第67話 思わぬ伏兵
ロスカーン率いる帝国軍との対陣には予定より三日遅くなった。
それと言うのも、次に決戦の場になるであろうと踏んだエトラ平原に兵を進めても帝国軍は未だにたどり着いていなかったからだ。
故に我らは仕方なくエトラ平原で待ち構えることにした。
これ以上進軍してはこちらの補給に関して不安が出ると言うのもあるが、何より帝都周辺が荒廃しかねないと考えたためだ。
ゾス帝国がどのような落としどころを持ってくるのかは分からないが、民衆を敵に回してはいけない。
私の敵はあくまでロスカーンであるのだと知らしめるためにも、エトラ平原で待ち構えるのが良い。
さて、帝国軍が何故に遅れているのかを偵察させた私はある意味肩透かしを食らった。
十五万もの慣れない兵士を引き連れるには、元より才能の無かったコンハーラや現場を離れて久しいザイツでは手に余ったと言う何とも情けない理由であったからだ。
これは困る、自然と侮りが生まれてしまう。
その侮りに足を取られてすっ転ぶなどあってはならない。
心身を引き締めて事に当たらねば大変な事になる。
そう肝に銘じて三日過ごし、漸く帝国軍が着陣したのである。
帝国の陣容を見るに騎兵の数は少なく、魔術兵はより少ない。
それはそうだろう、無理やり民衆を徴収して揃えた軍隊なのだから。
先ほどの戦いよりは楽に戦えそうだと再び侮りが浮かびかけて、慌てて首を左右に振る。
浮かれるな、ベルシス。どんな戦いでも楽な戦いなど在った試しがないじゃないか。
そう思いながら今一度、陣容を確認していくと一部隊だけ、ロスカーンの傍にいる一部隊だけ妙に練度が高いらしいと報告が上がった。
「……我ながら、迂闊だ」
思わず私は呟く。
近衛隊とも呼ばれる皇帝直属のロギャーニ親衛隊の存在を思い出したからだ。
武勇に優れ大酒飲みの男達、その武骨さ、野蛮さからは想像しがたいほどに忠誠に篤い真の戦士。
ゾス帝国軍の殆どが裏切っても、ロギャーニ親衛隊だけは決して皇帝を裏切らないとも噂されていた皇帝の近衛たち。
それが今、現実の物として立ちはだかっている。
私は軍議を開いて彼らの存在がある事を皆に知らせた。
「少数での奇襲を阻むのは少数の親衛隊か」
私がぽつりとつぶやくと。
「ロギャーニ親衛隊とはどの程度の力があるのでしょうか?」
サンドラが問いかけて来た。
「君はギェレの武勇を見たかね?」
「先の戦いに際しまして、ロガ軍左翼で歩兵でありながら騎馬に立ち向かう勇ましき姿を見ました」
「あのような男たちが少なくとも三十名、多くて五十名」
その言葉を聞けばサンドラは微かに顔を顰めて、羽扇子で顔を覆い隠しながら大きく息を吐き出す。
「なるほど……。下手をすれば奇襲は失敗しますね。そして親衛隊は英雄視され、十五万の烏合の衆が練度を凌駕する士気を得る可能性もある……と」
「その存在を忘れているとは迂闊だった。彼らは決して裏切るまい。国が滅び、彼ら自身が死に絶えようとも」
それがロギャーニ親衛隊の武の在り様だから。
宮廷でしかその存在を見て来なかったとは言え、皇帝が出陣すれば彼らも出てくるのは当然なのを失念していたのは迂闊としか言いようがない。
「ギェレ殿に投降を呼びかけて貰っても変わりませんか?」
「変わるまい。……そうだ、ウォードはどうしているだろうか……。ギェレを呼んできてくれ」
髭面の剣士の顔を思い出しながら呟き、歩哨をしている兵士にそう声を掛けると彼は即座に天幕を出てギェレを呼びに向かう。
「ウォードとはどなたの事でしょうか?」
「ギェレの同僚、オルキスグルブが暗殺者を送ったかもしれないと言う情報を得た際に、ギェレがレトゥルス殿下に、ツェザレがロスカーンの警護に当たった」
「なるほど、ウォード殿はファルマレウス殿下の警護役だったと」
ウォードの行方を知った所で何の役に立つのかという思いはあったが、もし今もまだ親衛隊にいるのならば、もしかしたら仲間に引き込めるのではないかとも思った。
「知り合いなのか?」
「ギェレと共にレトゥルス殿下の護衛としてローデンで過ごしていた。その際に面識があるし、殿下より借り受けて指揮した事もある」
リウシスの問いかけに一応旧知の間柄であることを伝える。
そうこうしているとギェレがやって来て、私の前に片膝をついて恭しく頭を下げた。
「戦の準備で忙しい時にすまないな。ウォードは今どうしているだろうか?」
「……最後に会った時にロギャーニ地方に戻ると言っておりました」
「そうか……」
残念ながら私の履かない望みは潰えた訳だ。
「……ですが、確証は何もありませんが……」
「うん?」
「帝都に残っているのかも知れません、ギザイアを討つために」
なるほど、あり得ない話ではない。
ウォードについてはそこまで詳しい訳じゃない、豪放な剣士だった事は覚えているが。
だが、今の帝国の在り様とロギャーニ親衛隊だった男の忠節、それにファルマレウス殿下とレトゥルス殿下双方に仕えた事実が、或いはそうさせるかもしれないと言う期待と言うべき予感を覚えた。
「分かった。ありがとう。有益な情報ではあったが……これでロギャーニ親衛隊とは真っ向から戦い打ち砕かねばなるまい」
その言葉にギェレは頭を垂れたが、頷きもしていた。
今、戦場に出ているロギャーニ親衛隊は決して裏切らないと言う事だろう。
「奇襲部隊は精鋭を集めるより他はありませんね。ですが、奇襲に至る前段階をきっちりとこなしておかねば」
私たちの会話を聞いていたサンドラがそう締めくくる。
敵はロギャーニ親衛隊のみならず、十五万の兵集団もいる。
いかに士気低く、練度低いと言えどもその数は圧倒的だ。
一方の我が軍は七万強、ほぼ二倍の敵との戦いであると肝に銘じ、私は指示を飛ばす。
「正午までには準備を終え、作戦に移行する」
その言葉通りエトラ平原の戦いはその日の正午から開始された。
攻めると見せかけて敵兵の動揺を誘い、逃げると見せかけて迂闊な突出を誘うサンドラの戦法は面白い様に嵌った。
序盤はこちらの思う通りに事が推移しているが、私は当初のような侮りを抱くことは無かった。
皇帝ロスカーンの傍にはロギャーニ親衛隊がいるのだから。
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