第150話 閑話 ミユちゃんのお弁当です。

 ある日の朝。


 俺は前日ミユに付き合わされて徹夜でゲームをしていて、気がつくと寝落ちしてしまっていた。

 最後の記憶は、ミユが残機の無限増殖に失敗してゲームオーバーになった所までで終わっている。


「ふわぁぁ」


 俺は眠い目をこすりながら大きくあくびをする。

 いつの間にやらきちんとベッドで眠っていた事を少し不思議に思ったが、ベッド脇のちゃぶ台の上に上半身を預けて死んだ魚のような目をして倒れ込んでいる山田さんの姿を見て、彼が俺をベッドに移動させてくれたんだろうなと察した。


 山田さんの事だから、どうせ深夜遅くまでサービス残業してたのだろうな。


 俺はそんな彼を見てそう思った。

 彼がなぜ仕事の後深夜に俺の部屋にやってきたのかは今更である。

 どうせミユに今日一日の報告を聞きに来たに違いない。

 いや、それともミニ世界樹ケースのどこかにデーターを引き出すスロットとか、俺が寝ている間にこっそりとそういう記録媒体を入れ替えに来ている可能性すらある。

 どこまで信用できるかわからないけど、山田さん自身はミニ世界樹の育成記録を付けているだけで俺のプライバシーに関する内容は収集していないというようなことを言っていた。

 最先端の超科学を持っているっぽいユグドラシルカンパニーが本気を出せば俺に全く気づかれないまま、俺のプライバシーくらいどれだけでもチェックできるはずなのだ。

 でも彼はあえてそんな事はしないと明言までしているのだから今の所は一応信じておくことにしている。


「おはようございます田中さん」


 上半身を起き上がらせた俺に気がついた山田さんが、何やらかすれたような声で朝の挨拶をしてくる。

 死んだ魚のような目と合わさって、まるでゾンビのようだ。

 エルフのゾンビとかあまり聞いたことはないけど。


 しかしこんなに疲れ切って帰ってくるときでもあの付け耳ははずさないんだな。

 会社になにか弱みでも握られてるのではないだろうか。

 普通仕事でそんな仮装をしなくちゃいけないとしても、帰りにはもう外してから帰るだろうに。


「おとうさん、おはようなの! いま朝ごはん作ってるから待っててなの」


 キッチンの方からミユのそんな元気な声が聞こえてきた。


「おはようミユ。あとついでに不法侵入の山田さん」

「不法侵入ではありませんよ。私はミユさんにご招待されて入ってきましたので」

「ミユに?」

「ええ、田中さんと昨夜遅くまで遊んでいたレトロゲームがどうしてもクリアできないから手伝ってほしいと言われましてね」


 俺はちゃぶ台の上に置かれたレトロなゲームマシンを見て納得する。

 このゲームマシンは少し前に山田さんが持ってきたものだ。

 俺自身は昔のゲームにそれほど興味はなかったものの、ミユがやってみたいとせがんだ結果、山田さんが知人から借りてきた物である。


「前に遊んでいたRPGと違って今回はアクションゲームだからミユ一人だと中々難しいんだよなぁ」


 仕方ないこととはいえ、依代体が小さいミユにとっては昔のボタンの少ないレトロゲーコントローラーですら大きすぎるのだ。

 そんな状態でアクションゲームをすれば自ずとゲームの難易度がとんでもなく上がってしまうわけで。


「それに昔のアクションゲームってセーブも出来ないしね」


 俺はベッドから起き上がると一つ伸びをしてから立ち上がる。


「それでクリアできたんですか?」

「ええ、まぁちょっと前に……」


 ちょっと前って今何時なんだよ。

 確か昨日俺の記憶にあるのが深夜2時――。


「えっ、もうこんな時間!?」


 時間を確認しようと時計を見た俺は、そこに表示されている数字を確認した途端にあわてて服を着替えだす。


「急に慌てだしてどうしたのですか?」

「やばいって、遅刻しちゃう」

「まだいつも学校に行く時間じゃないでしょう?」

「違うんだって、今日は始業前に特別授業が入ってるんだよ」


 今日は今年前半まで学校をサボりまくっていたツケを払うための大事な補習授業が朝、始業前にあるのだ。

 俺の計算ではまだ大丈夫だと思ってはいたのだが、心配性の副担任や委員長に押し切られる形で今日から数日間行われることに決まってしまった。

 しかも、本人は関係ないはずなのに委員長も付き合って出てくれるらしい。

 多分、俺の監視役なのではないかと勘ぐってはいるが、純粋に俺のことを心配してくれている可能性も否定できない。

 いや、むしろ俺のことが……などと思春期の男子高校生的には少しの期待もしてしまっているのは仕方のないことだろう。


「なのにその初日に遅刻とかありえないだろ、常識的に考えて」


 ものの数分もかからず着替えを終え、枕元に前日のうちに用意していた教材の入ったカバンを掴む。


「おとうさん、もう出かけるの? あさごはんは~?」

「ごめんミユ、急がないと遅刻なんだ。ご飯は山田さんにでも食べさせてあげてくれ」

「私はペットか何かなんですかね?」


 しわがれた声でツッコミが入るが無視する。


「それじゃあお父さん、あと40秒だけ待ってほしいの」

「ああ、それくらいなら大丈夫だ。それじゃその間に顔洗って歯を磨いてくる」


 俺はそう言うと洗面台に向かい、40秒で学校に行くための支度を整え洗面所を飛び出した。


「はい、お弁当なの」


 飛び出した俺に、ミユはそう笑顔で言いながら何やら四角い箱を俺に手渡してくれた。

 たった40秒で朝ごはんを弁当箱に詰めてくれたらしい。


「ありがとうな、ミユ。いってきます」

「いってらっしゃいなの」

「いってらっしゃい田中さん」


 俺は二人の声に送られながら急いで学校に向かったのだった。



     ♣     ♣     ♣



「おはよう、田中くん」

「おっ、おはよう委員長」


 教室の扉を開くと、既に委員長は机の上に教材を広げ始めていた。


「何そんなに急いできたの? まだ始まるまで十分くらいあるよ」


 委員長が不思議そうに首を傾げる。


 俺は寝ぼけていてすっかり忘れていたのだが、今朝俺が見た時計は一月ほど前に電池が切れてそのまま放置していた時計だったのだ。

 全力疾走でたどり着いた学校の正面にある時計を見るまで気が付かず、ミユの朝ごはんを無駄にした事が悲しい。


 そんな事を考えつつ自分の席に座ると、カバンからミユに手渡された弁当を取り出す。

 朝ごはんを一緒に食べることが出来なかったのは残念だけど、そのかわりこの朝ごはん弁当がある。


「なにそれ、お弁当?」


 委員長が興味深げに俺の方へ歩み寄ってくる。


「ああ、朝飯食ってる時間がないと思って作ってきたんだよ」

「へー、田中くん料理出来るんだ」

「えっ。 ま、まぁね」

「どんなお弁当なの? 見せて、見せて」

「見て驚くなよ?」


 ミユの料理の腕はいつの間にか雑な男飯の俺を遥かに上回っている。

 そんな彼女の作ったお弁当がまずい訳がない。

 俺は委員長にあえて見せつけるように弁当の蓋を開いた。


「うわぁ~」


 途端に広がる味噌汁の香り。


 えっ? 味噌汁?


「うわぁ~」

「うわぁ~」


 俺の声と委員長の声がハモる。

 眼の前に突如広がった惨状に何を言ったら良いのか言葉が出ない。


 弁当箱の中に存在しているのは味噌汁の海。

 その海ではソーセージやら卵焼きやら焼き魚やらご飯やらが好き放題泳いでいる。


 どうやらミユはあの40秒の間に、弁当箱の中に朝食で用意していたもの全てをぶっ込んだらしい。

 これは朝飯をキャンセルしようとした俺に対するミユの嫌がらせなのだろうか?

 いや、天使のミユがそんな事をするわけがない。

 多分ミユはお弁当というものをきちんとまだ理解していないのだ。

 そうに違いない。

 違いないのだ。


「すごいね。これが男の料理ってやつなのかな?」

「お、おぅ。うまそうだろ」


 俺はヤケッパチ気味に委員長にそう告げると一気に弁当を掻っ込む。

 いろんな味が混ざりあってカオスな弁当を食べる俺を見る委員長の目はドン引きしていた。

 さようなら俺の青春ラブストーリー。



     ♣     ♣     ♣



 夕方、家に帰るとミユが「おかえりなさい、おとうさん」と屈託のない笑顔で出迎えてくれた


「ただいま。弁当美味しかったよ」


 そう言いながら俺は惨劇をもたらした弁当箱をミユに手渡すと、彼女は更に笑顔を輝かせて「よかったの」と言ってキッチンに戻っていった。

 あの笑顔を見る限りやっぱりあの弁当はミユの嫌がらせではなかったのだなと少しホッとする。

 それと同時に俺は決意を新たにする。


 ミユにお弁当のちゃんとした作り方を教えるべきだ。


 と。







 まず「汁物は別容器に」というところから始めよう。


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