第107話 バレンタインの野望と招かざる来訪者です。
「今年もまたこの
カレンダーを眺めつつ一人感慨にふけっていると、キッチンで片付けをしていたミユがふよふよと飛んできて「何が来るの?」と首を傾げて尋ねてくる。
目の前のカレンダーは2月。
俺は目の前にぶら下げられたカレンダーの「14」という数字を指差しミユの疑問に答える。
「14日に何かあるの?」
ミユがカレンダーに近寄ってジッと『14』と書かれた太いゴシック体の文字を両腕を組んで見つめるが、そこには答えは一切書かれていない。
というかシンプル・イズ・ベストという理由で百均で買った、数字とその下に予定を書く欄が数行分あるだけの簡潔なものだから、俺が何か書き込まない限りその日に何か意味があるのかわからないのだ。
なんせ大安とかの表記すら無いのだから。
さて、ミユが見つめている2月14日はいったい何の日か、賢明な諸君……じゃなくても日本人の九割九分九厘の人たちならおわかりだろう。
そう、2月14日は言わずと知れた『愛と希望と勇気の日』である。
愛と勇気だけなら続く言葉は『Merry Christmas』しかこの世には存在しないと俺の中では思っているのだが、よく考えるとこの言葉って結構意味深いのではないか?
両方共カップルがイチャイチャするリア充爆発の日として有名だが、2月の方は告白イベントという一面も強いので『希望』が加えられていると考えるとどうだろう。
その『希望』が結果的に『絶望』に変わる人も多々あるだろうが、そんなことは知ったことではない。
我々彼女いない歴=年齢の男からすればどちらも身内からのプレゼント以外はこの世に存在しない物なのだから。
長々とネタ話を頭の中で展開させるのにも飽きてきたので、俺はミユに答えを教えてあげる事にした。
「その日は『バレンタインデー』と言ってね。日頃お世話になった男の人にチョコレートをプレゼントする日なんだよ」
本当は違うとか、お菓子会社の策略だとか、ラブラブチュッチュな事とかを隠しつつ語る。
何故なら俺はミユからチョコをもらいたいからだ。
そう、ミユが現状一番お世話になっている男の人は誰だ?
もちろん俺以外にありえないだろう。
卑怯だのなんだの言いたいやつは言えばいい。
娘の初チョコを貰うという重大イベントの前にはそんな言葉など無意味ッ!
俺は横目でチラチラッとミユの様子を窺う。
「へ~、そうなの~」
予想外に気のない返事に俺は少し焦る。
これはまずい。娘からの初チョコという夢が壊れてしまう。
俺は慌ててもう一つの切り札を切ることにした。
「そ、そうなんだよ。それでね、チョコを貰った男の人は3月14日にそのお礼として女の人に何かプレゼントをお返しに渡すんだよ」
これで少しは興味を持ってくれただろうか?
チラッ。
もう一度ミユの様子を窺う。
「お返し?」
少し興味が出たようだ。
俺は内心の焦りを隠しつつ更に攻める。
「そう、貰ったチョコの三倍くらいの値段のミユが欲しい物がもらえるんだよ」
マシュマロとかクッキーとかキャンディーなんて言わないところが味噌だ。
菓子業界の陰謀によって作られたこの御三家だが意味があって、マシュマロ=嫌い・クッキー=友達・キャンディー=好きという意味合いがあるらしい。
だからデフォルトがクッキーなのかと、このことを知った時に腑に落ちたものだ。
ちなみに最初に始めたのがマシュマロを作っている会社で、後にホワイトデーという名前を作ったのが人気に便乗して後追いした飴業界なのだそうで、最初に始めたマシュマロに『嫌い』の意を付けるとかなかなか悪どいと言わざるをえない。
そして結局クッキーにすべてを奪われるというオチまで付いているのが諸行無常。
「三倍!?」
ミユがキラキラした目をして振り返った。
やった、作戦成功だ。
世界樹とは言え所詮女は女よ……ふふふっ。
俺のような知的男子にかかれば掌の上で転がすのも容易いっ。
自分の作戦の見事さに自画自賛しているとミユがキラキラした目のまま俺の顔の前まで飛んできて予想外の一言を放つ。
「三倍ってことは赤いの? 赤い専用機とかもらえるの?」
――俺は一瞬何を言われたのかわからなかったが、結局期待に満ちた目でそんなおねだりをする娘には逆らえなかったよ……。
「あ、ああ。赤い専用機ね。多分大丈夫、うん」
俺は目線を右上の方に逸しながらそう返答するしか無かった。
その返答を聞いて大喜びで部屋中を飛び回りだしたミユを見ながら俺は『高橋さんに土下座してでも頼み込むしか無いな』と嘆息するのであった。
ちなみに『愛と希望と勇気の日』というのは、その日に南極物語で有名なタローとジローの生存が確認された日だからであって、決してイチャラブカップルのために作られた記念日なのではないので14日は世界中の全人類がずっとタロジロの事を考えて過ごすと一日優しい気持ちで過ごせるはず。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ぴんぽーん。
悪の組織幹部ですら来訪チャイムを押す昨今、簡単にドアを開いてはいけない。
俺は玄関に向かおうとするミユを制してゆっくりと扉に向かう。
この時決して音を立ててはいけない。
なぜなら敵はドアに耳を当てて『中の音』に聞き耳を立てている可能性があるからだ。
「お父さ……」
「シッ、静かにっ」
俺のそんな慎重な姿を見て、ミユにも緊張が走る。
すり足の要領で床の上に足を滑らせ、かすかな音すら立てないように細心の注意をはらいつつドアのスコープに近寄っていく。
本当ならこんな危険な事はやらずに居られたほうが良いのだが、もしかしたらゾンアマからの荷物かもしれないのだ。
その場合は早急に返事をしないと不在通知を放り込まれ、宅配員さんにも迷惑がかかってしまう。
昨今の宅配便事情をネットやニュースで散々目にしている以上、知らぬ存ぜぬは通るまい。
噂で聞くところによると、S川という宅配屋には呼び鈴がなってすぐ外に出たのに既に不在通知だけを残して消えているという忍者配達員も居るらしいが、そんな強者がこのドアの向こうに居たのだとしたらもう手遅れだろうが。
俺は片目を閉じ、開いているもう一つの目でドアに取り付けられた覗き窓を使い外の様子を探ってみる。
「!?」
球体レンズの先に長めの髪をお団子にした黒髪メガネの女性が立っていた。
年の頃なら二十代後半だろうか、カッチリとしたスーツ姿で手には何やら大きく膨らんだビジネスバッグの様な物を持っている。
「ヒッ」
一瞬だが確かにレンズ越しに目があった気がして俺は慌てて体を扉から離す。
ぴんぽーん。
それを見計らったように部屋のチャイムがもう一度鳴り響いた。
これはもう完全に気づかれたのではなかろうか?
いや、こちらが覗いてるなんてバレる訳がない、さっき目があったと思ったのもきっと気のせいにちがいない。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん!
俺のそんな願いも虚しくチャイムが連打される。
近所迷惑だと思っていると続けてドアがドンドンと叩かれる音が響いた。
ドンドンドン!
ぴんぽんぴんぽんぴんぽん!
ドンドンドン!
「田中くん。居るのはわかってんのよ、出てきなさいっ」
ドンドンドン!
これはもう完全に俺が在宅中なのはバレていると考えて間違いない。
俺は観念して一度部屋に戻ると、何が何だか分からないまま怯えているミユに隠れて客が帰るまで絶対に姿を表さないようにと言いつけてからドアまで戻る。
「今開けますから叩かないでくださいよ、近所迷惑だから」とドアの向こうの『敵』に声を掛けながらドアの鍵を開ける。
ガチャリというロックの外れる音が鳴り終わらない内にバンッ!とドアが開かれた。
ドアノブに手をかけていた俺は外へ引きずり出されるような格好になり通路に倒れ込みそうになる。
「うわっとっとっと――ぐえっ」
倒れる寸前で襟首を捕まれたおかげで通路に這いつくばる事は避けられたが、その代わりに襟で首が絞まってそんな声が漏れた。
そのまま通路にひざまずくような格好で座り込んだ俺は、目の前で仁王立ちしている女性の顔を見上げ「何するんですか!」と抗議したが――。
「ドアを開いたら突然飛び出してきた貴方を助けただけだけど?」
うぐっ、たしかにそう言われればそうだけど。
なんだか微妙に納得がいかない。
「とにかく今日こそきちんと話をさせてもらうわよ」
「はい……」
ここ一週間、彼女からの呼び出しを何度かシカトしていた俺は、こうして遂にクラス福担任の城之内先生(26歳独身)に捕まってしまったのだった。
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