第4話 レベルアップです。

「許可が得られませんでした……」


 次の日の朝10時きっかりに俺の部屋を訪ねてきた山田さんが憔悴しきった表情でそう告げた。


「長老会……いえ、上層部に申請してみたのですが『現状では時期尚早』と却下されまして」


 それでも明け方まで粘ってはみたのですという彼の切れ長の目の下にくっきりとクマが浮かんでいた。


 俺は「どうせ異世界なんて嘘っぱちだろ」と言いつつも「もし本当に異世界が有るのなら行ってみたい」とも思っていたのに。

 一晩中、そんな期待と不安に揺れて眠れなかった……というのは大げさだが、期待を裏切られた感は半端なかった。


 自分自身、そんなに『異世界』という物にあこがれていたのか。


 思春期の中高生としては当然の反応かも知れないが、オカルトなんて信じないと日頃から公言してる俺がそんな事を思っていたなんてクラスメイトに知られたら馬鹿にされるだろうな。


 山田さんは疲れ切った表情で頭を下げている。


 なんだか俺が凄く酷いことをしているような気分になるのでそろそろ頭を上げて欲しい。

 このまま何も言わずに居ると彼はそのまま頭を上げなさそうなのでとりあえず声をかけてみる事にする。


「わかりました、わかりましたから頭を上げてください山田さん」


 俺のその言葉に彼はゆっくりと頭を上げ「本当に申し訳ございません」とさらに謝罪の言葉を口にした。


「元々異世界とか信じていませんでしたし、もう謝らないでください」

「で、ですが」


 俺の「異世界なんて信じない」発言に少し辛そうな顔をしながら彼は何かを言いかけたが、結局は何も言わず口をつぐんだ。


 異世界を信じさせる材料が今はない事に気がついたのだろう。


 しかしこの時には俺も山田さん自身に対しては当初のような警戒心はかなり薄れていた。

 この真面目なサラリーマンスーツのイケメン自称エルフからは全く人を騙そうとするような悪意を感じなかったからだ。


 まぁ、実際はいい人そうな人ほど詐欺師であると言われているのだが、この時の俺はそんな知識も経験もまだなかった。

 自分のことをエルフだと言い張ってる事に関しては信じるつもりはないのだが、会社に逆らえない哀しいサラリーマンの性(サガ)は理解してあげないといけない。


「取り敢えずミニ世界樹の契約について聞きたいことがありますので上がってください」


 俺は山田さんを部屋に招き入れて必要だと思った事の確認をする。



 確認したことをQ&A方式で並べると以下のようになる。




Q・ミニ世界樹の契約でお金がかかる事があるのか?


A・ありません。今回は我が社からのプレゼントですので商品自体完全無料です。後の課金もありません。




Q・ミニ世界樹の契約者(モニター)としてユグドラシルカンパニー等に対して何らかの報告義務はあるのか?


A・ありません。ただ出来れば時々でも良いのでミニ世界樹の状態等を教えていただけると幸いです、が、それについても強制ではありません。




Q・今後、このミニ世界樹を育てることによって俺に何らかのデメリットはあるのか?


A・デメリットどころかメリットばかりと断言いたします。 キチンとお世話さえしていただければ世界樹は恵みをもたらしてくれますし、災厄を祓ってくれます。




 等々、俺は頭に浮かぶ限りの質問を山田さんにした後、正式にミニ世界樹を受け取ることにした。


 いや、もう受け取って育て始めてはいたのだけれど。




「もしも枯らしてしまった場合はどうなるんですか?」


 俺のその質問に対して彼は予想外に嫌な顔ひとつせず、それどころか少し微笑みまで浮かべてこう言った。


「その時は我が社が引き取らせていただきます……ですが、田中さんが育てている限りその心配は一切しておりません」


 つい先日初めて出会ったばかりなのに、どうしてそこまで俺を信用してくれるのか。

 彼の曇りなき笑顔を前にして俺は逆に戸惑いを覚えるしか無かった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ミニ世界樹について俺が聞きたいことを聞き終えた後、目の下にクマを浮かべた山田さんは「この度はすみませんでした。でも何時か必ずご招待いたします」と何度も謝りながら隣の部屋に帰っていった。


 その背中を見送りながら「やすらかに眠りたまえ…自称エルフの生真面目サラリーマンよ」と、口には出さず、俺は彼の安眠を願った。


 山田さんが去った後、俺はミニ世界樹に今日はまだ水を与えてない事を思い出し、ヤカンに水を入れてケースの天辺(てっぺん)にある窪(くぼ)みへゆっくりと注いでやる。

 彼に貰った取扱説明書によると、ミニ世界樹には特に養分剤を買ってきて与える必要はないらしい。


 基本は普通の水道水を毎日適度に与えてやれば良いとの事。

 空気中の魔素を自分で吸収して成長していくだのなんだのと山田さんは言っていたけど、光合成をそういう『設定』にしているのだろうと思って彼の説明を聞いていた。


 とにもかくにもミニ世界樹の育て方が予想以上に簡単だったのが救いだ。

 今まで植物を育てた経験がほとんど無かったので、枯らしてしまう事を恐れていたけれど大丈夫そうだ。


 しばらくして水がケースの中に流れきったのを確認してから、そっとミニ世界樹を窓際の光が当たるところへ置いてやる。

 葉に滴り落ちた水の粒がキラキラ反射して綺麗に輝いている。


「綺麗だ……」


 心のなかで思ったことをつい口に出てしまうほどにミニ世界樹は幻想的だった。


「これから育てていくのなら名前付けてやった方がいいかな? いつまでもミニ世界樹って呼んでるのも味気ないし」


 生まれてこの方、マンション・アパート暮らしでペットすら飼えなかった俺としては、そう言う名付けに憧れていた。


 初めて名付けるのが動物じゃなくて植物なのはこの際問題ではない。

 この先、愛情を持って育てていくにしても名前をつけるという行為は必要な儀式なのだ。

 俺はそんな事を思いつつ名前を考える。


「ミニ世界樹だからミニ?いや無いな。ミセ……世界樹はユグドラシルだからユグ…ミニユグドラシル……略してミユか。そうだミユにしよう!」


 そう決めた瞬間、窓際に置いたミニ世界樹の葉に浮かぶ水滴のキラキラが一瞬強く光った様に感じたが、光の加減だろうと気にはしなかった。


「今日から君の名前は『ミユ』だ。宜しくミユ」


 この時から俺のミニ世界樹の名前は『ミユ』と決まったのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 特に大変なことをした訳ではないけれど、ひと仕事終えた気分になった俺は山田さんの訪問ですっかり忘れていた朝の歯磨きを済ませてから朝食を取り日課のネットサーフィン(死語)を開始する。


 一通り巡回した後は録画した深夜アニメを消化しているうちに昼になる。


 あまり日に当てすぎるのも良くないかとミニ世界樹のミユを窓際のひだまりからパソコンデスクの空きスペースへ移動する。

 これからはここを定位置にするつもりだ。


「あ、そういえば山田さんに貰った瓶があったな、試しにアレを使ってみようかな」


 パソコンデスクの上に無造作に置いて放置していた小さな瓶を、山田さんがやっていた様にミニ世界樹『ミユ』のケースの上の窪みに設置する。


「このまま置いておけば自然にスーパーユンケ○もどきが溜まるって言ってたな」


 山田さん曰く、急ぎでない場合はあのこっ恥ずかしい呪文(笑)を唱えなくても置いておくだけで徐々に栄養剤……もとい『世界樹の雫』は溜まっていくらしい。

 別段急いでいるわけでもないし、何よりあの恥ずかしい呪文を唱えるのは中二病をとっくに卒業した俺には無理なのでこの方法を試してみることにしたわけだ。

 ちなみに呪文の文言は取扱説明書に書いてあるので、忘れてしまっても安心だ。


 あの恥ずかしい言葉を使う時が来ればの話だが。



 その説明書の呪文についてもう一つ山田さんは気になることを言っていた。


「ミニ世界樹が成長すると使える呪文が増えて、説明書に呪文が自動的に追加されるとか言ってたけど謎技術すぎるだろ」


 半信半疑どころか疑惑99%でその話を聞き流していたのは言うまでもないだろう。

 そもそもケースの上に置いた瓶の中に液体が溜まっていく原理も謎ではあるのだが、それについては実際に目にしているのであえて気にしないことにした。

 幼いころ、あんりいろんなことを気にしていると禿ると爺ちゃんに真剣な目で言われたからだ。


 真剣な眼差しでまだ幼かった俺にそう教えてくれたその賢人の頭は見事に禿げていた…きっと考えすぎたのだろう。


 経験者の言葉はそれほどまでに重いのだ。




 今日は特に出かける用事も無いので、昼からもダラダラ積読(つんどく)状態で放置していたラノベの山を処理して過ごす。


 一体いつまで続くんだよ、もう最初の頃の話覚えてねぇよ!と毎回新刊出る度に思う長編ラノベの最新刊を読み終わった所で、本日二度目の水やりにキッチンへヤカンを取りに向かう。

 ついでに冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出して自分用にコップへ注いでから部屋に戻る。


「俺も一緒に給水するわ」とミニ世界樹『ミユ』に語りかけながらケース上部へヤカンの水を注ぎ、その水がケース内に落ちて広がるのを見ていた。


 その様子を眺めつつ自分も麦茶を一口飲む。

 やはり暑い時期に飲む麦茶は格別だ。


 コップをいつも置いていた場所は今ミニ世界樹『ミユ』が鎮座している。

 とりあえずPCデスクの上にある本来ならプリンター用の台が開いているので、そこに置くことにした。


 プリンターは昔買って年賀状印刷に少し使った程度で、気がつくと目詰まりし使い物にならなくなった経験からそれ以降買っていないので、その場所も今は適当な物を置く場所になっているというわけだ。


 

 一息つきながら俺はミニ世界樹『ミユ』を眺める。


 水を浴びて煌めく『ミユ』の姿はたしかに世界樹だと言われても信じたくなるくらいの神秘さを醸し出している。


「俺が想像していた世界樹って、天を貫く巨木って感じだけど、ああなる前はこんなに小さいのかねぇ」


 どんなに大きな植物でも、最初から大きいわけは無いんだよな。

 俺はそんな事を考えながらミユを見つめる。


「世界樹のロリっ子と考えると萌えなくもない……」


 誰かが聞いていたらドン引きしそうなことを呟き、俺は一つ欠伸(あくび)をする。


「眠い」


 朝早く起きすぎたのでまだ夕方前だと言うのに、暖かな日差しの中、揺れるミニ世界樹の葉を眺めているうちに眠気が襲ってきたのだ。

 俺はそのままパソコンデスクに上体を突っ伏して少しの間、仮眠を取ることに決めた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ビクッ!


 ガタン!


 バシャッ!




 椅子に座って変な姿勢で眠っていたせいで、目が覚めると同時に体がビクッと動いてしまった。

 膝を濡らす嫌な感覚に意識が一気に覚醒する


「あちゃー」


 俺は目の前のパソコンデスクの惨状に目を覆う。


 ビクッとした時に足でパソコンデスクを蹴飛ばしたせいで上に置いてあった麦茶の入ったコップが落下。

 その結果ミニ世界樹『ミユ』のケースの上に置いてあった瓶を巻き込んで周囲に麦茶と瓶に溜まっていた世界樹の雫こと高級栄養剤が撒き散らされていた。

 幸いパソコンデスクの周りには何も置いて無かった上にキーボードには麦茶はぎりぎり届いていなかった。


 とりあえず俺はキッチンから雑巾を持ち出してちらばったガラスの破片を片付けてからフローリングの床を拭いて回る。

 床の後にミニ世界樹『ミユ』のケースの上に残った瓶のカケラを片付けているとケースの中に麦茶が流れ込んでいる事に気がついた。


「まぁジュースじゃなくて麦茶だから水みたいなもんだし大丈夫だとは思うけど」


 あとで山田さんに聞いてみるかなと思いながら一通り周りを片付ける。


「ふぅ……焦った。キーボードが浸水したら洒落にならないところだったわ」


 目が覚めてすぐに色々騒がしく働いたせいで精神的に疲れた。

 俺は一息ついて、どっかりと椅子に座り込む。


「もう一眠りするかな」


 すっかり気を抜いたその瞬間を狙ったように、突然俺の目の前に置いたミニ世界樹『ミユ』のケースからファンファーレが鳴り響いた。



 パラララッパッパッパー♪



「なんだ!? 何が起こったんだ」


 俺がその音の出処であるミニ世界樹のケースに目をやると、ただの台座だと思っていたケース下部の部分に電光掲示板のような文字で「LEVEL UP LV.2」と文字が浮かび上がった。


「レベルアップ?」


 俺がその文字に首を傾げていると、台座からさらに「進化レベルがアップいたしました。 新たな呪文が使えるようになりました」と女性の声が響く。


 既に俺の頭の中には「?」がいっぱいだ。


「どういうことなの?」




 俺のそのつぶやきと、部屋の扉が大きな音を立てて開いたのは同時だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る