第74話 世界樹の創りしものです。

「もうだめぽ・・・・・・」


 俺は目の前にドンと積まれた補習タワーを前にして机に突っ伏していた。



 この世界に帰ってきてから、はや一週間が経った。


 あの日、委員長からの心のこもった贈り物という名の拷問器具を受け取ったのが運の尽きである。


 毎日の課題消化と二日に一度の教師との放課後デート(補習授業)の日々に、そろそろ頭が悲鳴を上げ始めていた。



 しかし元々出席日数がレッドゾーンに近かった上に、学校での勉強もかなりおろそかにしてきていたツケが回ってきているだけなのだから仕方がないとも言える。


 そんな俺を留年させまいと親身になってくれている教師の事を思えば不平不満を言うのはお門違いなのかもしれない。


 もし留年なんてことになったら余計に学費がかかってしまう。


 最悪退学して中卒のまま就職活動することになるだろう。


 元々高校卒業後には大学に行かず就職する予定ではあったのだが、成績が良いほうがいい所に就職できるはずなので今頑張るしか無いのだ。


 最初の一年の半分を無為に過ごしてきた自分の責任は重いな。


 俺がそんな思考に入り込んでいるとキッチンの方からミユの声が聞こえてきた。



「お父さん、紅茶入れてあげるけどお砂糖何杯いれるの?」


 どうやら心優しい我が娘は俺のために紅茶を入れてくれているようだ。


「勉強して疲れたから糖分補給に二杯でよろしく!」


「はいなの」


 俺はミユの返事を聞いてもうひと頑張りするぞと気合を入れてノートに立ち向かう。


 娘を路頭に迷わせるわけには行かないのだ。




「お父さん、紅茶入れてきたの」


 しばらくしてミユが危なげなくキッチンかられたての紅茶のカップを飛翔して持ってきてくれた。


 もう随分と飛行ユニットの操作に慣れたらしく、当初のようなフラフラした感じは微塵も無い。


 なんと出来た娘なのだろう。


「ああ、ありがとう。お父さんちょっと休憩タイム」


 俺はそう言うと椅子から立ち上がって床に座りちゃぶ台の上にミユから受け取った紅茶の入ったカップを置く。


 勉強する時はパソコンデスクのキーボードを片付けた所にノートを広げてやるほうが集中できるのだが、休憩はやはり座布団に座るほうがリラックスできる。


 逆にちゃぶ台の上に勉強道具を広げるとどうしても集中できずに、気がつけば漫画を読んでいたりする。


 普通の家だと椅子に座る部屋と床に座る部屋は別々なのが当たり前だと思うのだけど同じ部屋で二つのスタイルを使い分けるのが俺のジャスティスだ。



 俺はそんな理由で置いてあるちゃぶ台に頬杖をついて、ミニ世界樹育成ケース上部の吸収口に自分の分の紅茶を流し込むミユの姿を眺めていた。


 百均で買ってきてあげたきれいな花柄の付いたミニチュアカップをミユはたいそうお気に入りで愛用している。


 時々百均でミユに合うだろうとミニチュア家具とかを買ってきてあげているのだが、彼女はそれで自分の部屋を本棚の上の段につくりあげていた。


 妖精のように飛び、楽しそうに遊びまわるミユを見ていると本当にこれが『世界樹』なのかと疑いたくなるな。


 そう、世界樹といえば……。


 俺はそっと立ち上がりパソコンデスクの横においてある『ミニ世界樹取扱説明書』を取り出した。


 この説明書の秘密を山田さんから聞いたのは昨日、久々に彼が俺の部屋にやってきた時のことだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「そういえばあれからヨシュ……吉田さんの世界はどこへ行ったんですか?」


 あの日、無事こちらの世界に転移された後、色々と『行方不明』だった俺の事をユグドラシルカンパニーがご近所や学校にどんなアリバイ工作をしたのかの説明を受けているうちに、吉田さんの世界はまた離れていってしまっていた。


 転移前に別れの挨拶は済ませていたとはいえ、それを聞いて何だか寂しかったのだった。


 山田さんにそれとなく聞いてみたら「あまり世界同士が近くに居すぎると魔素の干渉を起こしかねないですから」という返事をもらった。


「吉田さんの世界ですか。どうやら今度はスズキ様の世界へ向かったようですよ」


「スズキさんの?」


「ミユちゃんと話をしていてティコちゃんが興味を持ったらしくて」


 二人の世界樹が楽しそうに会話をしていた姿を思い出す。


「そういえば彼のミニ世界樹は新型育成ケースになってから問題なく順調に成長しているって言ってましたね。そろそろ喋れるくらいにはなってるんじゃない?」


 あれだけ優秀な弟子の事だ。今頃はミユの成長を超えられていてもおかしくはないだろう。


 なにせ勇者様だし、リア充だし。 ……リア充だし。


「今日にでも会社で確認してきますよ。ここのところあの騒動の後始末で他のことが何も出来ていませんでしたし」


 そう言う山田さんの顔は目に見えて疲れが溜まっていた。


 イケメンなのにスラッとした切れ長の目の下にクマがあるのが痛々しい。


「ところで最近高橋さんも見かけないんだけど?」


 家に帰ってきた日以来、それまでは毎日のように顔を見せていた高橋さんも顔を出さないのは山田さんと同じく後処理に追われているせいなのだろうか?


 高橋さんが居ないとミユの遊び相手が現状猫だけになってしまう。


 あと、たまに委員長が遊びに来るくらいか。


 確実に俺目当てでなくミユ目当てなのが寂しい。


「高橋さんならミユちゃんとティコちゃんに頼まれたティコちゃん用の依代体を発注しにドワドワ研究所本部へ行ってますよ」


 そういえば世界樹同士が会話してる時にそんなことを言ってたな。


 ティコの依代体が出来上がれば今度はティコ自身がこちらの世界へ遊びにこれるらしい。



 自分の世界から本体は離れることは出来ない世界樹は、そうやって自らの依代体を使って世界間を旅をするのだ。


 ……というのは俺の勝手な妄想で実際はどうなのかわからないらしい。


 そもそも山田さんの世界の世界樹には依代体が居ないのだそうな。


 そして会話する時は言葉ではなく脳内へ直接語りかけてくるとか。


「ファ◯チキください……」と語りかけてくる世界樹の姿を一瞬想像してかき消す。


 世界樹という生命体(?)の謎は未だにごく一部しか解っていないと山田さんが苦笑いしながら言う。


「彼女も全部教えてはくれないのですよ」


 彼女とは世界樹のことだろうか。


「それにですね、ミユちゃんやティコちゃんが成長して我々の世界樹と全く違う成長の仕方を見てさらに謎が深まりまして。もう何が何やらというのが現状ですね」


 たしかに同じ世界樹の枝から生まれ育ったというのにティコとミユの二人は全く別の成長を遂げている。


 そしてそれは山田さんの世界の世界樹とも全く違うらしい。


「ん?」


 そこまで考えた時俺は一つ気になることが頭をよぎった。


 じゃあアレはなんなんだ?


 俺はその疑問を山田さんにぶつけてみることにした。



「山田さん。世界樹の生態って未だにほとんど解明されていないんですよね?」


「ええ、そうですね。アンカー的な役割があるとか目に見える範囲の物はわかっているのですが、なにせミユちゃんたちが成長する度に新しい事が起こりますので」


 山田さんがお手上げという感じのポーズで応える。


 そう、ミユたちは成長する度に山田さんの世界の世界樹にはない成長の仕方をしている。そこが重要だ。


 俺はおもむろにパソコンデスクのモニター横に立てかけてある一冊の本を取り出して山田さんに見せる。


「じゃあ、この取扱説明書って誰が書いたんですか?」


 まだまだ解明途中、しかもミユが成長する度に『ユグドラシルカンパニーが予想してなかったこと』が起こる。


 それなのにミユのレベルアップのたびユグドラシルカンパニー自身が把握していない、成長で得た能力の説明が増えていくこの取扱説明書はいったい誰が作ったのか。


 それが謎なんだ。


 山田さんは俺の言葉を聞いて「今ならお話してもかまわないでしょう」と居住まいを正した。


「その取扱説明書を作ったのは……」


 ごくり。


 何時にない山田さんの真剣な表情に俺はつばを飲み込む。





「我々の世界の世界樹様です」

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