第105話 猫と犬とゆく年くる年です。

 亜空間ルームは世界樹育成ケースを更に進化させたもので、外部からの魔素等による干渉をほぼ受けないのだが『ルーム』という名称からも判るように世界樹育成ケースと比べてサイズが非常に大きく、世界樹育成ケースの次期バージョンに採用するためにはまだまだ小型化と省エネルギー化を進めていかないといけないらしい。


「簡単に言えばこの転移者の里の簡易版といった所でしょうか。人数的には5人まで、魔素侵食の大半は防げますが里のシステムほど現状の技術では長期間の運用には向きません」

「いや、でもそれがあれば転移者の人たちを元の世界に送り届けるには……」

「十分でしょ? でしょ?」


 咲耶姫がドヤ顔で胸を張る。

 魔素侵食を一時的に防ぐ空間を作り出す亜空間ルーム、そして世界間を自由に移動できるティコライのスキル、その二つがあれば問題はほぼ解決したと言っていいだろう。


「加護を失ってる人たちについては元の世界まで行って、その世界の世界樹に力を貸してもらうから大丈夫よん♪ きっと私がさっきやったように新たな加護を貰えると思うわ♪」


 言動からは想像できないけど、やはり木之花咲耶姫様は一つの世界を長い間支えてきただけはある。

 ティコライの力とユグドラシルカンパニーが開発した技術が今この時に有ったればこそとは言え、それを直ぐに結びつけて『転移者帰還大作戦』をぶち上げる行動力と発想力も凄いと思う。

 まぁ、無駄にサプライズ好きなのだけは勘弁してほしいけど。


 容量の小さいコノハの体を通しているせいで威厳とか聡明さとか全く感じないが、実際の彼女はきっと素晴らしい世界樹(ひと)に違いない。

 今度、山田さんにお願いして本物の木花咲耶姫様に会いに行きたいな。

 ミユが成長した今なら訪問を断られたあの時と違い、俺自身が山田さんの世界へ行くことも可能なはずだしな。


「咲耶姫様ありがとうございます」

「ありがとうございます」

「私も元の世界に戻れるんですね」


 集会所に集まった人たちからも咲耶姫に向けてそんな声が次々に上がる。

 

「これは明日からのお仕事が大変なことになりそうですね」


 そんな歓喜の輪を見ながら山田さんが横で口元に少し笑みを浮かべていた。

 基本社畜精神の塊な山田さんの事だ、仕事がガンガン詰まっていく未来に思いを馳せているのだろうな。


「山田さん、明日は元旦ですよ。正月早々仕事するつもりなの?」

「え? ああ、そうですね。流石に明日は我が社もお休みですから、本格的な業務は四日からでした」


 山田さんがいつもの手帳を取り出しスケジュール表を開いて何やら書き込み始めた。

 四日からもう仕事始めなのか。

 早いな。


「というわけで山田くん」

「はい」

「ティコちゃん」

「は、はいっ」

「後のことは二人に任せたわ。そろそろ限界みたいだし私は戻るねっ」


 咲耶姫は作戦の主要人物である二人にそう声を掛けた後、ゆっくり俺の方に飛んできたかと思うとすれ違いざまに耳元で小さな声で囁いた。


「田中くん、スペフィシュで待ってるよ。貴方の……と一緒にね」


 咲耶姫の風に消えそうな小さな囁き。


「えっ?」


 一瞬彼女が囁いた、あまりに意外な一言に思考が停止してしまった。

 今、彼女はなんと言った?

 慌てて通り過ぎていった咲耶姫を振り返る。


「咲耶姫様、今なんて言ったんですか!?」


 突然俺が大声を出したことに集会場にいた人たちが俺の方を驚いた顔で見るが気にしている場合じゃない。

 しかし振り返って見た彼女の姿は予想外のものだった。


「お父さん、コノハちゃんが。コノハちゃんが動かなくなっちゃった!」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 コノハ死す。


 そのニュースは瞬く間に全世界を席巻した……何てことはなく、直後山田さんたちの元にユグドラシルカンパニーとドワドワ研から連絡が入った。

 どうやらドワドワ研からこの世界へ魔素リンクを繋いでいる『移るんです』が、木之花咲耶姫が行使した力の負荷に耐えきれず壊れてしまったらしい。

 修理にはしばらく時間がかかるとのことで、ミユはコノハと一緒に年越しが出来ない事を知ってかなり落ち込んでいた。

 修理に時間がかかるもう一つの理由は、ドワドワ研署員達が今回の故障を受けて更なるパワーアップを行いたいと申し出た事にもある。


 その話を聞いて頭に浮かんだ言葉を教えよう。


『嫌な予感しかしない』だ。


 最後に咲耶姫が残した言葉の内容を山田さんに相談しようと思ったのだが、帰還計画の打ち合わせで忙しくしている彼をなかなか捕まえることができなかった。

 やっと捕まえたと思ったらのらりくらりとかわされ、まったく要領を得ない。

 

 そんなこんなでバタバタしている内に夜になり、大晦日の伊勢神宮へ向かう時間になった。


 大晦日の伊勢神宮へは里の人がシャトルバス発着場まで送ってくれたので、そのままバスで向かった。

 シャトルバスから渋滞の車を見ながらたどり着いた内宮は人で溢れていた。

 

 年越しまでにはまだ時間があるので俺達はTVで見たことのある赤福本店、そしてその前にあるおかげ横丁をぶらつく。

 おかげ横丁の入り口にどーんと置かれているでっかい招き猫の石像をミユはかなり気に入ったらしく「お父さんこれおみやげにほしいの」等と無茶なリクエストをしてきた。

 流石にそれは無理なのでおかげ横丁の中にある招き猫専門店で俺の予算が許す中でミユが選んだものを買ってあげた。

 店の前にも人と同じくらいの大きさの招き猫が鎮座し、観光客が次々にツーショット写真を撮影していた。

 それを横目に中に入る。


「これは壮観だ」

「猫ちゃんがいっぱいなのー」


 店の中はグルッと360度一面に様々な姿形の招き猫が置いてあり、量産品から一品物までとんでもない種類の招き猫にただただ圧倒された。

 そのさまざまな招き猫の中には数百万円もする作品もあるらしい。


「そんな高い招き猫って、観光客に売れるんだろうか?」

「聞いた話によると、十万円位の招き猫は中国の人がたまに買っていくらしいですね。あちらではかなりの縁起物なんだとか」

「爆買いの波がこんなところにまで……」

「元々招き猫は日本の文化だったのが台湾等でブームになって中国に伝わっていったのであちらでは実は最近の風習らしいですね」

「へー、風水とかと一緒に中国の方から渡ってきたんだと思ってたよ」


 店を出ると山田さんが「田中さんは猫派ですか? それとも犬派ですか?」と、おかしな事を聞いてくる。


「ミユは猫派なんだけど俺は犬派なんだよね」


 昔、亡くなった爺さんの家で飼っていた「たぬ助」の顔が頭に浮かぶ。

 名前の通りかなりのタヌキ顔をした雑種で、よく散歩に連れて行ったものだ。

 最近は雑種犬をあまり見かけないけど、昔は雑種のほうが頭がいいとか言われていたと爺さんから聞いたことがある。

 本当か嘘かわからないけど。


「そうですか、実はおかげ横丁には猫だけじゃなく犬のグッズも色々あるんですよ」

「招き猫は縁起がいいって事だから判るけど、伊勢神宮に犬?」

「はい、その名も『おかげ犬』といって、伊勢参りを主人の代わりに行う犬の話がありまして」

「え? お伊勢参りする犬? しかも主人の代わりって」


 山田さんの説明によると、かつて一生に一度は伊勢参りと言われた時代にいろいろな事情で自分では行けない人が、自分の代わりに伊勢参りに行く人に愛犬を預けて代わりに伊勢参りをしてもらっていたらしい。

 伊勢参りに送り出す愛犬には、首にしめ縄等を巻いてお金を入れた袋をつけたりして送り出すと、旅先でも『おかげ犬』と判るため、宿場などで餌をもらえたり、宿泊もさせてもらえたり、嘘みたいな話が言い伝えられている。

 その姿は伊勢参りを描いたうき浮世絵に描かれていたり、伊勢参りをしたおかげ犬を祀った犬塚が存在していたりするので、実際それに近いことが行われていたことは間違いないようだ。


「お金とかぶら下げててよく盗賊とかに襲われなかったもんだ」

「それだけお伊勢参りと言うのは当時の日本人にとって別格の事だったのでしょうね。あ、ここです」


 山田さんに連れられてやって来たお店は、店頭から小さな犬の置物がズラッと並んでいた。

 中に入るとストラップやら手ぬぐいやら様々な『おかげ犬グッズ』が売っていて、その品揃えに驚く。


「吉田さんへのお土産はこれにしようかな」


 俺は数ある商品の中から、かわいらしいおかげ犬の形をしたハンカチを手に取った。

 正直手持ちのお金があまりないので何千円もするようなグッズには手が出ない。


「吉田さんも一緒に参拝に来られればよかったのですけれど」

「仕方ないよ、ティコの『移るんです』まで調子も悪くなるなんて誰も予想してなかったし」

「む~、ミユもティコちゃんと一緒出来ると思ってたのにざんねんなの。コノハちゃんも居ないし……」


 咲耶姫のエネルギーを受けてか、あの後ティコライをこちらに送り込んだ吉田さんの世界にある『移るんです』も動作が不安定になってしまったのだ。

 ドワドワ研にあるコノハ用の『移るんです』は、かなりの高負荷を受けて大ダメージだったそうだけど、ティコの方はそこまで重篤な状態ではないとのことで、吉田さん達と一緒に高橋さんが修理に向かった。

 大晦日、そして新年を迎える旅行のメンバーが一気に減ってしまったので少し寂しくもある。


「そろそろ内宮の方へ参りましょうか。お土産は荷物になりますし、帰りにまた寄りましょう」

「そうだね、高橋さんと委員長に頼まれた銘菓も買わなきゃならないし」


 あの二人に関しては『おみやげ』と言うより『買い出し』といったほうが正しいのかもしれないな。

 なんせ二人共きっちり欲しいものの分のお金を俺に渡して去っていったから。


 俺は旅立つ前に委員長から聞いた『おみやげにほしいものリスト』と、里で高橋さんから押し付けられた『絶対に買ってきてほしいリスト』を眺めてから人混みの中、山田さんの背中を追って歩き出す。


 ゆく年くる年。


 思いもしなかった出来事に巻き込まれ、右往左往した今年ももうすぐ終わる。

 俺は目の前を歩く山田さんと、肩の上で大事そうに買ってあげた小さな陶器製の招き猫を抱きかかえてるミユを交互に見やった。

 この二人との出会いから俺の人生は変わったんだよな。。

 きっと来年はもっと変わる。

 そんな予感が俺の足を前へ進めさせる。


 人混みを俺を守るようにかき分けて進んでいく彼の背中を見ながら俺は咲耶姫が最後に残した言葉を思い出す。


「スペフィシュで待つ……か」


 来年、まず最初にやるべきことは決まりだ。

 山田さんたちの世界、スペフィシュへ行く。

 そして木之花咲耶姫様にもう一度会うんだ。


 彼女が最後に囁いた言葉。

 それがきっとその答えなんだと、なぜだか俺はそう思えて仕方がなかった。






 この後、すぐ近くだと思っていた内宮本殿にたどり着くのに二時間以上もかかるとは思いもしなかったけど。



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