第44話 杯を交わす

 杯の中の葡萄酒を飲み干す。


 伯母上が去った後は、メルディスも程なくして去り、私は一人テラスにて葡萄酒を呷っている。


 リチャードが傍にいないのは、彼が傍にいると非常に目立つためだ。


 ベルシス・ロガはここにいますよと喧伝して回る気など、流石に今日はない。


 しばらく時間を潰して、家に戻ろうか。


 今日は帝都の明かりが消える事はないだろうし、貴賤を問わず騒いでいるだろうから。


「パンとサーカス、か」


 帝都を見やりながら一人呟くと、背後から声がかかった。


「主役がいないと困るのではないか?」

「会場を見て見ろよ、困っているようにも見えないぞ」


 私の言葉にカルーザスは小さく笑って隣に立った。


「邪魔だと言うまいね? 女性に歓談の席は譲っていたわけだし」

「なんだ、見てたのか? 歓談と言えれば良いのだがね」

「セスティー将軍曰く、彼の魔族は君に好意があるそうだ」

「……ないな。いや、男女間の好意はないなと言うべきか。彼女が私に接触するのは」

「一度断られた相手にそう何度も足を運ぶまい、と言う事らしいぞ」


 ふむ?


 しかし、セスティー将軍にまで見られていたのか。


 ん? もしや……?


「二人で?」

「講義の一環、そのつもりだ」

「別に隠すこともあるまいに」

「……所で」


 話題を変えやがったな?


 二人でパーティー会場を抜け出して何をしていたのやら。


 まあ良いさと肩を竦めた私にカルーザスが幾分声をひそめて告げる。


「あの女はなんだ?」

「……メルディスか?」

「違う、元カナトス王妃の」

「毒婦だろう」

「……カールツァス卿が助命の嘆願を行った」

「……」


 ザイツ・カールツァス卿、元八大将軍の一人、先帝に罷免された彼が何故?


「それに……コンハーラ」

「レグナル卿の子息か」

「彼も助命すべきと」

「レグナル卿の欠席はそれが理由か? しかし、あの女、有無を言わさず斬るべきだった」


 元カナトス王妃のギザイア。


 正式にカナトス王家から絶縁された彼女は、今回の戦争誘発の張本人である可能性も高く、場合によっては死刑の裁きが降っただろう。


 だが、どうもその辺りの状況が変わり始めているのは知っていたが……。


「随分と大物が動いたな。元八大将軍か。息子の動きにレグナル卿はなんと?」

「……それだがな、どうやら流行遅れの感冒に倒れたようだ」

「ゾスの嵐は過ぎ去った筈だぞ」

「その筈だな」


 私とカルーザスは共に帝都を見ろした。


 煌々と輝く明かりは人の営みそのものだ。


 私は一瞬、その明かりに陰りが見えて頭を左右に振る。


「貴族院の動向を抑えなくてはいけないな」

「多分、その必要はない」

「何故に?」

「何故今回はお前より私が情報を手に入れるのが早いのか、分かるだろう?」


 私は独自に情報網を形成している事はカルーザスは知っている。


 だからメルディスが接触している事も、知っている。


 その私よりカルーザスが先に情報を得られると言う事は……。


「陛下に?」

「そうだ。カールツァス卿は我が下で庇護を、と言っていた。だが、コンハーラは……」

「何と言った?」

「美女ゆえ、陛下が娶られるが良いと」

「馬鹿かっ!」

「陛下も一笑に付された」


 私が頭を左右に振りながら吐き捨てると、カルーザスも頷く。


「コンハーラは陛下とよくつるんでいた、自分にも相応のポストが与えられてしかるべきと考えているが、陛下にはその気がない」

「ああ」

「最近はそのことを愚痴っていたようだが……」


 自分を取り立てない事に対する意趣返しか?


 それにしてはちぐはぐな印象を受けるが……。


 私が眉根を寄せるとカルーザスは一つ頭を振った。


「戦争は終わっても平和にはまだ遠い。我らが力を合わせて帝国を支えねばならない」

「そうだな」

「さて、暗い話は終わりにして凱旋将軍をたたえて乾杯でもするか」

「本当に話の切り替えが苦手な男だな、君は」


 乾杯でもと言うカルーザスに私は思わず笑い、互いに杯を掲げあった。


 これがカルーザスと共に杯を傾けた最後の日となる。


 この日を境に、私の境遇は変わっていった。


 ロスカーン陛下は私を遠ざけるように、最初はどこか不安げな様子でバルアド総督となるよう辞令が下された。


 バルアド勤めの長い八大将軍トウラ・ザルガナス卿の協力の元、任期の二年を務めあげると次はローデン勤務が決まった。


 入れ替わり様にカルーザスがバルアド総督となる様だ。


 ローデン地方に向かう許可をもらうためにリチャードを伴って帝都に戻って驚いたのは、状況が僅か二年で悪化していたことだ。


 税は重くなり失業者は増え、低所得者に向けた食事の配給など縮小されていた。


 確かに人気取りで食事の配給を著しく増やした政策が過去にはあったが、近年のそれは適正であったはずだ。


 これを切り詰めて何とするのか?


 ロスカーン陛下に問い質そうと思ったが、それは叶わなかった。


 バルアドにて反旗を翻してファルマレウス殿下を討ち取った八大将軍ハドウィン卿の席は暫く空位であったが、その空位を埋めたコンハーラ・レグナルにより私の面会は阻まれた。


 彼は他の八大将軍よりも権力を握っているようで、振る舞いは傲慢そのものだった。


 一体、帝都で何が起きている?


 私の困惑をよそに事態は転がり続けた。


 任地となる筈だったローデンの大火災の報告。


 ガレント・ローデン殿は既に七十に近い年齢の筈。


 私は取り急ぎ、ローデンの火災の被害を確認するべく帝都を後にした。


 幾人かの軍官僚に帝都で何が起きているのかをまとめるように指示を出して急ぎローデンに向かう。


 それでも、ナイトランドとの八十年ぶりの相互不可侵条約の延長を行う式典が近い事は覚えていた。


 覚えていたが、まさかその席でロスカーン陛下が魔王を愚弄するなどとこの時は全く考えもしていなかった。


 この発言を機にゾスとナイトランドの間で戦争が起きる等と予想もつかなかった。


 ただ、ローデンの火災やコンハーラが八大将軍になっている事に対する不安が胸中に渦巻いていた。

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