第119話 宇宙の彼方に猫の楽園です。

「いってきまーす」


 誰もいない部屋に向かってそう言って、俺は背負った猫耳リュックのしっぽを挟まないように注意しながら扉を閉める。


「火打ち石を極めた通(ツウ)は自分に向かっても火打ち石を打てるらしいけど私はまだそのレベルには達してないの」


 俺の右肩の上でミユがそんな事を呟いているが、火打ち石の通(ツウ)ってなんだよ、通(ツウ)って。

 そんなのいるのか?


「私はまだ登り始めたばかりなの。この火打ち石坂をなの」


 火打ち石坂って何それ怖い。

 駆け上がる度に足元から火が吹き出してきそうだわ。


「それでしたら私が最後に部屋を出る前にミユさんたちを火打ち石打って送り出しましょうか?」


 時間きっかりに部屋の呼び鈴を押してやって来た山田さんがそんな提案をするが、ミユによる「あの火打ち石は他人の手に委ねるつもりはないの」という言葉によって却下された。

 なにげに『他人』という言葉に山田さんがショックを受けていたようだが、ミユの言った『他人』というのは自分以外という意味でしか無いと思うんだ。


 凹んでいる山田さんを横目に俺が部屋の鍵を掛けるべく鍵穴に鍵を差し込もうとした時、足元から「どこかいくのニャ?」という言葉が聞こえてきた。

 足元を見ると一匹の三毛猫が首を目一杯上向きにして俺の顔を見ていた。


「あっ、コノハの存在をすっかり忘れてた」

「ニャンじゃと!」


 朝いきなりの山田さんからのデートのお誘いで、色々と衝撃を受けたせいでコノハの存在をすっかり忘れて出かけるところだった。

 このアパートには猫用の入り口など存在するわけがないので、このまま出かけていたらコノハは俺たちが帰ってくるまでずっと外に放置という事になるところだった。

 コノハの存在をすっかり忘れていたので、ベランダの窓も完全に戸締まりしたからそちらから入ることも出来ない。


「そもそも、毎日毎日朝帰りするコノハが悪い」


 そうなのだ。

 最近のコノハは毎晩遅くに出かけて行き、帰ってくるのが俺たちが朝食を終えた後なのである。

 世界樹は基本眠らなくても良いとはいっても立派な不良猫であることは間違いない。


「しかたニャいのニャ。つい先日からワシはネコ集会の議長を任されてしまって忙しいのニャ」

「何故そんな物を引受けたんだ?」


 というかネコ集会って議長とか居るの? そもそもあれって会議だったの!?


「それはワシが一番キュートで賢いからなのニャ」

「……」

「その目はなんなのニャ!」


 痛っ、こいつ人の足に爪立てやがった。


「いや、仮にも世界樹様ともあろうものがネコ相手に賢さを誇るとかウケると思っただけだよ」

「ネコを馬鹿にするななのニャ。アヤツらは宇宙からやって来た立派な異星人なのニャ」

「えっ」

「アヤツら、時々遠い目をしながら自分たちの故郷の星の名を呟いておるのニャ。きっと遺伝子レベルで受け継がれているのニャ。いつか帰りたいと」

「マジか。月刊ム○に書いてあった事は本当だったのか……」


 俺があまりの真実に驚愕しているとコノハが更に続ける。


「アヤツらの星は『にほし』とか『かつおほし』とかいうらしいニャ。きっと猫の楽園なのニャ」

「……は?」


 コノハさん、それは多分星の名前じゃないと思うぞ。

 そして遠い目をしていたのはきっとご飯のことを考えていただけじゃないかな?


 そんなオレの心も知らず、いつの間にやら二本足で立ち上がり両前足を器用に腰に当て胸を張りドヤ顔をしつつ語るコノハ。

 人形だった時によくやっていたポーズだが、まさか猫の姿になっても出来るとは思わなかった。


「ああ、そうだな。きっと人間の代わりに猫たちが住む猫好きのパラダイスだろうな」


 俺はコノハに優しくそう語りかけるとニッコリと微笑んでみせた。

 真実を知った時、コノハはきっと恥ずかしさで枕に顔を埋め転げ回ることだろう。

 そして時折その事を思い出しては自らの行いを思い出し悶えるのだ。


「なんなのニャ。田中がすっごく気持ち悪いのニャ」


 そんなコノハの戸惑う声を山田さんは何か言いたげな顔のまま立ち尽くし、ミユは猫の楽園を想像しているのか非常にだらしない顔になっていた。


 ウェルカム・トゥ・黒歴史の世界へ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「と言うわけで今からアエリオンという大きなお店に行くところだったのです」


 長身の山田さんがしゃがみ込んで、足元の小さな猫に向かって丁寧に説明をしている。

 しゃがみこまずに抱き上げればいいのにと思うのだが、彼にとっては世界樹様というのはそういう事をしてはいけない存在なのかもしれない。


 ミユの本体もあまり背負ってくれないんだよなぁ。


 長身イケメンの上にスーツ姿の山田さんがこの猫耳しっぽ付きリュックを背負う姿は確かに違和感バリバリだろうけど。

 もしかしてそれが嫌で背負ってくれないのか?

 俺がそんな事を考えている間にコノハへの説明を終えたのかコノハがトテトテと俺の方へ歩いてくると「ワシも行くのニャー」と言った。

 まぁ、そうなるわな。


「でもあのお店は動物持ち込み禁止だろ? ペット用の籠とかに入れていくならいいんだろうけどそんな物持ってないしな」

「問題ないニャ。ワシにはステルス迷彩があるのニャ」

「その体でも使えるの?」

「もちろんニャ」


 猫姿になってから、外に出る時も普通の猫を装えばなんの問題もないせいでステルススキルを使っている所を全く見てなかったから、てっきり使えないようになったのかと思っていた。


「百聞は一見にしかずだニャ」


 コノハはそう言うとその場でジャンプしくるりと一回転。

 その瞬間、今ジャンプしたはずのコノハの姿が一瞬にして風景に溶け込み消え去った。


「おおっすげぇ」

「さすが、素晴らしいですね」

「いつ見てもコノハちゃんの光学迷彩スキルは凄いの」


 三者三様に驚きの声を上げると、その声に満足したのかコノハの姿がもとに戻る。

 もちろん見事なドヤ顔である。猫だけど。


「どうニャ? しかも今は個々にいる三人にしかワシの姿は見えないモードになってるニャ」


 言われてみるとコノハの輪郭が少しぼやけて見える。

 これが特定の人にだけ姿を見せている状態らしい。

 いったいどうなっているのか謎技術である。

 いや、技術というより魔法なんだろうけど。


「これでなんの問題もニャいのニャ」


 確かに今のコノハなら連れ歩いても誰にも気が付かれないわけだから問題ないだろう。

 見かけは猫だが、その身体自体は本物ではないからコノハ自体は猫の毛とか猫アレルギーの人に迷惑を掛けることもないわけだし。

 だが……。


「しかたないな、連れてってやるよ」

「当たり前ニャ」

「連れてってやるけどその前に」

「その前になんニャ?」

「体についている他の猫の毛とかダニとかシャワーで綺麗にしてからだ!」

「ギニャー!」


 その後、暴れるコノハを押さえながら、ネコ集会で体に付けてきているであろう他の猫の毛やダニを洗い流し終え、もう一度アエリオンに向かって出発するまでに更に三十分を要した。



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