第28話 私が執事の山田です。

「伊藤さん……ですか?」

 俺は目の前にいる女の人がとてもさっき俺の部屋に来た人と同一人物とは思えなかった。


 このアパートは基本一人暮らし専用で、例外と言えば高橋さんがやって来た時に、しばらくの間だけ山田さんの部屋に同居していた時ぐらいだろう。

 だから眼の前に居るこの人が201号室の伊藤さんで間違いないはずなんだけど。

 もしかして伊藤さんのお友達かな?

 でもあの人の友達にしては随分毛色が違うな。

 そんなことを考えていると目の前の女の人が答えた。

「伊藤だけど何か文句あんの?」

 睨まれた。そしてこの人が伊藤さんで間違いないようだ。

「あ、いやさっき大家さんからの預かり物を届けてくれましたよね?」

「ん? あの封筒だろ?」

 胡乱げな目つきで見てくる。怖い。

「あの時に伊藤さん、俺の部屋の前に忘れ物をし……」

「あーっ! それアタシが買ってきたやつ! 何処に置いたかわかんなくて探してたとこだったんだよ」

 伊藤さんはそう言うと俺の持ってきた袋を素早く奪い取って中身をチェックする。

「おーけーおーけ、買い忘れはないな」

「……」

「あ? なに呆けた顔してんの?」

 伊藤さんが袋から顔を上げて俺を見て怪訝そうに言った。


「いやぁ、封筒を届けてくれた時と全くイメージが違うんでびっくりしたというか」

「アレね。あの姿の時と今のアタシは別人だと思って欲しいんだよね」

「別人?」

「今のアタシはお仕事モードなんだ。お仕事モードの時はガッツリ化粧してテンション上げるの」

 上げすぎだろ、いったい何の仕事してたらこんなになるんだろう。

「お仕事って何を?」

 俺は気になって聞いてみた。

「う~ん、そうだキミ、今時間ある? 一時間ほどで良いんだけど。ちょっとアタシの仕事のアシスタントをしてくんないかな?」

「今日は特に用事も無いんで大丈夫だと思いますけど……あ、一度部屋に戻ってからでも良いですか?」

「おーけーおーけ、じゃあキミが来るまでに準備だけしておくよ」

 彼女はそう言って部屋の中に入っていった。

「仕事って何なんだろう。しかしギャップ萌えって言うか萌えないけどギャップありすぎだろ」

 俺は取り敢えず自分の部屋に戻った。


「ただいまー」

「おかえりなさいなの」

「ミユ、今から一時間くらい伊藤さんの部屋に仕事の手伝いに行くんだけど」

「私も行きたいの」

「いや、一時間くらいだし、すぐそこの部屋だし」

「お父さんが仕事している所見てみたいの!」

 おや、これは頑張って仕事をしている父親の姿を見て尊敬する娘フラグか?

 しかしどんな仕事かわかんないしな。

 でもよく考えたら女性の部屋に俺一人と言うのも……そうだ。

「せっかくだから山田さんにも声掛けてみようか」

 ミユの世話を山田さんに任せれば問題ないだろう。

 あとは伊藤さんが許可してくれるかだけど。

「ミユ少し待っててくれ。伊藤さんにミユを連れて行って良いか聞いてくる」

「はいなの」

 ミユの返事を背に俺は部屋を出た。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 その後、俺はまず山田さんの部屋ジャングルに向かい山田さんに事情を話した。

 部屋の中でもスーツとエルフ耳の装備は外さないのは本当に悪い意味で尊敬してしまう。

 残業とかそういう部分でのブラックさは無いけど社外でまで『異世界人設定』を強要するユグドラシルカンパニーの闇は深い。

「はい、かまいませんよ」

 いつものイケメンスマイルで簡単に了承してくれたので、次は伊藤さんの部屋へ向かった。

「あ? 別にかまわないよ。山田ってあのイケメンゲージンだろ? むしろウェルカムだ」

 この人も結局はイケメンが目当てか。けっ。

 俺はそう心のなかで毒づきながら部屋に戻る。

「いかがでしたか?」

 山田さんがミユをケースごと持って待っていてくれたのでOKだったことを話し一緒に201号室へと向かった。


 201号室に付くと伊藤さんが山田さんの抱えたケースに入ったミユをみて怪訝そうな顔をする。

「なんだそれ」

「俺の家族……みたいなものなんですよ」

「盆栽が家族ねぇ。シブい趣味してんね」

「あんまり放って置くと拗ねるんでつれてきちゃいました」

「拗ねる? ああ、そうね」

 伊藤さんがなぜだかすごく可哀想な人を見るような目で俺を見ている。

「あ、あとコンセント貸していただけますか?」

「コンセント?」

「ええ、このミユ……樹のケースが充電式になってて充電が切れそうなんですよ」

「別にかまわないよ」

「ありがとうございます」

「ま、いいや。とにかく上がって。もう準備はできてるから」

 促されるままに部屋に入るとそこにはノートパソコンを中心にいろいろな機材らしきものがセットされていた。

「伊藤さんの仕事ってなんですか?」

 俺は疑問に思って尋ねる。

「ん? ヤオチューバーってやつやてんのよ。知ってるでしょ?ヤオチューバー」

 ヤオチューバーといえば今や子供たちが将来なりたい職業でもトップクラスを誇る職業(?)だ。

 世界的動画サイトであるYaotubeに面白い動画をアップロードしてお金を稼いでる人達の事である。

「ええ、俺もよく見てますよ。あまりヤオチューバーの人たちの動画は見てないんですが」

 俺はヤオチューバーの人たちの大袈裟なリアクション顔が苦手なのでトップページにサムネイルが表示されないようにさえしている。

「んで、今日は今度アップロードする動画を撮影するから手伝って欲しいわけよ」

 そう言って伊藤さんは机の上に置いてある絵コンテらしきものを俺に見せた。

 本格的だなぁ。

「今日は山田ちゃんが手伝ってくれるって聞いたからさ、ゲストとして出てもらいたいんだよね」

 山田ちゃんって。

「え? いや流石に素人がいきなり顔出しとかハードル高すぎません? 確かに山田さんが出れば女性視聴者の視聴数は爆上げでしょうけど」

「別に素顔で出てもらうつもりはないよ」

 伊藤さんがガサゴソと机の下の箱から何か取り出してきて山田さんに手渡す。

「それ付ければ大丈夫っしょ?」

 それは蝶々の形をしたマスク、通称パピヨンマスクだった。

 流石にそれはどうかと俺は思ったのだが当の山田さんはなにやら面白そうにそれを眺めておもむろに装着した。

 何故か執事っぽく見えるな。どうしてだろう。


 しかしめちゃくちゃ似合っているのが悔しい。

 その上、パピヨンマスクの横から見えるエルフ耳がまたいい味を出しているのだから一部の性癖の人には特にたまらないだろう。

 執事服じゃなくいつものサラリーマンスタイルなのにその違和感すら味方にしている。

 その後伊藤さんはノリノリで山田さんのスーツを軽く魔改造して白い手袋を付けて執事山田が完成した。

「私が執事の山田です」

 どうやら山田さんもパピヨンマスクと魔改造執事服が気に入った様でおかしなことを言い出している。


「アタシ女だからさ、圧倒的に視聴者は男性なのよ」

 女性ヤオチューバーの配信だから仕方がないとはいえ、少しでも女性視聴者を増やしたいと思うのは当然のことだろう。

「だから山田ちゃんが出てくれるなら女性票も期待できるってわけ」

「私、で良ければお手伝い致しましょう」

 山田さん、マスクが気に入ったのかノリノリだ。

 言葉遣いも何時もと微妙に違うし。

「でも毎回山田さんに頼むわけにもいかないでしょ? 今日はある意味山田さんがここに居るのは偶然のような物ですし」

「大丈夫、今回の撮影で色々撮りためて上手く編集して使い回せばなんとなるって」

 それじゃ始めるわねと伊藤さんが山田さんを手招きしてPCにつなげた撮影用カメラの前に移動した。

 山田さんは色々指示を受けながら、時にアドリブまでかまして撮影していく。

「かしこまりましたお嬢様」「お嬢様大丈夫ですか?」「お嬢様どうぞお拭きください」「いけませんお嬢様」等など完全に妄想的執事映像素材集だ。

 まぁ、パピヨンマスクしている時点で普通の執事というより変態執事だが。


 ミユがこっそり俺にだけ聞こえる声で「すごく楽しそうなの♪」と嬉しそうに言う。

 ミユも山田さんもこの珍しい状況を楽しんでいるようでよかった。

「ミユね、イトキンの動画見たことあるの」

 イトキン? どこかのデパートか?と一瞬思ったが多分伊藤さんのヤオチューバーネームの事だろう。

「ミユね、お父さんが学校に行ってる間、時々ヤオチューブ見てるの」

 ミユは依代への憑依(遠隔操作)という技を覚えて以来、俺が居ない時でも色々なことが出来るようになった。

 サイズ的に出来ることは限られてはいるものの積極的に部屋の片付けとかもしてくれている。


 依代であるところの素体は魔力が続く限り動くことが出来るのだが魔力が無くなる前にミニ世界樹ケースの近くまで戻れれば魔力を回復させることが可能なのだと山田さんが説明してくれた。

 魔力というか電力だろうけど。充電方式は最近流行りのワイヤレス充電ってやつかな?

 あの小さな素体のどこにアレだけのものを動かすバッテリーが積まれているのか不思議だが燃料電池とかだろうか?

 まぁ一般には量産効果が低くて性能が良いのに広まっていないバッテリーシステムはたくさんあるらしいし。

 超科学集団っぽいユグドラシルカンパニーならコスト無視でそういった新技術を惜しげもなくつぎ込んでいてもおかしくはない。


「でね、でね、イトキンの一番のおすすめ動画はね」

 ミユが嬉しそうに話を続けている。

 俺は『娘の話を聞き流す』という父親イベントを消化しながら山田さんの撮影が終わるのを待った。

 このイベント、あまりやりすぎると最悪口が聞いてもらえなくなるというデメリットもあるので注意だ。


「ふぅ、撮った撮った。これだけ素材があれば我軍はあと10年は戦える」

「お疲れ様です。このマスクはお返ししますね」

 山田さんがマスクを差し出すと伊藤さんはそれを受け取ってまた元の箱に仕舞った。

「少し休憩して今度はアタシの撮影に入るから田中くんアシスタントお願いね」

 冷蔵庫からケーキやプリンを伊藤さんは何個か取り出して机に並べながら言う。

「どれでも好きなの選んで」と言われたので俺は普通のショートケーキ、山田さんはプリンを選んだ。

 流石にこの場でミユにおやつを与える事はできないので後でコンビニにでも行って買ってきてあげようと決めて伊藤さんが紅茶を入れてくれているスキにミユに伝えておいた。

 これで拗ねることはないだろう。


 15分くらいまったり休憩した後、今度は伊藤さん自身の本番撮影が始まった。


 伊藤さんと俺は百均とかで買ってきた風船や竹とんぼ、謎ブロック等を使って色々な「やってみた動画」を撮影した。

 もちろんメインは伊藤さんで俺は黒子だ。

 まさかあの暖簾を顔につけたような黒子の被り物まで伊藤さんが持っているとは思わなかったので手渡された時は流石に驚いた。


 しかし口の上に風船を置いてその上にお寿司を置いた状態で風船を割ってお寿司を食べるチャレンジとか意味がわからない。

 俺は何度か失敗するたびに下に堕ちる直前の寿司を救助しては伊藤さんに渡すという大任を受け見事その任務を果たしたのだ。

 最近は特に食べ物を粗末にするようなことは許されないのでそういう部分も重要なのだそうだ。

 食べ物で遊んでいるという批判についてはどうなんだろうと思わなくもなかったが。


 撮影が終わって帰り際に「今回の報酬なんだけどさ、メシ一回奢りでいいかい?」と言うので「それでいいよ」と答えておいた。

 ある意味貴重な体験も出来たし、そもそも報酬についてなにも取り決めてなかったことにその時に気がついたってのもある。

 ミユに至ってはこれから毎日イトキンの動画をチェックして山田さんや俺が出る動画がアップロードされるのをチェックすると意気込んでいた。


 部屋に帰ると山田さんはミユをいつもの定位置に置いて「では帰りますね」と玄関へ向かった。

「あっ」

 山田さんが靴を履こうとかがみ込んだときに下駄箱の上に置きっぱなしだった封筒が地面に落ちて中身が少し散らばった。

「すみません落としてしまって」と山田さんが散らばった書類を拾おうとする。

「そのままでいいですから!」

 俺は慌てて玄関に向かい散らばった中身をかき集めて封筒の中へしまいこんだ。

「置きっぱなしでしまうのをわすれてたよ」と何気ない封を装い山田さんに笑顔を向ける。

 俺の声は少し震えていたかもしれない。

「そうですか。では私はこれで帰ります」

 山田さんはいつもの優しい目で俺を見て一つ微笑んでから出ていった。


 最後に一言「明日、高橋さんがミユちゃん用の新装備を持って帰ってきますからお楽しみに」とだけ言い残して。


 嫌な予感しかしない。


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