第115話 もう一つのプレゼントです。

 すっかり夜の帳が落ちた街の中で、そのビルは窓から煌々とした明かりが漏れ出していた。

 俺はポケットからスマホを取り出すと時間を確認し、次にそのビルの屋上を仰ぎ見る。


 月が照らす中、その屋上の柵にもたれかかるようにして俺の方を見ている様な人影を確認する。

 試しにその人影に向かい手を振ると相手も軽く手を振り返してくれた。


「一応山田さんに遅れるって伝えておいてって連絡入れたけどキチンと伝わってるんだろうか」


 月明かりが逆光になっていてその顔も表情も伺えないが、怒って無ければ良いんだけど……。

 俺は一つ気合を入れてからスマホをポケットに仕舞い、全速力でそのビルへ駆け出した。

 すでにエントランスは顔パスで通れる様になっているので、受付のお姉さんに軽く手を上げて通り抜けエレベーターホールへ向かう。

 何故か二つあるエレベーターが両方ともRを示していたおかげで呼び出しボタンを押してからドアが開くまでそれなりの時間がかかってしまった。


 急いでいる時に限ってこれだ。

 マーフィーの法則とかそういうやつだっけ?

 俺はエレベーターの移ろいゆく階数表示を見ながらそんな事を考えていた。


 きんこーん。


 エレベーターの小さなスピーカーから目的の階に到着した事を知らせる音が鳴る。

 回数表示の液晶画面には「R」つまり先程の人影がいた屋上に付いたのだ。


 ゆっくり開く扉に焦れながら俺は屋上へ駆け出す。


「こんばんわ」


 そこには今日俺が一番会いたかった人……ではなく何故か山田さんが屋上の柵にもたれ掛かるように立っていた。


「えっ、えっ、何で」


 俺がホワイトデーの日に屋上で待ち合わせていたのは決してこんなイケメンエルフではない。

 ホワイトデーに男友達と過ごすのなんて中学生時代までだろ。

 しらんけど。


 俺は一生懸命走ってきたせいでエレベーターの中で少し休んだとは言え脳内がまだ少し酸欠状態なのか混乱してしまっていた。

 何故か左手にコーヒーカップを持ちながら俺に向かって歩いてくる山田さんに俺は当然の問いを投げかける。


「な、なんで山田さんがこんなところにいるのさ」

「えっとですね」


 山田さんはコーヒーカップを持ってない方の手で頬を掻くような仕草をしながら、なんと言ったら良いのかと悩んでいるような素振りを見せた。

 俺がその山田さんの表情を不思議に思っていると、突然後ろから「ボクが頼んだんだ」という声が聞こえ、慌てて振り向く。


「吉田さん!?」

「やっほー、田中クン。屋上にいたのがボクじゃなくてびっくりした?」

「いや、びっくりというかなんというか」

「ふふっ」


 彼女は少し微笑み「山田クンからキミが少し遅れるって連絡もらってね」と、山田さんに目線を送る。


「そうしたら彼女が『せっかくだから田中クンに何かイタズラをしかけちゃおうよ』と持ちかけられまして」

「待ってるだけなのも暇だからね」


 本当にこの人にはいつも振り回されっぱなしだ。

 しかし、まだ忙しいだろうにこんなイタズラに付き合う山田さんも山田さんだ。

 俺はコーヒーを呑気に飲んでいる山田さんを少し恨めしい目で睨む。


「そんな目で見ないでくださいよ。私だって別にやりたくてやったわけでは」


 そんな言い訳をする山田さんに吉田さんはススッと近寄って脇腹をツンツン突きながら「なにいってるんだい? 話を持ちかけたらすぐ乗ってきたくせにさ」と俺の目の前でイチャコラしだした。

 美男美女が月明かりの下でじゃれ合うホワイトデー。

 まるでそこだけが幻想世界(ファンタジー)のよう。


 ふぁっきん!

 吉田さん、どいてそいつ○せない!


 俺の殺気が山田さんに届いたのか彼は一瞬ビクッと体を震わせたと思ったら「で、では私はまだ仕事があるので」と言い残して階段へ向かって早足に歩いていった。

 エレベーターの前に俺がいるから避けたんだなきっと。


 すーっはーっ、俺は脳内に酸素を送るべく深呼吸してからニヤニヤとした笑顔を俺に向けている吉田さんに向き直った。


「吉田さんひどいですよ」

「美女を一時間以上も待たせたバツだよっ」


 自分のことを美女とかいう人は地雷だって誰かが言ってた。

 でも彼女の場合は実際美女であり女神様なのだ。

 たとえこちらの世界ではその力の殆どが使えないと言っても、内面からにじみ出る神々しさは隠せな……初めて会った時は全然感じなかったけど。

 まぁ、あの時はこちらの世界へ無理やり転移するのに力を使った後だったからだろうけど。


「あっ、ちなみにエレベーターを二つとも屋上に上げてたのはボクだよ」

「なんて地味な嫌がらせっ!?」


 あははははっ、と笑う彼女を呆れた目で見つつ、俺は背中に背負っていた鞄から綺麗にラッピングされた箱を取り出した。


「吉田さん」

「ん?」


 彼女の笑いが収まるのを待って俺はその箱をそっと彼女の前に差し出す。


「これ、バレンタインのお返し」

「ありがとっ」


 彼女がその箱に手を伸ばす。

 その手に俺はもう一つ、ポケットに隠し持っていた小さめの箱を取り出して置いた。


「えっ?」

「それとこれは吉田さんにだけのプレゼント」


 何が何だか分からないという彼女の表情に俺は少しやり返せたかな?と自然に笑みが浮かんでしまう。


「あっちの世界でお世話になったお礼をずっとしたかったんだ」

「お礼だなんて、あれはボクが巻き込んだようなものだったし」

「たしかにそれはそうだけど」


 彼女の言葉を素直に肯定する。


「そこは『そんな事無いよ』って否定するのがお約束じゃないのかな?」

「根が素直なもんで」

「どこが」


 少し前まで緊張していた心が軽口を言いあう間にほぐれていくのを感じる。

 吉田さんの笑顔がさっきより輝いて見えるのは気のせいではないだろう。


「とりあえず開けてみてよ」

「う、うん。わかった」


 俺がそう急かすと彼女は受け取った箱の包装を薄っすらと頬を染めながら、まるで大事な物を扱うかのようにゆっくりと開く。

 やがて中から現れた白い箱の蓋ををゆっくりと開けた瞬間、彼女が「はっ」と息を呑んだのが伝わってきた。


「これって……」

「沢山種類があっていろいろ悩んだんだけど、吉田さんの事を考えて結局それにしたんだ」

「でもこんなのっ」


 彼女の目が戸惑いで揺れ、感極まったのかそれ以上言葉が紡ぎ出せないようだ。

 まさか俺からこんなものをプレゼントされるなんて思わなかったのだろう。

 震える指先でその箱の中から彼女の指がそれを掴んで持ち上げる。


「これから必要になると思ったんだ」


 彼女の震える指に吊り下げられたソレには綺麗な刺繍文字でこう書かれていた。








『交 通 安 全 祈 願』と。

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