第45話 暗雲

 正直外交の席でどんな言葉が交わされたのか私は未だに掴んでいない。


 ただ、魔王に対して侮辱するような物言いをした陛下に対して、魔王は席を立ち、睥睨するように告げたと言う。


「皇帝たる汝の言葉、どれ程の重さを持つか分かっているのか?」


 と。


 それに対するロスカーン陛下の言葉は、正確には伝わっていない。


 だが、陛下は吐いた言葉を撤回する事無く、不戦条約の延長は反故となった。


 そして、私がローデンの大火災被害を調査中に、ナイトランドが兵を起こした。


 理由はガト大陸東部の混乱の一因はゾスにあると言う、何とも胡乱な物であったがロスカーン陛下の失言がもとで戦にまで発展したのは確かだ。


 ナイトランドと争っても何の益も無いと言うのに。


 攻めてきたナイトランド軍勢は総勢が三万ほどだったが、彼の国の兵員動員可能数はこの戦力の五倍はあろう。


 下手すれば二十万は動かせるかもしれない。


 ともあれ、今回の兵は三万だが、少数故にその動きは迅速だった。


 彼らはガザルドレスやパーレイジを通過して、ゾス帝国の国境に攻め寄せた。


 ゾス帝国よりは心情的にナイトランドよりの両国は、以前よりナイトランド軍の国内通行も許可する条約を結んでいた様だ。


 私とゴルゼイ将軍が交代した時期と重なり、東部の国境を守っていたコンハーラ、セスティー両将軍は連携おぼつかず各個に撃破され、撤退を余儀なくされた。


 ロスカーン陛下は条約が反故にされた時からカルーザスを呼び寄せていた様だが、バルアド大陸から帝都までは優に三カ月はかかる。


 帝都防衛はゴルゼイ将軍が受け持ち、遊兵としてテンウ、パルド両将軍がナイトランド軍の行動を遅延させる活動に入る。


 だが、ナイトランド軍は止まらない。


 率いる将は炎魔のジャネスと呼ばれる魔族で、その性は苛烈にして沈着だと以前メルディスからは聞いている。


 その評価に違わない戦ぶりはテンウ、パルドを合わせても引けを取らないどころか凌駕していた様だ。


 コンハーラ、セスティーが体勢を立て直した時には、既に帝都まであと一カ月と言う所までナイトランド軍は攻め込んでいた。


 その頃私もローデンから帝都に戻ったが、当時の混乱ぶりは凄まじい物であった。


 幾つかの報告はバラバラにもたらされ、情報の整理もままならない。


 漸く情報を纏めると……。


「何故、誰もナ軍の補給線を割り出していない!」

「偽装が上手く割り出せないと報告が」

「如何に偽装しようともやりようはあるだろう!」


 色々と穴が目立っていた。


 ゴルゼイ将軍らしからぬミスを訝しく思いながら、私はナイトランド軍の補給ルートの割り出しに兵を割く旨をゴルゼイ将軍に伝えに行く。


 取り次いでくれたギーラン殿も目の下に隈が出来ており、ゴルゼイ将軍は輪をかけて不健康そうだった。


「ローデンはどうだった?」

「ひどい有様でしたよ、彼等の神殿回りが特にひどかったのですがね」

「ロガ、お前が行って彼等も元気づけられただろう」

「泣いて喜ばれましたよ、宗教は、まあわかりませんな。それにしても……」

「不甲斐ない。ワシも老いた物よ。陛下を何度お諌めしても謝罪もせぬ、これでは戦を収められん」


 相手はもう勢いづいてしまっている。


 停戦に至るには一度立ち止まってもらう必要があるだろう。


 そう切り出して私は補給ルートを割り出して潰す旨を伝えると、許可はすんなり下りた。


「ロガよ、いや、ロガ将軍。ワシも老いたわ。帝都を守らねばならんと言う想いと、戦の非が此方にあると言う想いで混乱しておるのか、当たり前の事が分からなくなった」

「お疲れなのではないですか?」

「いや、こうなる前に職を辞すべきであった。ベルヌの奴は早々に悟っておったのだな……。すまん、これよりお主に帝都防衛の総指揮を任せたい」


 気弱な様子に不安を覚えながら、私は謹んでその申し出を受けた。


 普段のゴルゼイ将軍らしからぬミスが幾つも見て取れたからだ。


 陛下の元に報告に向かうと告げたゴルゼイ将軍は、最後に気になる言葉を告げていた。


 陛下の傍にいると、どうも思考が上手く働かないと。


 その言葉に何ともうすら寒い物を感じた私は、ゴルゼイ将軍の背を見送ってから、部屋を出る。


 と、部屋の外に控えていたギーラン殿がそっと呟いた。


「当たり前が当たり前でなくなる、それが老いなのかも知れませんな」

「将軍に老いが迫っていると? 更に年上のギーラン殿はそうは見えませんが?」

「相変わらずですな、ロガ将軍は。この爺が耄碌して居らん理由、それは権力の腐臭からは遠ざかる、これが秘訣ですな。……今の陛下の周りは腐臭がひどい」

「ギーラン殿」

「……失礼、年寄りは愚痴が多くていけませんな。……ですが、覚えておいてください。今、陛下をお止する者はいません。皇太后様は臥せ、カルーザス将軍はバルアドに、そして貴方はローデンに」

「ゴルゼイ将軍が居られる」

「そう言えれば良いのですが……ともあれ、療養は必要でしょうな、ダヌア卿には」


 そう告げるギーラン殿の顔にも疲労の色が濃い。


 帝都では何が起きている? 陛下の周りで何が起きている?


「皇后となるべき人物が、アレではどうしようも無い」

「陛下が、ご結婚されるのですか?!」

「……やはり伝えられておりませんか。あの女は誰よりもあなたを恐れておるようですな、ロガ将軍」

「あの女?」


 嫌な予感がする。


「ギザイア」

「馬鹿な」

「魔王は陛下を誑かすまやかしを見破り、ゾス帝国に何らかの手が及んだ事を察して兵を起こした可能性もありましょうな」


 何らかの手? それは、まさかオルキスグルブの……。


 バルアド大陸なまりのある女ギザイアが現れてから、ここガト大陸にきな臭い事件が増えた。


 この大陸に動乱を引き起こすのが彼の国の狙いなのか?


 それとも、単なる偶然なのか。


「……ローデンの街はどうでした?」


 考え込む私を前にギーラン殿は不意に話題を変えた。


「ひどい有様でしたよ。神殿回りが特に焼けていた」

「とあるご婦人より手紙を預かっておりました。この身に何かあった際はロガ将軍に渡してくれと」


 心当たりがなく、首をかしいだ私にギーラン殿は差出人の名を告げた。


 ローデンの巫女、ニアと。


 私を導いた少女と同じような瞳の色を持ったあの女性は、大火災で亡くなった。


 いや、彼女だけではなく神殿の関係者は多くが亡くなったと言う。


「何故、ギーラン殿に?」

「まやかしを破る術はそれなりに心得ておりますれば。最も、帝都を覆う暗雲には勝てませんが」


 そう告げながら手渡された手紙を受け取ると、ギーラン殿は踵を返した。


「ダヌア卿の療養願いを出してまいりましょう。後をお任せするのは忍びないのですが、支える主が倒れては私も面白くないのです」

「どちらで療養を?」

「帝都を離れて何処かで。カルーザス将軍かロガ将軍が戻らねば療養すらさせられませんでしたからな」


 そう告げて去っていく老武官の足取りは、何処か重かった。

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