第36話 皇帝倒れる

 アレクシア様が亡くなってからも私は忙しい日々を過ごしていた。


 感冒の大流行の所為で市場経済が滞りがちになり、帝都でも失業者が俄かにあふれ始めた為に、臨時で失業者を雇い入れてインフラ整備を敢行していた。


 だと言うのに、春は間近と言う季節から野盗の出没が報告されるようになった。


 失業対策は貴族院で幾つかの法案が可決されて施行され始めていたし、小麦の無料配給も行っていたが、帝都を離れればその恩恵が届くのに時間は掛かった。


 その為、若くして八大将軍となった三人の将軍たちの手も借りねばならなかった。


 彼等の一人、セスティー・カイエス将軍が帝都近辺を治安維持部隊を率いて出立して一カ月ほどした頃。

 

 魔術師のアニスを通じてセスティー将軍から連絡が入った。


「ほ、報告します!」

「落ち着きたまえ、カイエス卿。賊は?」

「その殆どを捕縛いたしましたが、山賊の首領は、その、と、取り逃がしました」

「……一人では何もできまい。ご苦労だった、カイエス卿」

「そ、その前に、報告があります! 今回、被害にあった村でトルバ村だけが非常に大きな被害を受けており」

「……何?」

「村の半数が焼け落ち、村の維持が困難な状況です。いかがいたしましょうか?」


 トルバ村。

  

 あの、小さなコーディはお姉さん共々元気でやっているのか。


 ……何が野盗は出にくくなるはずだ、僅か数年でこの様か!


 私は度し難い偽善者だな。


「ロガ卿?」

「再建の為に尽力を尽くさねばならない。輜重隊を向ける、カイエス卿は帰投してくれ」

「テンウ、パルド両名の補佐に向かわずとも?」

「其方ももうすぐ片がつくそうだ」

「了解しました」


 その言葉の後に伝達は途切れた。


 ふぅと小さく息を吐き出して、アニスは軽く肩を回してから私を見やる。


「自分を責めるもんじゃないよ、将軍」

「男の子か女の子と話をした村だ。半分も焼け落ちてしまったそうだ」

「……」

「アニス、今度君の所の息子連れて来てよ」

「人の息子に癒しを求めるんじゃないよ、全く。将軍も早く結婚したらどうだい?」


 ぴしゃりと言われてしまう。


 アニスが子供を産んで既に四年。


 四歳の男の子は可愛い盛りで、会うとしょーぐん、しょーぐんとよく懐いてくれた。


 可愛い。


 いわれるまでも無く、そろそろ妻や子供を得たいとは思うのだが、こればかりは巡り合わせだからなぁ。


 と、この様に現実逃避を重ねていると、ブルームが私の執務室に駆け込んでくる。


「大将! じゃない、将軍、大変だ!」

「年々口調が崩れるのどうにかしろ。それで、どうした?」

「陛下がお倒れに!」

「っ!」


 私は慌てて立ち上がり、執務室を駆けだした。


※  ※


 陛下は今寝室で臥せておられる。


 傍に居たと言う衛兵幾人かに状況を問いただすも、どうにも要領を得ない。


 政務の最中に倒れられたようだが、感冒の兆しはなかったと言うから疲労なのか……。


 私が陛下の寝室の前でうろうろとしていると、一報を聞きつけてか見知った顔が幾人か姿を見せ始めた。


「陛下は?」

「お臥せになられているそうだが、中に入る事は医者に止められている。レトゥルス殿下と医者だけが陛下の傍に」


 偶々国境から戻ってきていたカルーザスが声を掛けて来たので、状況を手短に伝える。


 伴侶たるアレクシア様を亡くされて、心労が祟ったのではあるまいか……。


 不安そうな私をカルーザスは静かに見やって、小さく告げる。


「まずは落ち着け、ベルシス。随分と顔が青いぞ」

「あ、ああ。すまんな……慌てふためいたせいか、な」


 歯切れの悪い私を困ったように友は見ていたが、陛下の寝室の扉が開かれるとそちらに視線が向かった。


 当然私の視線も。


「お前さんらも来ていたのかい」

「これはレトゥルス殿下……陛下の容態は?」

「陛下はお目覚めになられた。……おお、丁度両翼揃っているな。話があるそうだ、入りな」


 レグナル卿の問いかけに殿下が答えると、安どの空気が広がる。


 だが、レトゥルス殿下は口を一文字に引き結んだまま、集まったお歴々の中から私とカルーザスを見つけると、手招きして陛下の寝室に我らを招き入れた。


「お話とは、どのような?」

「ベルヌ卿が引退した以上は、八大将軍筆頭を決めなきゃならねぇだろう?」


 私の問いかけには事務的な話だよと殿下は笑いながら告げやり扉を閉めた。


 廊下で響いていたまずは大事無くて良かったと安堵する声も、扉が閉まれば聞こえなくなる。


 静かな寝室は、まるで廊下とは別の世界の様に重苦しく感じる。


 陛下が横たわるベッドのそばに近づいた時に、私もカルーザスも気づいてしまった。


 陛下の顔に生気が感じられず明らかに死相が浮かんでいる事に。


「ご無理をなされますな」


 カルーザスが微かに震える声で、そう告げると陛下はうっすらと笑みを浮かべて言葉を紡がれた。


「そなたは心配してくれるのか?」

「当然ではありませんか」

「恨まれていると思っておったが」

「養母エルーハより聞いておりますれば、何を恨むことなどありましょうや」


 カルーザスと陛下の静かなやり取りを黙って聞いていたが、不意に陛下が私にも声を掛けられた。


「ロガ卿、態々すまぬな」

「いえ。ですが、私もカルーザスに一つだけ伝えたいことがあります」


 私の言葉に陛下も殿下もカルーザスも不思議そうな顔をした。


「我が友カルーザス。こういう場面では父上と呼び掛けて差し上げろ」

「ベルシス、お、お前……」

「……そうだな、ロガ卿の言う通りだ。お前もそう呼んでやれ、カルーザス」

「レトゥルス殿下……」


 私の言葉と殿下の言葉を受けて、カルーザスは逡巡した。


 そして、陛下に向かって告げた。


「父上……」

「苦労を、掛けたな、息子よ……」

「そ、そのような事は決して……決して……」


 カルーザスの双眸から涙がこぼれ落ち、陛下も涙をこぼされていた。


 それを見守る殿下も涙ぐんでおられるようだった。


 ……でも、一番泣いているのが少し離れた所に立っている、全く無関係な医者なのが何ともおかしい。


「ロガ卿……見苦しいところを見せたな」

「何を仰いますか。このベルシス、この情景を見れただけで感無量です」

「そなたは余にできぬことをやすやすとやってのける。後宮改革もそうだった」

「私には守るべき者が少なかった事が幸いしただけです」

「謙遜しおる。……ロガ卿ベルシス、本日、今この時よりそなたが八大将軍筆頭である。異存ある者はおるまいな?」


 陛下が突然そう言い切ってから、周囲を見渡す。


 レトゥルス殿下もカルーザスも異議なしと答える、医者はまだ泣いている。


「――私が?」

「そうだ。ダヌア卿もそなたを推挙しておる。……帝国の事を頼むぞ」


 そう仰せになった陛下の顔を見て、私は出かかった反論を飲み込まざる得なかった。

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