第68話 奇襲
帝国軍は、少なくともエトラ平原の帝国軍は大分酷い有様になっていた。
人的被害はさほどではないだろうが、兵は皆疲れ切っており士気は一層に低い。
脱走者も出ているようで徐々にその数が減っていると言う報告も上がっている。
「そう見せかけ兵を動かし、奇襲してくる可能性もある」
私の言葉にサンドラは頷いたがリウシスが口を挟む。
「大分可能性は低いが?」
「リウシス、奇襲は突然の雷に似ているが、それでも食らう方が馬鹿なのさ。備えを怠る事は私にはできない」
そうかと頷くリウシスを見て、意外そうにコーデリアが口を挟んだ。
「なんかさぁ、リウシス大人しくない?」
「俺も勉強中だからな」
そんな殊勝な言葉を聞いてコーデリアはあからさまに驚き、私に問いかけて来た。
「ベルちゃん、何を言ったの? この間からこんな感じなんだけど!?」
「え、別に特別な事は……」
そう答えるとシグリッド殿が小さく呟いた。
「ロガ王は人たらしですからね」
誰が人たらしだ。
が、それは抗議するような言葉であるのか確証もなく、聞こえない振りをすることにした。
それに三人に集まって貰った本題は別にある。
「機は熟した。ロスカーンの本陣に奇襲を仕掛け、その首をあげたい」
「つきましては個々の武に優れた精鋭を送りたいのですよ」
私の言葉を継いで黙っていたサンドラが口を開いた。
それで彼らの顔つきは一変した。
「それで俺たち三人が率いるって訳か?」
「アーリーさんとの戦いを思い出しますね」
「フィスルとかさ、アーちゃんも加えたら?」
三者三様の反応を返したけれど、皆一様に闘志にみなぎっているのが分かる。
この戦いを治めるのにも三勇者の力を借りねばならないと言うのが心苦しい所だが、戦が長引けばそれだけ多くの死が生まれる。
自身の心苦しさにかまけている暇はない。
「フィスルにせよ、アーリーにせよ、指揮を任せている。本来ならば私も奇襲部隊に参加して――」
「おいおい、ロガ王が前に出たら帝国と条件が同じになってしまうだろう?」
言葉を言い終わる前にリウシスが突っ込みを入れて来た。
それはその通りなのだが、これには一つ利点がある。
「それはそうだがロギャーニ親衛隊に皇帝を守るのか、私を討つのかの二択を――」
「雑兵に討たれますよ?」
今度はサンドラが口を挟んできた。それも冷や水を頭からかけるような言葉を。
……いや、敵はロギャーニ親衛隊だけではない事は自覚しているつもりだったが、他の部隊も確かに士気はボロボロでも敵は敵。
一つに集中しすぎた所で思わぬ攻撃を食らう羽目になるかもしれない。
「……そうか」
「ご心配なのは分かりますが、冷静に行動してください、陛下」
……はい。
意気消沈している私を見てコーデリアが笑う。
「大丈夫だよ、ベルちゃん。ちゃんと生きて帰って来るから」
「この作戦にはロガだけではなくゾス帝国やその他の国々の命運がかかっていると言える。だから……よろしく頼む」
重たい仕事を押し付けていると言う自覚は勿論ある。
自分の死から遠ざかっている筈なのに、胃が痛くなってきた。
きっと、それは私にとってこの三人はかけがえがない存在なのだろう。
特にコーデリアは。
それを知ってか知らずか、三人は意気揚々と天幕を後にした。
「人を動かすと言う事は……結構、堪える物ですね」
「君がそこに何かを感じる人物で良かったよ」
サンドラが嘆息交じりに呟くと、私は共感を覚えながらそんな言葉を告げていた。
※ ※
そして、奇襲作戦は開始された。
まずは本隊である我々が攻勢を開始する必要があった。
場を混乱させ、騒乱の状態を維持させねば奇襲部隊がロスカーンの本陣に到着できないからだ。
三勇者率いる奇襲部隊千騎が戦場を大きく迂回して所定の位置に付くまでは一進一退を繰り返す。
そして、背後よりロスカーンに襲い掛かる準備が整い次第、攻勢を仕掛ける。
帝国の多くの兵士は徴収された民衆であるから、ある程度の攻勢にとどめなくてはいけない。
だが、その攻勢の圧が弱ければ騒乱など起きないばかりか、ロガ軍弱しの風潮が生まれ敵が活気づく可能性もある。
非常に頭の痛い問題であり、フィスルやアーリーなど軍を率いる事に長けている者達を奇襲部隊に割り振れなかった理由でもある。
「フィスル殿率いるナイトランド騎兵が随分と帝国兵を脅しておりますね」
「八部衆を束ねたフィスルだ、軍事的示威行動も慣れた物か」
戦況の報告を受けていると、遂に作戦の要である奇襲部隊が所定位置に付いたと報告が来た。
千騎の騎兵によるロスカーン本陣奇襲という最終局面を迎えて、私は指示を出した。
「全軍、前進! 圧を掛けろ!」
「各将に伝達、軍、前進! 圧を掛けろ、と」
サンドラが伝令に告げると、伝令たちは蜘蛛の子を散らすようん各将の元へ走った。
程なくして全軍が攻勢を開始すると、敵陣は一層慌ただしくなった。
それからどれほど時間が過ぎたか。
目の前の戦況は優位だけれど、奇襲部隊がどうなっているのかまるで分からず焦れながら私は指揮を執り続けた。
こんな状況でも指揮を執れている自分を少し褒めたくなったが、あの三人に何かあったら後悔しまくりであろう事は明白だ。
そんな葛藤を抱いたまま随分と長い時間、指揮を執っていたように思う。
そして、上空に登っていた陽が大分傾きかけている頃に、念願の報告が届く。
馬に跨った伝令が大きな声を上げて走ってきたのだ。
「ロスカーン討ち死に! 皇帝ロスカーン討ち死に!!」
それは、ロガ軍がゾス帝国軍に勝利した報告であった。
ロガ軍からは大歓声が上がり、帝国軍は力なく崩れ落ちる者や逃げ出す者が多数いる混沌が生まれる。
ロスカーンは死んだ。彼の望み通りに。
後はギザイアの首をあげるだけだが、私は奇襲部隊の安否が気になってあまり喜べる感じはなかった。
皇帝討ち死にを広く喧伝させ、もはや戦う意味は無いと帝国軍に投降を呼びかけている間も、気が気ではなかった。
それから更に時間が経って陽が沈む頃になってようやく帰ってきた三人の姿を見て安堵したのは言うまでもない。
彼らの姿を見て私は漸く勝ったのだと実感がわいた。
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