第125話 いつでもあなたの味方です。

 俺の予想外の登場シーンに、会場は一瞬静まり返った後爆笑に包まれた。

 めちゃくちゃ恥ずかしい。

 いっそここから消えてしまいたい。

 しかしいつまでもこうして転がっている訳にはいかない。


 俺は顔から火が出るような思いで顔を上げると、こっちを心配そうな顔で見ている山田さんと目が合った。

 き、気まずい……。

 俺は必死に目で『山田さん、なんとかしてくれ』と訴える。

 すると彼は心配そうな顔をいつものアルカイックスマイルに戻し口の動きだけで『任せてください』と答えると舞台の前の方へ移動した。

 一呼吸置いて観客の目が俺から山田さんへ移ったのを確認すると、彼は観客席に向かって大きく手を広げ「おやおや、パピヨン少年は相変わらずおっちょこちょいですね」と舞台役者の様に大仰にポーズを決めつつ俺の方へやってくる。

 どうやら俺が転んだことを演出の一つとして扱うつもりらしい。


「まったく……少年のドジはいつまでたっても治りゃしないねぇ」


 伊藤さんも山田さんの意図を汲んで、この小芝居に乗るようだ。

 その彼女の左手には、俺の手元から転がっていったワゴンが掴まれていた。

 良かった、観客席に落ちていたら洒落にならない所だった。


「いつまでそんな所で眠っているのですか? さぁ、起き上がってお客様にご挨拶を」


 俺は差し出されたその手を掴むと勢いよく立ち上がる。


「おっと」


 恥ずかしさをごまかすために慌てて立ち上がったせいで足元が少しふらついた所を山田さんがそっと支えてくれた。


「あ、ありがとう山……パピヨン執事さん」

「どういたしまして」


 彼はそう答えるといつものように軽くウインクする。

 それと同時に会場から怒涛のように沸き起こる黄色い声と一部の野太い声に俺は慌てて山田さんから身を離す。

 膝に付いた埃をわざとらしくパンパンッとひと払いして伊藤さんの側まで歩いていく途中で舞台袖が目に入る。

 ミユが俺に向かって手を振る横で石川さんが何故かキラキラした目でこちらを見ていた。

 もしかしてあの人もそういう人なのだろうか。


 そんな舞台袖からそっと目をそらし今度は観客席に向き直る。

 とんでもなく人が多い。


 さきほど舞台袖で見ていたのと、実際に舞台上で見るのはこれほどまでに違うものか。

 舞台袖ではあまりわからなかった吹き抜けの上の方にも、そして本来の観客席用に区切られた外側にも人の山が築かれている。

 スタッフジャンパーを着た数人が、通路で立ち止まる人たちを一生懸命誘導しているのが見える。


 実際に舞台の上に立って初めて解ったんだけど、予想以上に観客席の人たちの顔が一人一人くっきりと判るのだ。

 そしてその目が今現在見つめている先に俺がいる。


 挨拶、挨拶しなきゃ。

 台本にはなんて書いてあった?


 登場と同時にすっ転び、観客席の人の山を見た途端に俺の頭の中からはすっかり台本の内容が消え去ってしまっていた。

 緊張のあまり額に汗が浮かび、開いた口からは何も言葉が出てこない。


 ぽんっ。


 突然、過呼吸を起こしそうになっていた俺の頭に暖かな手のひらが乗せられる。

 と、同時に後ろから観客席には聞こえないであろう音量でいつもの優しい声が聞こえてきた。


『いいですか田中さん、眼の前に居るお客様たちは敵ではありません』


 敵じゃ……無い。

 そんな事は自分では十分わかっていたつもりだった。

 でも実際多数の人の目にさらされた途端に頭が真っ白になってしまうんだ……。


『安心してください。私はいつでもあなたの味方です』


 その言葉に俺は彼の顔を思わず見上げて息を呑む。

 なぜならその目はどこまでも優しい光を浮かべ、まるで子を見守る親のようだったから。


 そう、今はもう居ない俺の――。


 飲み込んだ息を吐くことも出来ないまま黙って言葉の続きを待っていると、優しげだったその瞳に彼は、今度はイタズラ小僧のような色を浮かべてこう言った。


『そして今私のこの行動に歓声を上げた女性たちは高橋さんと同類です』


 え? ドワーフなの?

 自分が予想していたものとは全く違う言葉に一瞬驚いて、ついいつもの様に脳内ツッコミをしてしまった。


 それよりも部屋の中に薄い本を隠し持っている高橋さんの同類って事はつまり……。


『さぁ、存分に彼女たちの望みを叶えてあげましょう』


 そんなことするわけ無いだろ、何いってんだこの人。

 さっきの温かい感動を返せ!

 というか、俺にそんな趣味はないっていつも言ってんだろ!


 勢い山田さんの手を払いのけると「か、勘違いすんなよ。俺は別に男が好きとかそんなことはないんだからな!」と言い放つ。

 何故かその言葉に観客席のボルテージが一弾上がった。

 

 俺がその反応を疑問に思っていると、今度は反対側から手が伸びてきて俺の頬を突きながら「それじゃあアタイの良い人になってくれる?」と伊藤さんがあからさまな演技満点の所作(しょさ)で迫って来た。

 予想外の流れに俺は先程までの頭が真っ白になったような感覚とは別方向にパニックを起こしていた。


 確かに伊藤さんは年上好みの俺の守備範囲内だが、恋人にしたいかと言われればそう言う対象には見ることは出来ない。

 ここはどう返すべきだろうか?

 俺は少しだけ悩む素振りを見せた後「残念ですけど俺にはもう好きな人がいますので」そう答えて伊藤さんの手をすり抜けつつワゴンの前まで移動する。


 会場から聞こえ来る残念そうな空気は、俺がノンケだと宣言したからか? それともイトキンの誘いを断ったからか?

 どちらも山田さんと伊藤さんの言葉は誰が見ても舞台上での演技でしか無いことは誰もがわかっていると思うのだけれど、それも全てわかった上でこの突然催された『寸劇』を楽しもうというのだろう。


 俺は彼らの突拍子もない行動に対して衝動的にいつものように反応していた。

 そのおかげだろうか?

 真っ白になっていた頭の中に台本の内容が戻ってきている事に気がついた。


「僕の名前はパピヨン少年。今日は親愛なるイトキンお姉さんのお手伝いにやって来たんだ!」


 もうどうにでもなれという気持ちで精一杯演技をしてみせる。

 つい先程まで素の状態で『俺』とか言っていたのに突然僕っ子に代わった事については見逃してもらいたい。

 そんな事を考えていたら――。


「あれれ~、おっかしいなぁ~。さっきまで俺って言ってたの僕とか言い出しちゃって~」


 何故か伊藤さんが台本にもないセリフを言いながら俺の方ににじり寄ってくる。

 彼女の突然のアドリブに、余計なこと言わずに台本通りやってよと俺は心の中で悲鳴を上げた。


「彼は今難しいお年頃なんですよ」


 それに対して山田さんが素なのかアドリブ演技なのか微妙なフォローをする。

 そして彼のその言葉に観客席にいる子どもたちの親が何故か納得したような声を上げていた。

 保護者視点かよ。

 確かに俺は数年前までは自分のことは『僕』って言ってたけどさ。


「うるさい! うるさいっ! 執事はさっさと司会進行しろよっ」

「やれやれ、コレだから思春期の子供は……」

「イトキンも実演の準備してよっ!」


 俺はそう叫びつつ恥ずかしさを紛らわすように二人の間を駆けずり回りながら実演の準備を始めるのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 イトキンと俺たちによる実演は予想以上にスムーズに進んだ。


 最初こそ手間取ったものの、当時何度かリハーサルも含めて演ったのと同じ出物(でもの)だったのと、実際当時も含め俺のやることは『画面外』で道具を持ったり手渡したりするだけのかんたんなお仕事でしかない。

 実際に喋りながら色々なことを行うのは伊藤さんだし、それに合わせてアシスタントをするのは山田さんの仕事だ。

 正直言えば『あの人必要?』と観客に思われてないか不安になるくらい俺はやることはなかった。


「お父さんお父さん」


 俺が伊藤さんたちに次に使う道具を手渡す大事なお仕事を終え手持ち無沙汰(ぶさた)にしていると、いつの間にやら舞台脇で見ている事に焦れたのか、ミユが俺の横まで飛んで移動してきていた。

 いくら光学迷彩スキルで見えなくしているからと言って油断しすぎじゃないだろうか。


「なんだよミユ。もう少しで終わるから舞台袖に戻りなさいな」

「え~っ」


 ミユがぷく~っと頬を膨らませて抗議するが万が一のこともあるし、今は戻らせないといけない。


「帰ったら今度またイトキンの動画撮影を見せてもらえるように頼んであげるから」


 山田さんと二人で俺をハメたツケもあるのだから、それくらいのお願いは聞いてもらっても罰は当たらないはずだ。

 いや、むしろ俺が手伝ってくれるんだと勘違いされるかもしれないし、それじゃあ罰にもならない。


 一週間夕飯を作ってもらうとかどうだろう?

 材料費は山田さんと伊藤さん持ちでだ。

 二人共それなりにお金は持っているはずだし遠慮する必要はないはず。


「あっ、ダメッ」


 俺が山田さんたちへの罰を考えていると今まで俺の隣に浮いていたミユが叫んだ。


「え? 何っ今の声?」


 その声に目の前で実演していた伊藤さんが驚き、手を止めて俺の方を振り返る。

 まずいっ、ミユの声が俺以外にも聞こえてるのか。


 慌てて俺は隣に浮いていたはずのミユに目を向け――。


 ガチャン!


 そこにはミユの姿は無く、同時に何かが落ちる音だけが耳に届く。

 俺は恐る恐る足元に目をやると――全ての生気が抜けさり、人形に戻ったミユの依代体(ぬけがら)がそこに倒れていたのだった。


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