ベルシスの根底(過去世か妄想)

第2話 矢傷を負い思い出す

 命が零れ落ちる感覚、痛みと熱、そして忍び寄る死の冷たさを感じながらも、私の脳裏に記憶が巡る。


※  ※  ※


 私はかつて私自身が何と言う名前だったのか、どういう労働に従事していたのかはよく覚えていない。


 ただ、そこの労働は異常だった。


 今思い出せば、それは労働と言うよりはやはり労役であるように思われた。


 重労働の奴隷たちですら日没には身を休めることが出来ると言うが、私の労役場所は一日働くことが美徳であるかのように扱われていた。


 身をろくに休ませることもないままに、労働日程に流されるように働く毎日。


 シャインと呼ばれた私だが、それが実際にはシャチクと呼ばれる奴隷のような存在であることを半ば自覚していた。


 だが、そうして働く事こそが最上であると刷り込まれていた。


 働くのは単に飯の為と思っていても、何度となく書かされるレポートや研修の結果、その認識がいつしか歪められていたのだ。


 そんな怖気おぞけが走る状況から抜け出したのには一つの転機があったからだ。


 それは、私があるプロジェクトの責任ある立場に抜擢された事による。


 と言っても、抜擢されてすぐに抜け出せたわけではない。


 責任者になってから倒れるまでが、真の地獄の始まりだった。


 それまでは、酷い日程に愚痴を言いながらも、何とか自分の務めだけを果たしていれば良かったのだが、この日を境に今までの状況すら甘いと言えるのだと気付かされた。


 作業に対して短すぎる工程期間、直属の上司の思い付きでコロコロと変わる状況、疲れ切って疲労の色が濃い部下達の怨嗟じみた嘆き。


 そんな状況下であっても工程に遅れがあれば、上司から容赦なく罵声が飛び、無能のレッテルを張られ、問答無用で頭を叩かれた。


 それでも生きるために、飯を食うために必死で働いたが、部下が一人倒れてしまう。


 もはや限界だと労働力の補充を求めるもその要請は無視され、早く終わらせろと矢の催促に晒された。


 そして、補充のないまま無理難題のみが突き付けられ続けた。


 私は倒れた部下の分まで働こうと足掻き、朝早くから夜遅くまで働いた。


 昼夜問わず働き、罵声を浴び、急な仕様の変更に恨みを吐き出す様な日々は、長く続くはずがない。


 無理な労働の挙句に過労とストレスからか、私の胃に穴が開き、数日ぶりの帰宅途中に血を吐き道端で倒れてしまった。


 その後、善意の第三者の手により大きく立派な療養所に担ぎ込まれたのだ。


 人前で倒れてしまった私を、仕事場は世間体からか連れ戻すことが出来なかったようで、仕事を別の者が引き継いだ。


 私は嫌味を言われながらも突如労役から解放されたのだ。


 貯えもそこそこにあったおかげで、療養生活を満喫できた。


 朝に起きて、夜に眠ると言う当たり前の生活に、私は喜びを感じ、今まで働いていた状況が異常であることに気が付いた。


 だから、部下や私の役目を引継いだと言う後輩の事がひどく気掛かりだった、彼らは未だに異常な労働環境の中にあるのだから。


 その一方で体が癒えたら、あの地獄に戻らなくてはいけないのだと思うと、上向いた気分は一気に沈み込み、逃げだす算段ばかり考える様になっていた。


 そんな異常な労働状況への恐怖と逃亡計画を練る日々が不意に終わりを迎える。


 私の立場を引き継いだ後輩が、自死してしまったのだ。


 妻と幼い子供を残して。


 日々の出来事を綴る日報でそれを知ってしまった私は、あまりの事に居た堪れなくなり、思わず療養所を抜け出した。


 気付けば、陽が沈みかけた街の中を寝間着姿で彷徨い歩いていた。


 街行く人々が奇異な視線を向けてくるが、声を掛ける者はいなかった。


 私は気恥ずかしさを覚えて、戻ろうかと考えた矢先、ある物を見つけて視線が釘付けになった。


 店頭に並ぶ四角いガラス細工の様なものの中に映る人影を。


 遠隔地の出来事を見せてくれるその道具の名前を忘れたが、それに私の働いていた所の最高責任者が映っていた。


 彼が告げる。


「当社の社員が自殺した事に哀悼の意を捧げますが、しかし、これは彼の個人的な事情であり」

「労働基準法の定めた残業時間を超えて働かされたと言う話もありますが!」

「当社は法律に則り仕事に従事しておりますので、その様な事はありえません」

「前任者や他の方も過労で倒れたとも聞いてますが!」

「個々の事情に関しましては、今ここでコメントする訳には……」


 事務的で他人事のような答弁だった。


 いや、それどころか自分たちは欠片も悪くないとでも言いたげな物言いだった。


 最高責任者は悲しんでいるような表情を浮かべていたが、その双眸には明らかに面倒そうな色が見て取れた。


 後輩の顔が不意に思い起こされる、そして見せられた写真に写っていた彼の妻と息子の顔が。


 自分自身の心臓の音がやたらとうるさく感じた。


 心音と共に聞こえてくる心のこもっていない最高責任者の言葉が、思い出された後輩やその家族の顔が、うるさいまでの心音が、私の胸の奥底で眠っていた感情を鷲掴み、表層に引きずり出した。


「許せるものか……」


 小さな呟きと共にあふれ出たその感情の名は、怒りだった。


 この野郎……人を人とも思わぬ行いをしておきながら、何て言い草をしやがる……。


 そう考えれば、あふれ出る怒りに歯止めが利かなくなっていく。


 だから、私はある決意をしたのだ。


 後輩は私の代わりに死んだようなものだ。

 

 私自身も過労で倒れた、ならば一度死んだようなものだ。


(だったら……だったら、とことんやってやろうじゃないか! 人を人と思わないブラックを叩き潰してやる!)


 その怒りに流された自棄気味な決意を、今の私も否定する事ができない。


 人を人と思わぬ所業は、私が最も忌むべきところだからだ。


 その後、私は療養を終えると最高責任者と所属していた組織を相手取り訴えを起こした。


 そう言う方法でしか戦うすべを見つけられなかったからだ。


 だが、訴えを起こしたことにより、私の死は決まった。


 訴えの結果が近々出ると言う時期に……直属の上司だった男に私は刺されてしまったのだ。


「俺には仕事しかないんだ! 他に居場所が無い! こうするしか!」


 厚かましくも訴えを引き下げろと頭を下げに来た元上司に、無理だと伝えた途端に刺されたのだ。


 馬鹿な事を……。


 痛みと酷い熱を脇腹に感じ、命が零れ落ちる感覚に絶望を覚えるも、それ以上の憐れみを元上司に覚えて、口の端から血を流して言葉を絞り出す。


 「奥さんと……娘さんも……殺人犯の家族となってしまうのに」


 何とかそう言葉を絞り出したつもりだが、元上司に届いたかどうか。


 崩れ落ち地に伏す最中も、幾つかの悲鳴や怒号が響いていた。


 私の中には痛みと共にいくつかの無念が渦巻き、健在であった父母に申し訳なさを覚えていた。


 それらの思いも死への恐怖も徐々に失われていく。


 そして暗闇の中で遠くから甲高い救急車両の奏でる音を聞き取ったのを最後に、私はすべての感覚を失った。


 その次に気付いた時には、私は私として今の父母と共に暮らしていた。


 ゾス帝国八大将軍の家系の一つ、ロガ家の嫡子として。


 これが、夢とも妄想とも分からないが、母に抱かれて眠っていた頃よりもなお、古いと私が認識してしまっている記憶のようなものだ。


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