第八章 世界はゆっくり変わっていくのです。

第106話 戻らない時と委員長のお餅です。

 目の前にはとてつもなく巨大な大樹が青々とした葉を茂らせ、その存在を誇示していた。

 何気なく見上げると、葉の間から陽光が差し込んでくるのが見える。

 多忙を極めた私の目にはその光ですら強すぎる様に感じ目を逸らす。


「この場所に来るのは久しぶりですね」


 そんなことを呟きながら視線をまた前に戻すと、何十メートルあるかもわからない巨木の麓まで歩みを進める。

 やがてたどり着いたその場所には縦横一メートルほどの石版が安置されてた。

 大理石のようなもので作られた石版の表面には何も描かれていない。

 私は時折差し込む陽光を反射するだけのその石版の前に立つと、その天面に手の平を置く。


 ガサガサ――ズズズッ。


 大樹の複雑に絡み合ったような根の一部が音を立てて蠢き、やがて石版の背後に人が数人並んで通ることが出来るような穴が開いた。

 穴の奥に目をやると、奥に向かう様にまっすぐな通路が見えたが、その先は闇に隠れて様子を窺うことは出来ない。

 私は石版から手を離すと、躊躇なくその穴に歩みを進めた。

 中に入ると、外に比べてひんやりした空気が通路の奥から流れてくるのを感じ、その空気の流れに乗ってやってくる樹木の香りが鼻孔をくすぐる。

 数メートル進んだ辺りで後ろの方から先ほど開いた穴が閉じる音がして一瞬辺りが暗闇に包まれるが、進行方向から溢れ来る微かな明かりが足元を照らしてくれるので問題はない。


「ジャケットでも着てくればよかったですかね」


 私は外との気温差に少し鳥肌が浮かんだ腕をさすりつつそうぼやいた。

 気温自体はそこまで低いわけではないのでそのうち慣れるだろうが、外の陽気が今日は良すぎたせいで実際以上に気温差を感じる。

 

 進む先に微かに見える光を頼りにやがて私がたどり着いたその場所は、木の中とは思えないほど広い空間が広がっている。

 小学校の体育館くらいもあるその部屋の中央には青白く光り輝く球体が、上下から伸びている木の根に優しくに包まれるように鎮座して私を待ち受けていた。


 私はその光玉の前にまで進むと片膝を付き、胸に手を当てうやうやしく頭を下げ言葉を紡ぎ出す。


「木之花咲耶姫様、此度は……」


 木花咲耶姫様、つまりこの世界スペフィシュを守りし世界樹様に私が語りかけようとするその声に被せるように光玉から女性の声が聞こえだした。


「や~ね~、もうっ。山田ちゃんったらお硬いんだから~。そんな他人行儀じゃあ咲耶ちゃんプンプン丸よぉ~」


 彼女のそんな軽い調子の言葉に私は一つ溜息をつくと立ち上がり、膝に付いた埃をポケットから取り出したエチケットブラシで払い落とす。

 目につく埃を払い終わった私が膝から目を光玉の方へ向けると、そこには先程までは確かに何もなかった空間に一人の美しい女性が腰に両手を当てて怒ったような顔をして頬を膨らましこちらを睨んでいる。

 実体ではなくミユさんからフィードバックして得たホログラフィックの力を使っているのだろう。

 美人が怒った顔は怖いと聞くが、彼女の場合は全く怖く感じないのは、その目が笑っているからだろう。


「咲耶姫様、私としましても世界樹様に対しては一応の礼節を……」

「も~~~ぅっ、そんなのいいからいいから」

「いえ、しかしですね。この世界の代表とも言える貴方様にはそれ相応の威厳を持っていただきたいのですが」

「そんな物は犬にでも食べさせちゃえばいいのよ。あ、でも私猫より犬のほうが好きなのよね~」

「そんなことは聞いてませんけれども」


 彼女との会話はいつもこんな感じなのでいつの間にやら慣れてしまっている自分が少し悲しい。

 神様と人との関係を固持しようとする私の態度が彼女にはどうやらかなり気に入らないらしい。

 このままではいつまでたっても本題にたどり着かないのは経験上嫌というほどわかっている。

 私は犬猫話を続けている咲耶姫様を手で制して今回の呼び出しの理由を聞き出すことにした。


「それで咲耶姫様、私を呼び出した要件を教えていただけますでしょうか?」

「んも~ぅ、山田ちゃんはセッカチなんだから~」

「と言われましても、私は貴方様の提案した『転移者帰還計画』の準備で大忙しなんですよ」


 転移者の里から帰ってきてから約一ヶ月。

 私は現在、咲耶姫様の計画を実行すべく日本中を駆け巡るユグドラシルカンパニーの同僚たちに毎日の様に指示を出し、渡辺と共に転移者たちの『故郷』の割り出しも同時進行で進めているためかなりタイトなスケジュールで動いている状況なのだ。

 これが世に云うデスマーチなのかと、生まれて初めて仕事を辛いと思い始めているくらいである。


 そんな最中に急用だと呼び出され、取る物も取り敢えず駆けつけたというのにこの対応では相手が世界樹様であっても私が話を急かすのは仕方がないのではないか。


「転移者帰還大作戦よ! 転移者帰還大作戦。 計画じゃなくて大作戦の方がかっこいいでしょ?」

「正直どちらでも構いませんが、そろそろ本題に入ってください」


 私が徹夜仕事のために充血している目で彼女に迫ると、流石にふざけている場合ではないと気がついたのか彼女は一つ咳払いをして先程までとはうって変わったアルカイックスマイルを浮かべて要件を話し出す。


「山田さん」

「はい」

「今日、妾が貴方を呼び出したのはこの部屋の――」


 咲耶姫様の要件、それは私が大体予想していた通りの事柄だった。


「それは本当ですか!?」

「ええ、あの時は応急処置が精一杯でしたが、知識を得た今の私になら可能なはずです」


 咲耶姫様の言葉を聞き、知らぬ間に溢れ出した涙が私の視界を徐々にぼやけたものにしていく。


 私が犯した罪を彼は許してくれるだろうか。

 失われた時は戻らない。

 それでも私は彼に真実を伝えなければならない……。


 その時はもうすぐそこまで迫っていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「おっかえり~」


 玄関から委員長が頭の上にミユを乗せたまま片手を上げて元気よく入ってきた。

 なんだか無駄にテンションが高い。

 まだ朝も早いというのに元気なことだ。


「田中くん、頼んでたものは買ってきてくれた?」

「ん、これ」


 俺は委員長用に仕分けしたお土産袋を手渡す。


「ありがとー、さんきゅーべりまっちょだよ」


 委員長は袋を受け取って座るとちゃぶ台の上にその袋の中身を出して並べ始める。


「ん~、素晴らしい」


 ずらっと並んだ銘菓にご満悦のようだ。

 そんな委員長を横目に俺は部屋の隅においてあった別の袋を手元に寄せて中から箱を取り出すと委員長に手渡す。


「それと、これ俺からのおみやげね」

「なになに? うわ~可愛い~」


 それは小さなおかげ犬の陶器製の置物だった。

 本当は吉田さんと同じくハンカチがいいかなと思ったのだけれど、女子高生がああいうハンカチを喜ぶのかどうかが微妙だったのと、同じってのも芸がないなと思ったからそれにしたのだ。


 その後、なぜ犬なの? と首を傾げる委員長に『おかげ犬』についての話を思い出せる限り説明してあげたら、予想外に感心された。

 山田さんからの受け売りだけどな。


 そう言えばその山田さんは帰宅した後直ぐに「計画を進めなければ」と言い残して出社していった。

 まだ正月三が日だと云うのに既に社畜モードとは。

 一方、もう一人の異世界人である高橋さんもまだ帰ってきていない。


「高橋さんと一緒に銘菓談義したかったのにな~」と委員長は残念そうだ。


「仕事だから仕方ないよ」


 俺のそんな適当な発言に机の上に両手を置いて身を乗り出した委員長が「私と仕事、どっちが大切なの!」と言い寄って来たが「仕事じゃね?」と軽く答えると「はぁ~ノリが悪いわね」とため息を付かれた。

 ノリが悪いのは生まれつきだから仕方ない。


「高橋さんも山田さんもほんっと~に仕事人間だし、仕方ないことはわかってるんだけどね」


 委員長はそんな愚痴をこぼしながら机に並べた銘菓を物色しだす。

 山田さんは社畜レベルカンストだから間違いないだろうけど、高橋さんは別段仕事が好きなようには思えないんだが。

 それ以前に『人間』じゃないと心では思いつつ、そんな事にツッコミを入れて委員長の機嫌を悪くさせるのは得策ではないだろう。


「ミユちゃん、このお菓子とこのお菓子どっちが食べたい?」


 委員長が並べた銘菓の内、二つの箱を両手に持って机の上を興味深そうに覗き込んでいたミユに問いかける。

 どちらも生菓子系で賞味期限が短いものだ。


「え~っとね、ミユこっちのお馬さんの絵が書いてある方が食べたい」

「じゃあ皆で食べましょうか」

「は~い、ミユお茶淹れてくるの~」


 ミユはそう言うとキッチンへ向かってあっという間に飛んでいった。

 俺はそれを見送った後、ミユが選んだその銘菓を委員長と一緒に皿に並べつつ、山田さんから聞いたその銘菓についての薀蓄を委員長に語った。


「へ~、神宮へのお参りのために乗ってきた馬は宮川の渡しでは船に乗せられないからこのお餅を売っていた所で返したという逸話から付いた名前なのね」


 委員長がその薀蓄に感心したような声を出す。

 正直山田さんに教えてもらった内容をかなり簡略化して語ったから、もしかしたら何処か間違いでもあるかもしれないけれど薀蓄を長々と語る男はウザがられるだろうし程々にして切り上げるのがベストだ。

 その証拠に旅の最中延々と語られ続ける山田さんの薀蓄を途中からかなり聞き流していたからだ。

 今の時代、要点以外は気になったらあとでネットで調べれば良いのだし。


 そうこうしている内にミユが三人分の緑茶をお盆に乗せてやって来た。

 机の上に並んだ美しい焼き目の付いた丸い艷やかなお餅が食欲をそそる。


「いただきます」


 我慢できなく成ったのか委員長が真っ先に餅にかぶりつく。


「ミユもいただきますなの~」


 続いてミユが餅を持って飛び上がり世界樹育成ケースの上部にある吸収口にそれを運ぶ。

 その姿を見送った後、俺も餅にかじりつく。

 柔らかなお餅に包まれた適度に甘いこしあんが口の中に広がると、得も言われぬ幸福感が心を満たす。


「ん~、美味しい~」


 委員長は早速二個目に手を伸ばす。


「ミユも~」


 ケースの上からミユがかなりの勢いで机の上に飛び降りてきた所を見ると、彼女もこの銘菓をかなり気に入ったようだ。


 俺はそんな二人の微笑ましい姿を見ながら、この場に居ないいつものメンバーが帰って来たらまたいつものようにもっと賑やかになるんだろうなと、そんなことを考えていた。

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