第41話 カナトスの毒婦
事件は講和調印の席で起きた。
講和を結ぶにも口約束だけでは、何ら効力はない。
文書を作成して互いに署名するのが一般的だ。
その為の席ともなれば外交的な側面が強い訳で、それなりの形式と言うのが必要になる。
そこでカナトスのローラン王子と私とで期日を定めて、講和調印と言う話になった。
その当日、講和の席にとして設定した天幕に赴くと、内部では諍いの声が響いていた。
「王子と王女を捕縛するとはいかなる了見ですか!」
「黙りなさい、ネイヤー卿。アメデ陛下のお達しです」
……何が起きている? 王子と王女とはローラン王子とシーヴィス王女の事か?
私は連れ立っていたゼスに視線を投げかけると、彼は気を利かせて天幕の入り口を開けて声を掛けた。
「ロガ将軍の到着である!」
その言葉にい諍いの声が止まるのを確認してから天幕の内部に足を踏み入れ、私は絶句した。
年若い少女と言うべき年齢の娘と先日顔を合わせた成人したての青年が共に縄で縛られている。
それに抗議するように立ち上がっていたのは白銀の髪に白銀の胸甲を身に着けた娘で、悠然と座っているのは……。
(呪われた運命を焼き払っていただけるその日を)
あの言葉がいきなり脳裏によみがえる。
ゾス帝国北西部の街ローデンで紫色の瞳が印象的な少女に助けられた時に聞いた、あの謎めいた言葉が。
何故その時の言葉が甦るのか? ここに悠然と座る女はあの少女とは似ても似つかぬ、いや、それどころか……。
こいつが焼き払うべき呪われた存在か?
何故そんな事を考えたのかは分からない。
思考が千々に乱れているが、分かる事は一つ。
講和の席にいるべき女じゃない、こいつは。
今、この場で斬るべきか、否か。
私が根拠のない理由で斬るかを考えていると、講和の席についている女はおかしげに笑いながら声をかけて来た。
「何をぼんやりしていらっしゃるの? 講和の準備を進めようではありませんか」
何故だろうか、非常に不愉快な気分になるのは。
「誰だ?」
私の問いかけの言葉は、他の者にはどう聞こえたのか。
ゼスはいつでも剣を抜けるように柄に手を添えた。
「国王アメデの妻、ギザイアでございます」
「息子と娘を売る気か?」
私の言葉の刺々しさに気付いたのか、ギザイアと名乗った女は少しばかり居住まいを正した。
「これは……アメデの意思で」
「私が交渉相手に選んだのは貴様ではない、国王アメデでもない王子ローラン殿である。アメデに伝えると良い。己で始めた戦も終わらせる事も出来ぬ
私の放言に絶句しているギザイアを尻目に、ゼスが無言で王子ローラン殿と同じ髪の色の少女、多分王女シーヴィス殿を縛る縄を切り、彼らを解放した。
「縛をほどいていただき感謝します。そして、ロガ将軍のお怒りはごもっともですが、父にその言葉を届ける事は叶いません」
「何ゆえに?」
「今朝がた、亡くなったと」
解放されたローランの言葉に私はギザイアに対しての疑念を深める。
国王アメデは負傷して伏せていたはずだから、確かに容態が急変する事はあるだろう。
だが、あまりにタイミングが良すぎる。
このギザイアが殺したのではあるまいか?
しかし、それは何の為だ? カナトスの実権を握るためか?
いや、いかに王の妻と言えども、ギザイアは後妻。
輿入れして数年で、なおかつ正当な王家の血筋を帝国に売ってしまえば、国をまとめられるはずがない。
反乱は必至だ。
この女がオルキスグルブの息のかかった何某かであれば、その位の事は分かりそうなものだ。
或いは、カナトスと言う国自体には興味がない?
思考がグルグルと頭の中を駆け巡るが、流石に下手な考えは何とやらだ。
一つ頭を振って、宣言した。
「ともあれ、国王の死亡もその遺言もそちらの都合。私が講和の相手として選んだのはローラン王子である。それを勝手に捕縛して罪人扱いし、帝国に差し出さんとするような振る舞いは断じて許さん。ゾス帝国八大将軍ベルシス・ロガの名において命じる、王妃ギザイアを捕縛せよ」
私の言葉にギザイアは一つ頭を振って、それから睨むような目つきで見据えて来た。
一瞬、ぞわりと悪寒めいたものを感じたが、再びあの声を思い出す。
(貴方様が不浄を焼き払うその日を)
あの少女の願いを込めた言葉。
途端にギザイアは驚愕の表情を浮かべたのだ。
「馬鹿な……何故、巫女の加護が……」
その言葉の意味を理解する間も、問い質す間もなく、私の言葉を聞いてゼスがギザイアを躊躇なく捕縛する。
私が形式ばった言い方をしたことで、本気で怒っている事が伝わったのだろう。
そして、天幕の外に控えていた兵士に声をかけてとっとと連行するように指示した。
「……お見苦しい所をお見せしました」
「あれが先日仰っていた道を塞ぐ一端でしたか?」
「ありていに言えばそうです」
ローラン殿は苦々しく告げる。
と、突然シーヴィス殿が声を張り上げた。
「か、感激しました!」
「……は?」
「あの女が見つめると大抵の男は、はいはいと言う事聞いてしまうんです! でも、ロガ将軍も配下の方も全く動じずに振舞いました! 我が国は王も、将軍もあの女にメロメロで」
「やめろ、シーヴィス。身内の恥をさらすな」
「でも、兄さま! あまり冴えない見た目なのにロガ将軍は」
「ちょっと、マジでやめろよ、お前!」
兄妹で喜劇でも始めてくれそうな勢いだな。
しかし……冴えない……か。 ほっとけ。
傍らで笑いを我慢しているゼスを横目で睨みながら、私は先ほどから所在なさげに佇んでいる銀髪の騎兵と思しき娘に問いかけた。
「いつもこうなのか?」
「……ええ、まあ」
「なるほど」
私が頷くと銀色の髪の娘は何とも複雑そうな表情を浮かべた。
この女性こそ三勇者の一人に選ばれることになるシグリッド・ネイヤーその人であることを、私はおろか当人もこの時は知らなかった。
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