第135話 嘘つきは詐欺師のはじまりです。

 慌てて部屋を出ると、メカ高橋さんは同じ階の201号室、つまり伊藤さんの部屋の前で立ち尽くしていた。

 そういえば伊藤さんは今日はイベントだから帰りはかなり遅くなるはずで、今はあの部屋の中には誰も居ないはずだ。


 それを知らない彼女は中からの反応がないことに少し首を傾げていた。

 今一度部屋の呼び鈴に手を伸ばそうとする彼女に俺は急ぎ足で近寄ると「今日はこの部屋の伊藤さんは居ないよ」と声を掛けた。


 なるほどというふうに首を縦に振った彼女は、今度はそのまま俺の横を通り過ぎ階下へ降りていく。

 確かに二階には俺と山田さん、高橋さん以外には伊藤さんしか住んでいないし、伊藤さんが居ない以上は二階にいても仕方がない。

 伊藤さんが居ないということは、このアパートで残るは一階の佐藤さんだけである。


 よく考えなくてもこのアパートよくこの状態で存続できているものだ。

 無料で一室借りている俺が言えた義理ではないけども。

 今でこそ山田さんや高橋さんが入居し、時たま一階に変な住人がショートステイするとはいえ、採算は合っているのだろうか。


 そんな事を考えつつメカ高橋さんの後を追いかけると、今度はやはり103号室の扉の前で立ち止まり呼び鈴を押しているのが目に入る。

 彼女の移動速度はゆっくり歩いているように見えて予想外に速い。


 ぴんぽーんという呼び鈴の音が聞こえてしばらくすると扉の向こうに人の気配を感じた。

 多分のぞき穴から誰が来たのか確認しているのだろう。


 コレくらいの用心深さは必要だと、一人暮らしを始めるときに大家さんから俺も耳がタコになるくらい教えられたなぁ。

 俺はこのアパートに引っ越してきた当時のことを少し懐かしく思い出した。


 特に見かけはおっとり美人な佐藤さんあたりは、俺以上に大家さんからそういうセキュリティに関してはきっちり仕込まれたに違いない。

 まぁ、佐藤さんは見かけと違って男なんだけどね。


 しばらくしてドアの向こうから佐藤さんの、とても男とは思えないような声が聞こえてきた。


「はーい、今開けますね」


 ガチャリ。


「いらっしゃい、田中くんと高橋さんが二人で来るなんて珍しいね?」


 見かけだけなら見目麗しいおっとり美人さんが鈴が転がるような声でそう言った。


 たしかに俺が佐藤さんの部屋を訪ねる時はほぼ確実に一人だ。

 いや、実際にはミユを連れてくるので二人であるのだけど、事情を知らない人から見れば一人にしか見えない。

 しかも美人さんの家に若い男がひとり訪ねるとか、知らない人が見たら妄想一直線だろう。


 実際は男同士なんだけどね。

 世の中にはそっちのほうが妄想一直線という人種も存在するけど。


 男が男友達の家に遊びに行くだけの話なのだが、そこで行われる行為は男らしくはない。

 なぜなら佐藤さんの部屋を訪ねる理由は、ほぼ100%ミユ用の新しい服を作るためだからだ。


 佐藤さんにミユの存在を知られてから……といっても伊藤さんはミユがただの人形だと思っているようだが、彼女は人形を愛する同士として俺を温かく迎えてくれるようになったのだ。

 そしてそれ以来、彼は趣味と実益を兼ねてミユのために何着もの服を作ってくれている。


 ちなみに佐藤さんが大事にしているくまさん人形のペロは彼の腕の中で俺の方を虚ろな目で見ている。

 なんだか微妙に怖い。


「ミユちゃん居ないみたい。残念だねペロ」


 佐藤さんがペロと喋りだしたので俺は慌てて訪問理由を告げることにした。


「いや、実はですね彼女は高橋さんじゃないんですよ」

「えっ」


 佐藤さんは少し驚いてメカ高橋さんの顔をじーっと見つめる。

 見つめられたメカ高橋さんは何故か頬を染めてもじもじと体をくねらせているが、見事なバランスで銘菓の山は落とさない。


「ああ、たしかに高橋さんじゃないね。でもそっくりだ。双子さんですか?」


 そう尋ねられて俺はメカ高橋さんの『設定』を決め忘れていたことに今更ながら気がついた。

 姉妹……というよりやはり伊藤さんが言うように双子設定のほうが自然だろうか。


 チラッとメカ高橋さんの方を見るとなぜだか俺の方に向けて親指を立てていた。

 どうやらその設定で行くらしい。


「ええ、そうなんですよ。そっくりでしょ。彼女は高橋さんのいもう――」


 俺がそう言いかけた瞬間、肩をぐいっとメカ高橋さんに引かれた。

 なんなんだよと思いながら彼女の方を見ると、立てていた親指をぐるっと下に……。

 彼女が訴えるには自分は姉だと言いたいらしい。


 いや、お前は高橋さんに作られたわけだからむしろ娘じゃないのかと思いつつも、有無を言わせぬ迫力を感じた俺は素直に従うことにした。


「高橋さんの双子のお姉さんなんですよ」

「そうなんですか」


 俺がメカ高橋さんの紹介を終えると、ぐいっと俺を押しのけてメカ高橋さんが前に出る。

 そして銘菓の山の一番上におかれた『白い鯉人』の箱を空いている方の手で持つと佐藤さんへ無言で差し出した。


「粗品ですがどうぞ、と言ってます」

「えっ」


 佐藤さんは戸惑いつつも『白い鯉人』を受け取ると、俺に胡乱げな目を向ける。

 言いたいことはわかる。

 俺はメカ高橋さんについての説明を付け加えることにする。


「えっとですね、今彼女は病気の影響で声が出せないんですよ」

「そ、そうなんだ。大変ですね」

「あっ、でも一年くらいで元通り声は出る様になるらしいので心配しないでくださいね」


 俺は佐藤さんの顔色をうかがいながら話を続ける。

 病気で声が出ないという事をあまり気にしないでほしいのだ。

 だって嘘だし。


「それでですね、実家のご両親の仕事が忙しくなってきたので、しばらくの間お姉さんの所に養生も兼ねて引っ越してきたわけなんです」


 我ながら思いつきだけでペラペラと嘘をつけるものだ。

 将来立派な詐欺師になれるのではないか?

 ならないけど。


 そもそもそんな事になったらミユに絶対嫌われるし。

 お父さんの職業は詐欺師とか教育に悪すぎる。

 いや、教育以外でも悪いけどさ。


「そういうわけなんで、これからよろしくおねがいします」


 俺が少し頭を下げると、メカ高橋さんも頭を下げて挨拶をする。


「こちらこそよろしくおねがいしますね高橋……あの、失礼ですがお名前は?」


 名前はと云われてもメカ高橋さんに名前がある訳がない。

 一応俺達は彼女のことを『メカ子さん』もしくは『メカさん』と呼んでいるが……。


 俺は少しだけ思案した後、佐藤さんに告げた。


「彼女のことはメカさんと呼んであげてください」

「メカさんですか」

「ええ、彼女の昔からのあだ名なのだそうで、高橋さんもそう呼んでます」


 数時間前だろうが昔は昔だし嘘は言ってない。

 とにかくこの場を乗り切らなければ次はないのだ。


 こくこく、とメカ高橋さんがそれに同意するように頷くのを見て、佐藤さんも「じゃあ、これからよろしくおねがいしますね、メカさん」と笑顔で答えてくれた。


 それを横目で見ながら俺は今佐藤さんに語った嘘八百な設定を忘れないように心の奥で何度も反芻(はんすう)していたのだった。


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