉れ高き白銀重騎兵は一時よりは数を減らして二千強。
十分に驚異的な数だが、我が方の兵数は騎兵五千、弓兵二万、歩兵七万、魔道兵五千の十万だ。
まともに戦えば我が方が勝つだろうが、カナトスの白銀重騎兵の機動力と戦闘ドクトリンは侮れない。
二千で十五万のゾス軍を打ち破った事すらあるのだから。
その事実を知っているからこそ、私は決して手を抜かないし、賭けに出る事はない。
これがカルーザスであれば話は簡単で、会戦に訴え一撃のもとに倒しているだろう。
先の戦いでカルーザスは白銀重騎兵の散開したのちに敵前で密集して突撃してくる戦法を真似て、子飼いの騎兵部隊である深緑騎兵部隊に同様の戦法を取らせていた。
今ではただの真似から独自の進化を進め、その結果深緑騎兵部隊はカナトスの白銀重騎兵に比べて軽装化し、人員の育成速度と部隊管理費の低下を実現させた。
騎兵自体の破壊力は落ちるどころか、速度が上がったことで高まったとさえ言われている。
適応できるところは適応してしまう所にカルーザスの怖さはある。
しかし、私にはそのような機転はない。
騎兵はゼスの率いるボレダン式騎兵部隊とゾス帝国に古くから伝わるゾス式の騎兵部隊の二つしか運用できていない。
まともにぶつかればカナトスの白銀重騎兵に敗れるか、勝てたとしても大損害を被っているだろう。
多くの人も馬も武具も失われるなどと言う展開は、私の胃に穴が開く。
冗談ではない、そんな事になるくらいなら時間と金を使ってゆっくり敵を締め上げる方が良い。
そろそろ帝国も後方から早く雌雄を決しろと言いうお達しが飛んでくるようになったが、私はそれらに耳を貸すことなくバーレス城砦に立てこもってから三ヶ月目に突入した。
浸透した部隊の報告ではカナトス軍の輜重隊は数を減らしており、時折少数の兵がカナトス王国の農村を荒らしているのが確認されたという。
大分士気は下がっているな。
「講和の使者を送れ」
「攻めないのですか?」
私の言葉に歩兵隊長のブルームが問いかける。
「カナトス戦に血を流して勝利してもさほど旨味はない、極力こちらの血を流さずに賠償金を貰う方向でいきたい」
だいたい、カナトス王国と言う国を失えば東の国々の勢力図が塗り替わる。
そうなると予想だにしない戦の火の粉が帝国に飛んでくるかもしれない。
そこまで告げれば、ブルームは了解しましたと頭を下げて引き下がった。
程なくして送られた講和の使者は、いつもと同じ四つの条件を携えてカナトス陣営に出向いた。
そして、交渉の席に漸くカナトス王家を引きずり出すことに成功した。
※ ※
「それでは、最初の条件通りで良いと?」
「状況が有利になったから条件を釣り上げる、それが商売かも知れませんが、私は生憎と商売人ではなく戦争を生業にしております。負けたからと言って過度に挫けませんし、勝ったからと言って驕るのは馬鹿のすること。最初に提示した条件を飲んで頂けるのであれば講和を結びますよ」
若き王子ローランはゾス帝国が講和の条件を釣り上げてくると思っていたようなので、はっきりと言ってやる。
勝って驕らず、負けて挫けずがゾスの精神である。
「……なるほど、やはり帝国は敵に回す物ではありませんね」
「今回の出兵に何の意味があったのですか? 東の三国で攻めて来た十年前とは意味合いが異なります」
「父の乱心と呼ぶより他はないでしょうね」
「……お父上が乱心されたとしても、引き返す機会はいくつかあった筈です」
「ロガ将軍には経験ございませんか? もう道がそこしか残されていないという事態に陥った事は」
若く聡明そうなローランは細い金色の髪をいじりながら力なく笑った。
成人してまだ一年かそこらの青年の顔には苦労が刻まれている。
彼は彼でのっぴきならない事態に巻き込まれていたのだろう。
「片手では足りない程度には味わっておりますよ、その苦渋は。……それでは講和の条約、結んでいただけますか?」
「食い物もなく兵に士気は無し。これ以上の戦いは、本当に無意味でしょう」
これまでの戦いも無意味だったと言いたげなローラン王子の言葉に、小さく頷きを返した。
後は講和条約締結の場を整えてこの戦は終わり、その筈だった。
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