最終話 こんにちは。また隣に越してきた山田です。

「たーくん! 忘れ物無い?」

「無いよ! 多分」

「多分じゃないわよ。出ていく前にもう一度確認しておきなさいよ」


 木之花咲耶姫の中で両親と再会したあの日から、もうすぐ五年が経とうとしていた。

 琥珀の中に閉じ込められたおかげで魔素侵食を逃れた人達も、次々とスズキさんの協力で実験をしていた装置が完成した事によって魔素合わせが行われ、地球に待つ家族の元へそれぞれ帰る事が出来た。


 そしてもちろん我が家にも両親が帰ってきたのだが、流石にあの狭いアパートの一室で一緒に暮らすのは無理があった。

 なので二人は空き部屋だった202号室に入居する事になり、朝食だけ俺の部屋でみんな一緒に食べるというおかしな事になっていた。


 当時は突然帰ってきた航空機消失事故被害者達に対する話題の波にもみくちゃにされながらも、ユグドラシルカンパニーが暗躍したおかげで今ではかなり沈静化している。

 だが、帰還作戦とその事後処理に奔走するために山田さんはほとんどこのアパートに戻ってくる事が無く。

 同じく高橋さんもスペフィシュから帰ってくる事がほぼ無いまま――。


 やがて俺の部屋の左右は、いつの間にか荷物も片付けられて、ガランとした空き部屋になっていた。


 今は婆ちゃんと呼んでいる大家さんも、いつの間に部屋がもぬけの殻になっていたのか知らなかったらしい。

 ただ、家賃はまだ数年分ほど先に納められているので、もし新しい入居者を探すにしてもその後だと寂しそうに教えてくれた。


 俺はユグドラシルカンパニーにミユを迎えに行ったついでに、山田さんにその事について尋ねてみた。

 彼は俺が声をかけるのもはばかられるほど忙しく走り回っていて、昔のように長く話す事も出来なかった。


 彼が言うには、しばらくアパートに戻れないために植物の世話が出来ないので、一旦部屋を引き払う事にしたとの事。


 俺が世話してあげても良かったのに。


 そんな言葉が喉まで出かかったけれど言えなかった。


「やっと地球の人達については、ほぼ帰還作戦は終わりました」


 そんな話を聞いたのは冬頃だったろうか。

 すでに俺も両親との生活に慣れ始めていて、学校もなんとか卒業の目処が付いた。

 その事を彼に報告に行った時の事。


「それじゃあもうすぐアパートに帰ってくるんだ?」


 俺が内心の嬉しさを押し隠しながらそう尋ねると、彼は静かに頭を振って。


「実はもう次の計画……地球の聖域にいる皆さんを、それぞれの『世界』へ送り届ける作戦が始まるのです」


 俺は山田さん達と行ったあの聖域の皆の事を思い出す。

 彼らの中にはすでに魔素浸食や高齢化で限界に近い人達も居たはずだ。


「私達ユグドラシルカンパニーの存在理由は、世界樹をなくした世界で新たな世界樹を育てる事と、世界間衝突によって強制的に別世界に飛ばされた人達を助ける事なのはもうご存知でしょう? 私はその責任者として各世界を回ってこなければなりません」

「それってどれくらいかかるの?」

「最初の計算では数百年……」

「数百年!」


 思わずその途方も無い年月に声を上げてしまう。


「ですが、今はティコ様の力で世界間を簡単に移動できるようになりました」

「そっか、ティコなら世界が寄ってくるのを待たなくても直接向かう事が出来るんだ」


 女神である吉田さんことヨシュアさんが育てたミニ世界樹ティコライ。

 その特殊な力は世界をまるごと移動させることが出来るというとてつもない物だった。

 そんな能力を得た理由が、離れてしまった吉田さんに会いたかったからだなんて。

 今でこそ笑い話だけど巻き込まれたのが俺じゃなければ大惨事だったろう。


「ですので、確実な事は言えないのですが数年以内には必ず戻ってきます」

「数年……」

「ええ、その時には高橋と一緒に田中さんのお母様の手料理を食べさせてもらいに行きますね」


 そして彼は数日後、地球から姿を消した。

 代わりに何故かこの世界に吉田さんが時々遊びに来るようになったのだが、その話はまた別の話である。


 あれから五年。

 俺は留年しかけていた高校を無事卒業し、そして大学までなんとか卒業。

 今日から社会人になる。


 勤め先はもちろんユグドラシルカンパニージャパン。

 というか、この世界の世界樹ミユのマスターである俺には、他に選択肢は無かったとも言える。


「おかげで入社試験とかほとんど無くて楽ちんだったけどな」


 特に他にやりたい仕事があったわけでもないし、世界樹の加護を強く受けている俺ならユグドラシルカンパニーの仕事としてだが、いろいろな世界を旅する事も出来るというのも魅力だった。

 普通の人たちなら、魔素侵食によって出来ない事も俺なら可能なのだ。

 もちろんまだまだ危険もあるだろうけれど、それを心配する心より楽しみにしてる気持ちの方が大きい。


「百年もすれば異世界間旅行も可能になるらしいけど」


 世界樹を失くした世界に、新たな世界樹として木之花咲耶姫の娘達が次々に進出。

 初期のテスターであるミユ達からのフィードバックを受け、今ではかなりの世界で新たな世界樹が根付き固定化して安定させている。

 そして、その全てが大本は木之花咲耶姫の分身体の様な物だ。


 つまるところ新たな世界樹が育った世界は、その世界に元々存在した魔素と、木之花咲耶姫の魔素がミックスされた新たな魔素の世界になる。

 そして同じ木之花咲耶姫から分派した世界樹同士は、彼女を通して一つの巨大な世界間ネットワークを構築するらしい。


「まぁ、よくわかんないけど結果的にどの世界の魔素も同じような構成になるんだっけかな。俺にはあんまり関係ないけど」


 前にミユが熱心に説明してくれたのだが、ほとんど聞き流していたせいでうろ覚えである。


 そのミユも最近は一週間のうち三日ほどユグドラシルカンパニーに泊まり込みで作業を手伝っている。

 なので、初出社の記念日だというのに、愛する娘の見送りが無いのが寂しいところだったりする。


「ハンカチと社員証は持ったか」

「当たり前だろ、もう昨日のうちにスーツのポケットに入れておいたよ。それより父さんも会社に行く準備しなくていいのかよ」

「ん? 今日は昼からだから大丈夫だ」


 父さんも母さんもすっかり元の生活に戻っている。

 変わったのは家が一軒家からこのボロアパートに変わった事と、父さんの仕事先が『国』に変わった事くらいだろうか。


 あの事故によって戻ってきた人達の一部は、それぞれの国で異世界との外交を担当する役割を受け持つ事になった。

 それには色々理由があるのだが、その話はまた別の機会にする事にしよう。


「さて、着替えるか」


 俺は部屋に吊しておいた真新しいスーツを手に取る。

 これは、もう随分長い間会っていない山田さんから、俺宛に入社祝いだと贈られてきた物だ。

 なにやら彼が愛してやまないブランドのジャパニーズビジネスマンスーツらしい。


「まさか俺がこんなスーツを着て会社に行くようになるなんてな」


 ハンガーから外したスーツのジャケットを羽織り、ボタンを留める。

 いったいいつの間にサイズを測ったのか、とてつもないフィット具合に驚く。

 といってもまだスーツを着るというより、スーツに着られている感は拭えないが。

 いつか俺も山田さんのように自然に着こなせるようになるのだろうか。


 いや、彼の場合は北欧系のイケメン顔なのにあのスーツだったから、初めて会った時は違和感の方が強かったけどさ。


「さて、それじゃあいってきます」

「気をつけてね」

「がんばるんだぞ」


 四月の頭の涼しい風が部屋の中を通り抜ける。

 それでもしばらくすればこんなスーツでは拷問になるほど暑い夏がやってくる。


 俺はあの日失くしたはずの両親のその笑顔に軽く手を振りながら玄関へ向かった。


 ぴんぽーん。


 俺が真新しい革靴に足を突っ込もうとしたその時、何の前触れも無くアパートの呼び鈴が鳴る。

 こんな朝っぱらから宅配便なわけ無いし、もしかして新聞の勧誘か?


 晴れの門出にそんなセールスだったらぬっころす。


 俺はそんな事を考えながら雑に靴を履くと玄関の扉を無造作に開け放つ。


「おはようございます。わたくし今朝また隣に引っ越してきた山田と申します」


 そこに立っていたのはプラチナブロンドのサラサラの髪を朝日にきらめかせた一人の超絶イケメン――。

 彼の耳はとんがっていて、そしてジャパニーズビジネスマンスーツをきっちり着込んだその両手に一つの荷物を抱えている。


「お迎えにまいりました」

「お父さん! 就職おめでとう! これからは私の事は先輩って呼んでもいいよ?」


 満面の笑顔を浮かべた彼――山田さんと、俺の大事な娘ミユ。

 俺が今、一番会いたいと願っていた二人がそこに居た。


 あの日、行方不明の両親の事でほとんど引きこもり状態だった俺の元にやって来た一人と一本。

 それが俺の人生を大きく変える事になるなんてその時は思わず、ただ胡散臭いセールスマンに盆栽を押し売りされて迷惑だとしか思っていなかった。


 懐かしい思い出が俺の頭に次々と浮かんでは消えていく。


「やっと引っ越しの手続き終わったですです」


 階段の方からもう一人の懐かしい声が聞こえてきた。

 どうやら彼女もまたこのアパートに戻ってきたらしい。


「山田さん」

「はい?」

「今まで色々ありがとうございました」


 俺は彼に今までの全てを込めたお礼を告げる。

 そして「いってきます」と両親に声をかけて部屋を出た。


 そして突然の俺の態度に不思議そうな顔をしている山田さんとミユ、そして後ろからやってきた高橋さんに向き直ると軽く頭を下げ。


「これからもよろしくお願いします先輩方」


 社会人としての第一声を告げ、満面の笑顔を浮かべたのだった。

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