第50話 特別な日なんです。
~5年前 どこかの世界で~
その現場は様々な声が飛び交い、今この瞬間にも何かが起こることを確信させていた。
その男は一人目の前の立体映像のようなものを血走った目で凝視している。
「なぜだ」
苦渋にもにたつぶやきが男の口から漏れるが周りの喧噪で男以外にその声は届かない。
「計算は完璧だったはずだ」
男は何度も手元の術式を確認し、目の前に繰り広げられる現状との齟齬を必死に探していた。
「山田くん! このままでは穴が広がって被害が増えるぞ」
その男、山田の元へ上司が駆け寄ってきた。
「わかっています。今その原因と対処法を模索中です」
山田は上司の方を見ることもせず口だけで答える。
今は一刻を争う状況なのだ。一々無能な上司のために割く時間はない。
「接触します!」
現場により一層の緊張感が走る。
「3、2、1、接触! 上空50メートルに穴が開きます」
現場の者たちすべてが中央正面の一番大きな立体映像に注視した。
必死に対処法を模索していた山田もその時ばかりは映像に目をやると悔しそうに歯がみする。
世界間衝突に音はない。
だた目の前の映像の中で突然空間がゆがみ、小さな穴が開いてゆくのみだ。
やがてその穴が広がり一定の大きさになるとまた小さくなってゆく、ただそれだけだ。
しかし今回はその様相が少し違った。
その映像には今までの世界間衝突ではせいぜい1~2メートルほどしか開かなかったはずの世界間の穴が2メートルを超えさらに広がっていくのが映し出されている。
「救いはあちら側もこちら側も空中だと言うことか。しかしどこまで広がるんだ」
現場から思わず声が漏れる。
その声に一人の男が答えを返す。
「バリアに使われている魔力量から計算すると、約10メートルもいかずに収束すると思われます」
「わ、渡辺君、それは本当かね?」
「ええ、今回のバリア計画について先ほど我々の部署にて再計算した結果です」
渡辺はそれだけ言うと広がる穴の映像を凝視している山田に近寄り声をかけた。
「山田、ちょっといいか?」
声をかけられた山田は初めてそこに渡辺がいたことに気がついたのか驚いて振り返る。
「渡辺……何をしに来た」
山田の声は少し震えていたが強がっているだけにしか見えない。
「君の術式にミスを見つけた」
「ミス? 馬鹿な」
「現実を見ろ山田」
渡辺はそう言って映像を指さし言葉を続ける。
「お前だけのせいじゃない。俺のチームでも今回の騒動がなければ気がつかなかったほどのミスだ。だがそれが大きかった」
そして渡辺は山田の手元にある術式の紙の一部分を指さし、その小さなミスの修正点を山田に伝える。
「この部分、本来なら接触時に穴を開くことを防ぐ部分が転移装置の術式と反発して逆の効果になってしまうんだ」
「そんな……」
「これが転移装置の術式だ」
男たちはその二つの術式を並べ見比べ修正点について語り合おうとした、その時である。
「穴の向こうから何かやってきます!」
渡辺の言葉によって落ち着いていた現場がまた喧噪に包まれる。
世界間衝突で開く穴によって異世界から送られてくる物は無機物有機物様々だ。
時にその穴に偶然にも人や生き物が巻き込まれてやってくることも多いが今回はその穴がいつもより大きく開いてしまったため『被害』の予想がつかない。
先ほどまでの観察では相手側の世界も空中に穴が開いたことが確認できていたので悪くても鳥程度で収まるのではないかと現場の者たちが予想していた中での出来事である。
「急いで確認を! 場合によっては救助隊が必要になるかもしれない!」
無能だと思っていた上司がテキパキと指示を出す横で山田はその映像を呆けた顔で見ているだけだった。
「山田! しっかりしろ」
突然その肩を渡辺に揺すられて山田は意識を戻した。
「あれは一体何だ?」
前回、衝突先の世界から知的生命体『人間』が飛ばされてきたのは百年以上も昔のことである。
その人物から聞いた話にはあのような物は存在しなかった。
その物体は衝突相手の世界では『飛行機』と呼ばれる空を飛ぶ機械であると知るのは後のこと。
徐々に小さくなっていく穴の中からその胴体がずるりと顕現する。
後にわかったことだが穴に入りきらなかった主翼を引きちぎりながら胴体のみがくぐり抜けてきたため、その機体は激しく損傷していた。
その日、『異世界』より穴を抜けてやってきた飛行機がエルフの里の近くへ不時着した。
主翼を無くしていたものの、現場にいち早く到着した山田、渡辺両名が世界樹の力を使い激しく墜落するのを防いだ結果、乗員乗客のうち約1/3の9人の命が助かった。
数日後、事故の被害者が入院している医療施設へ足繁く通う山田の元に渡辺がやってきて言う。
「山田、今回のことはお前のせいじゃない。そもそも穴が元の1~2メートル程度だったとしたらあの飛行機はあちらの世界で空中分解していたはずだ。そして一人も生き残っていなかった」
「慰めはよしてくれませんか。そもそも私がバリアの術式をミスさえしなければ事故自体起こらなかったはずなんです」
かぶりを振る山田の肩に手を置いて渡辺が声を荒げる。
「あの術式は俺のところのミスでもあるんだ、お前だけの責任じゃない。天才だからって何でもかんでも自分一人でできると思うなよ!」
山田は渡辺の手を振り払って無言のまま立ち去ろうとした。
「お前がやらないなら俺がバリアを完成させる。それでいいな」
渡辺がその背中へ問いかけると「ええ、たのみます」と答え建物の中へ消えていった。
およそ一年後、バリアが完成し、さらに数年後に異世界転移装置も完成するのだが、その現場に山田の姿はなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いやぁ、ドワドワ研究所の打ち上げは本当にひどいものでしたからね。途中から記憶が飛んでまして何が起こったのか完全には覚えてないんですよ」
今日はなぜかユグドラシルカンパニーから帰ってきた山田さんが俺の部屋で酒盛りを始めた。
いつもはあれだけ禁酒だなんだとお酒を飲ませない高橋さんまで呼んでの酒盛りである。
当の高橋さんは、最初の一杯目で早速ダウンしている。
俺の知っているドワーフというのはこんなに酒に弱くないはずなんだがな。
逆に自称異世界女神の吉田さんはどれだけ飲んでもまったく顔色が変わらない。
これはこれでつまらないもんだ。
机の上にドンと置かれた一升瓶には達筆な文字で『仁義州漢』と書かれていた。
エルフの里から北に行ったところにある国の銘酒らしいがなぜに日本語のラベルなのか。
そして俺の知っているジンギスカンと違うってレベルじゃねーぞ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「このお酒はですね。北方の国でよく作られているシビエっていう果実から作られたお酒でして、寒い地域で造られたお酒なので度数もかなり高いんです」
最初山田さんが部屋に来たとき、手に持った一升瓶について尋ねたらそう返事が返ってきた。
シビエってジビエじゃないのね。鹿肉のお酒とか一瞬考えてしまったよ。
「あ、それとコレが田中さんとミユちゃん用に一緒に取り寄せたシビエジュースです」
山田さんがそう言って取り出した瓶ジュースは一見普通のサイダーだが、シビエが実際どんなものかわからないので油断は禁物だろう。
瓶にはかわいらしい大きなリボンをつけた女の子の絵が描いてあり、その下に『シビエロン』と商品名が明記されていた。
どこかで見たようなデザインと名前だが俺は深く考えないようにした。
「この女の子かわいいの! ミユもリボンほしい」
ミユがそんなことを言うので今度かわいいリボンを買ってきてプレゼントしてやると心のメモに大きく書き足した。
『本体はリボン』といわれるレベルのものを頭に思い浮かべているうちに山田さんが数個のコップと自分用のおつまみセット、そして俺たちの夕飯に買ってきたと思われる食べ物を机の上に並べ終わっていた。
「あれ? コップ二個多くない?」
机の上にはコップが五つ並んでいたので聞いてみた。
「ええ、高橋さんと吉田さんも呼んでありますので」
その言葉を待っていたかのように玄関の呼び鈴が鳴らされて高橋さんと吉田さんがやってきた。
「おじゃましまーすですです」
「こんばんわ田中くん、およばれに来たよ」
「いらっしゃい二人とも、さぁ座ってください」
山田さんがいつものように場を仕切って二人を呼ぶ。
「ところで今日はいったい何の集まりなんだい?」
吉田さんの問いかけに山田さんは「私にとって特別な日……ですかね。一人で過ごすのも寂しかったので皆さんに声をかけさせていただきました」と笑顔を向けた。
「ふ~ん、まぁそういう日ってあるよね。わかった一緒に楽しもう」
吉田さんはそのまま深く追求することもなく高橋さんと部屋に入ってきた。
二人が座ると高橋さんと吉田さんがそれぞれタッパーを取り出して机の上に置いた。
「何これ?」
「昼間に伊藤さんにお願いして料理教室を開いてもらったですです」
「ちょうど今日なら時間があるって言われてね。せっかくだからお願いしたんだよ」
この家事が壊滅的な二人に料理を教えるなんて俺だったら即答でお断りするが、伊藤さんはいい人過ぎる。
「それでこのタッパーが成果物ですか?」
俺はその二つのタッパーを指さして聞く。
「ですです。三人の愛の結晶と言っても過言じゃないですです」
いや、過言だろう。
「ボクも今回は完璧にできたと思うんだ」
正直、心底信用できない言葉だけど伊藤さんがちゃんと見ていてくれただろうし食えないものではないと思うけど。
とりあえずミユに食べさせるのは俺が毒味をしてからだな。
ゴクリと息をのんでおそるおそるタッパーを開けてみる。
こ……これは!
普通。完全に見た目は普通。
高橋さんの方は中に海苔を巻き込んだだし巻き卵かな? 焦げ目が少ないから甘い方じゃないと思う。
吉田さんの方は肉じゃがか。
ある意味基本をぶっ込んできたな伊藤さん。
まぁ重要なのは見かけじゃなく味だが。
「それではいただきましょうか」
いつの間にやら山田さんが俺たち全員分のコップにそれぞれお酒とジュースを注いでくれていた。
ミユはそのままだと飲めないから雰囲気だけみたいなもんだけど、あとで吸収口から少し垂らして飲ませてあげよう。
「いただきます」
みんなの声がハモる。
とりあえず毒味と思いつつ二人のタッパーからそれぞれ少し料理を取り皿に取り出し食べてみる。
「うん、普通」
「その言い方はないんじゃないかな?」
吉田さんが不服そうだが今までの壊滅的な料理からしたらコレでも格段の進歩だ。
「いや、普通においしいものを作るのって難しいから」
俺がそう言うと吉田さんは納得したのかうれしそうに笑顔になった。
その隣でなぜか偉そうに胸を張っている高橋さんには触れないでおくことにした。
毒味が終わったのでミユ用の取り皿にそれぞれの料理をとりわけ、いつもの場所から俺の隣へ移動させてきているミユの本体ケースの上に置く。
「おいしいの」
ミユに味がわかるのかどうかは不明だが、ミユがそう言うならそうなんだろう。
実際目の前で何も口にしていないミユの素体が口をもごもご動かして「おいしい、おいしい」と言う姿はシュールだ。
「このお酒は伝説の『仁義州漢』じゃないですですか!」
高橋さんが山田さんの持ってきたお酒を見てハイテンションになっている。
「ええ、手に入れるのにかなり苦労しました。今だと予約してから一年くらいかかるらしいですからね」
高橋さんの目つきがやばいレベルだ。
こういうところは自称酒好きのドワーフらしい反応なのかもしれないな。
「いただきますですです!」
高橋さんはそう言うとコップに注がれたお酒を一息に飲んだ。
「おいしいですですぅ~」 バタン。
そしてすぐに倒れた。
早い、早すぎる。
「高いお酒なんだからゆっくり楽しんだ方がいいのにね」
吉田さんはそんな高橋さんを見ながらちびちびとコップを傾けていた。
「そうですよね。私もお付き合いしますよ」
山田さんと吉田さんの飲み会が始まってしまった。
そうやって今日もいつものように一日が終わっていく。
このまま変わらない日々がずっと続いていきそうなそんな気持ちになりながら俺はその濃いめのサイダーとしか思えないシビエサイダーを一口飲んだ。
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