第39話 停戦

 ホロン方面に突如現れたナイトランド軍。


 彼らがガルドの丘を再占拠したという一報は正に雷の如く帝国軍に響き渡った事だろう。


 この機を逃しては生き延びる事が出来ない。


 動揺している者は普段の力など出せない。


 不安が膨れ上がり戦意は乏しくなるからだ。


 立て直す時間は与えられない、帝国軍が持ち直せば私たちは敗北するだろう。


 私はそう強くローラン王に訴えかけて、全面攻勢を提案した。


 彼はしばし考えていたが、私の案に頷きを返す。


 そして明朝に戦闘開始すると取り決めて、各々御準備に向かった。


 慌ただしく動いているとすぐに朝は来てしまった。


 打合せ時間に進軍開始の合図を出す前に、今のうちに敵陣への偵察を出す事にした。


 既に帝国軍の動揺が立て直されていたらこの攻勢が無駄に終わる可能性が高くなる。


 その場合は、再び睨み合いの日々が続く訳だが……。


 そう懸念しながらも準備に時間を割いていると、放った偵察部隊が驚くべき報告を持ち帰った。


「無人!?」

「ほとんどの物資を置いたまま兵を退き上げさせています」


 罠か? 本当に退いたのか?


 ここに陣を張った帝国軍の目的が私の主力やカナトスの抑え込みだけであったのであれば、なるほど、帝都の危機となれば引き返すのは道理。


 しかし、カナトスを攻め落とすという目的の場合では引き返すなどと言う事があるだろうか?


 私たちを罠にはめるために細工した陣に引き込もうとしているのではないか?


 ……いつまでも考えていても仕方ない、一度ローラン王のもとに向かい今後を協議せねば。


※  ※


 私が敵陣の様子を知らせようとローラン王のもとに向かうと彼もどうやら敵陣の様子を掴んだところだったらしく、私の顔を見るなり敵が退いたようですがと声をかけて来た。


「罠なのか、背後を脅かされて退いたのかを確認しなくてはならないでしょう」


 私の言葉にローラン王は頷きを返し。


「全軍の警戒態勢を維持したまま幾つかの部隊に敵陣を調べさせましょう」


 敵陣に細工が無ければ物資を手に入れるだけでも大きな成果になる。


 その言葉に頷きを返しながら私も敵が本当に逃げたのだという確約を得るための行動を口にする。


「では、こちらからは敵の軍団が退いたのか否かを確認するために追跡の部隊を出しましょう。軍団の移動には痕跡が伴いますからね、追うのは容易だ」


 私の言葉にローラン王も頷きを返した。


 それからは全軍に気を抜かぬように通達して日が暮れるまで調査にあたった。


 結果、やはり帝国軍は退いたのだとしか思えなかった。


 互いの情報を共有してローラン王と私は夜半に一部の軍を動かし敵陣を占拠する事にした。


 その行動にも特に問題も生じずに、カナトス防衛戦は拍子抜けの状態で終わりを迎えた。


 そうなれば、ここからが本番ともいえる。


※  ※


 私はまず帝都に向けて停戦の用意がある旨を伝える書簡を捕虜に持たせ帰らせ、ナイトランド軍にも伝令を出してその様な考えである旨を伝えさせた。


 一方で帝都への書簡には私自身の帰るところをなくせば、自暴自棄となって帝都への進軍を開始せざる得ないとも慇懃に書いてやった。


 ルダイ陥落の報はまだ届いていないが、援軍があろうともいかに防塁を築こうとも劣勢であることに変わりはない。


 私としてはルダイ攻めを止めさせて仕切り直しがしたいのは当然だ。


 だが、帝都ホロンは備えも充実しておりナイトランド軍が攻撃しても早々に落ちはしない。


 だから、普通はこんな提案に乗る筈はないのだ。


 それでも私は勝算ありだと思っている。


 帝都は早々に落ちはしない、しないが数多の民衆が住んでいる帝都が徹底抗戦の一枚岩になれるかどうか。


 民衆と言ったって貧民から富裕層まで様々だ。


 無論、貧富の差だけが一つになるのを阻害していると言う心算はない。


 ルダイにも当然貧富の差はあったのだから、それでも帝都ほど顕著でもないし、飢えた者が出ないような施策は行ってきた結果、街の規模に比べれば一つにまとまっていたと思う。


 これこそ伯母上の治世の賜物だと思う。


 ルダイの予想外の抵抗は伯母上の半生が築き上げた結果と言える。


 だが、ホロンはどうだ?


 地方などに比べても、ロスカーンの悪政を目の当たりにしてきた人々が、帝国の為に苦難に耐えられるだろうか。


 私は耐えられないと思う。


 上が私欲に走れば、下も私欲に走りがちになるのが世の常だ。


 それに、もし民衆が先帝の治世の恩義に報いるためにと頑張っても上層部はどうか?


 権力者が諫言する者を遠ざけるような振る舞いをすれば、その周囲には権力者と同じ考えの者しか残らない。


 つまり、私欲を優先するような連中しかいない。


 いかに内心ロスカーンが帝国との心中と考えていようとも、今度はイエスマンに過ぎなかったはずのその取り巻きがそれを許すはずがない。


 彼らは自身の身が安泰であれば良いのだ。


 ロスカーンが欲望と理性の間でいかほど苦悶して帝国とギザイアを巻き込んでの心中を画策しようとも、彼らがそれを許さない。


 そして、私が少しばかりへりくだったりして見せれば彼らはプライドも満たされ安全が手に入るのだ、きっと提案を飲む。


 皇帝の周りにまだ士が居ればどう転ぶかは分からないけれど。


 それでも十分に勝算はある。


 後は連中がすんなりことを決めてくれることを願う間に、ルダイに戻る準備を押し進める。


 軍を率いての帰還であれば大抵の伏兵は踏みつぶせる。


 それに、カルーザス自身も潮目が変わってきたことに気付いているだろう。


 そうなればきっと退くはずだ。


 無駄に被害を出すことを良しとしないあいつならば……。


 私はそう信じて帰還の準備を進めていた。


 帝国が停戦の提案を受諾したと伝え聞いたのは、それから十日以上経ってから、カナトスよりルダイに戻っている最中の事だった。


 ルダイは遂に落ちなかった。


 その事に安堵しながら、私は馬上である天啓を得た。


 今ならば、帝都攻めの好機ではないか、と。


 ……いや、これは天啓ではなく悪魔のささやきだ。


 大いなる賭けに勝てれば良い、最大の戦果が転がり込んでくる。


 だが、私は幾つかの勝利に酔いしれて成功を妄想する暇はないと首を左右に振った。


 成すべきことは山積みだ。


 ルダイの復興にナイトランドへ向かい魔王との盟を正式に結ぶこと。


 この二つの課題をこなさずに帝都を攻めるなど愚の骨頂だ。


 勝利を積み重ねると知らずに驕りが生まれるものなのだろう、恐ろしい事だ。


 今、私が成すべきことは自分を見失わずに彼我の戦力差を考えて立ち回っていかねばならない。


 機は必ず来る、その時までは軽々に動かぬ事さ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る