第3話 クーリングオフは効かないです。

 昨日あの後、ある意味『押し売りされた』ミニ世界樹を返品しようと部屋着を着替え急いで外に出たが、すでに山田さんは見当たらなかった。


 部屋に帰っているのかと隣の部屋の呼び鈴を押すが反応も無く、部屋の明かりも付いていない。


「どこいったんだろう?」


 ふと下を覗くとアパートの前の共同花壇で水やりをしている一階住民の佐藤さんが目に入った。


「佐藤さん、ちょっと聞きたいことが有るんですけど」


 俺が二階からそう声をかけると佐藤さんは振り返り俺を見上げて「何ですか田中さん」と答えてくれた。


「ちょっと前に俺の部屋から山田っていう凄いイケメンな人が出ていったんですけど見かけませんでしたか?」


 俺の問いかけに佐藤さんはポンッと手を打って「さっき会社に忘れ物をしたとかなんとか言って飛び出していきましたよ」と、山田さんの行方を教えてくれた。


 会社に出かけたなら見つからないのも当たり前か。


「ありがとうございます」


 俺は佐藤さんに礼をする。


 ご近所づきあいに礼儀は大事だ。


 山田さんが帰ってくるまで待つしかないな。


 そう考えて部屋に戻り、山田さんから渡された世界樹を眺めたり水を上げたりしつつ時間を潰していたが、結局夜中になっても彼はかえって来なかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌朝、俺は眠い目をこすりつつ手に持ったミニ世界樹の盆栽(?)を下駄箱の上にいったん置いてから玄関で靴を履く。


「よし、行くか」


 そう気合を入れてから下駄箱の上のミニ世界樹を手に取り立ち上がる。


 もちろん目指すは隣の山田さんである。



 準備万端でドアノブに手をかけようとしたその時、ドアの向こうから話し声が聞こえた。


「大家さん……と、この声は山田さん?」


 どうやら目標物である山田さんはアパートの前で大家さんと雑談中みたいだ。


 ボロいアパートの扉に防音なんて求めてはいけない。


 俺は慌ててノブを回し、ドアを開き外に出た。




「なるほど、火曜と金曜が燃えるゴミの日で水曜が燃えないごみの日なんですね」




 部屋を出て下を見ると、アパートの前で山田さんは呑気にゴミ出しのスケジュールを大家さんから聞いていた。


「あとは強制ではないけれど二ヶ月に一度アパート前近辺の溝掃除があるんですね。町内会ですか。なるほど」


 町内会の溝掃除のスケジュールもきっちりメモを取っている。


 因みに俺は一度も溝掃除には参加していない。


 理由……だって、休みの日の早起きは苦手何だから仕方がない。


 町内会とかの行事はこの地区だとだいたい朝9時位から行われるのだが、休みの日の俺は昼まで余程のことでもない限りは眠っている。


 それが俺のポリシーだ。ジャスティスだ。


 決して溝掃除が面倒くさいとかではない。


 だいたい翌日が休日だとよ生遅くまで起きて無駄なことをしているのが学生ってものだろう?


 それに比べて山田さんは溝掃除以外の行事にも参加するつもりのようだ。


 さっきから大家さんに町内会の各種行事について詳細を尋ねてはメモをしている。


 そんな山田さんを生ぬるい目で見ていると一つ気がついたことがあった。


 山田さんの耳がエルフのように尖っているのだ。


 いや、昨日見せてもらったので尖っているのを見るのは初めてでは無いが、たしかこの世界ではエルフ族はスーパーレアな存在だから幻惑魔法で隠しているという『設定』じゃないのかな?


 それなのに普通に外で大家さん相手にエルフ耳のまま会話をしているのはなぜなんだろう。


 もしかすると昨日手品で俺に見せた後、そのまま忘れて尖り耳のアクセサリーを付けたままでずっといたのだろうか?


 だとすれば山田さんは昨日あの後に会社へもその状態で向かったというわけで、想像するだけで色々と痛い。


 何やら急な呼び出しだったようだし、慌てていたのかもしれないな。


 しかし会社の人達は誰もそれを指摘してくれなかったのだろうか。


「おい山田、お前エルフ耳つけっぱなしだぞ」とか一言あってもいいんじゃないか?


 もしかして彼がイケメン過ぎて上司にパワハラされているとかじゃないだろうな。


 俺はそんなことを考えて少し彼に同情する。


 サラリーマンは辛いよ。


 しかし今はそんな同情心を抱いている場合ではないのだ。


「山田さん!」


 俺は二階の通路から下にいる山田さんに声をかけた。


 彼は一度俺に向かって軽く手を振った後、大家さんとの会話を終わらせて階段を登ってきた。


「おはようございます田中さん。何か御用でしょうか?」


 朝日より眩しいイケメンスマイルで俺に尋ねる山田さん。


 どう見てもパワハラで悩んでいるようには見えない。


 俺が女子だったら九割堕ちてる。なお残り一割はガチレズだった場合である。


 百合とかそんな世界があるってインターネッツで聞いた事がある。


 あくまでも伝聞だよ?


「あのですね、昨日いただいた世界樹の盆栽なんですけど」


「ああ、ミニ世界樹ですね。あれは盆栽じゃありませんよ?」


 何やらこだわりがあるようだが、こまけぇことは良いんだよ! と突っ込みたくなる気持ちを抑えて続ける。


「そのミニ世界樹なんですが、お返ししようかと思いまして」


 俺のその言葉に彼はキョトンと以外そうな顔をした後、俺の言葉に対して「無理です」と、イケメンスマイルは崩さないまま言い切った。


「え?」


「そのミニ世界樹は昨日田中さんの生命波動で契約されましたので譲渡・返品は不可能となっております」


「契約? そんな事した覚えなんて一切無いんですけど!?」


 知らないうちに勝手に契約とか完全にヤバイ会社じゃないか。


「と、とにかく契約とか言われても困りますしクーリングオフさせてもらいます!」


 俺は必至になってミニ世界樹を山田さんへ手渡そうと突き出した。


「クーリングオフは効かないです。そもそも売買契約ではございませんし……」


 山田さんはそう言いながら俺が差し出したミニ世界樹をそっと俺の方へ押し戻す。


「ミニ世界樹の契約は絶対です。一度契約すると契約者がお亡くなりになるかミニ世界樹が枯れるまで解かれることはありません」


 そう言うと山田さんは少し真面目な顔になった。


「説明書にもそう書いてあったはずなんですが、お読みになりませんでしたか?」


 そう言われ俺は昨日の記憶を辿る。


 いや、説明書は一通り読んだはずだけど契約云々なんて何処にも書いてなかったはずだ。


「説明書には契約については何も書かれてなかったですよ」


 俺のその言葉に山田さんはしばし思案した後、突然焦ったような表情を浮かべあたふたし始めた。


 その後、少し待っていてくださいとだけ告げると彼は自分の部屋に駆け込んで行き、しばらくした後一冊の説明書らしきものをもって出てきた。


「こ、これ……渡し忘れていました。『ミニ世界樹取扱説明書~契約編~』です!」


 ちょ……おま……。


「本来契約は説明書を一通り読んだ後にしか契約術式は発動しないはずなんですが、心当たりはありませんか?」


 その言葉に少し考えると一つだけ思い当たる節があった。


 あの何語で書かれているかすらわからなかった紙だ。


 文字自体は読めなかったが一応最初から最後まで目は通したはずだ。


「あの、最初にミニ世界樹に付いてきた紙がもしかして?」


 恐る恐る聞いてみる。


「あー!?それです、あれはエルフ語で書かれた説明書で田中さんが目を通したから契約システムが発動したんですよ」


 エルフ語とか、また『設定』か。でも、その設定のためだけに文字を作ったのかと思うといっそ感心する。


「しまったなぁ、あれは日本語版の説明書と違ってエルフ向けなのでエルフにとって常識な部分が省かれた物なんですよ。ですので簡易なものになってまして発動条件もかなりゆるく……」


 完全に山田さん側のミスだよな。


「じゃあそちらのミスということでクーリングオ…」


「無理です」


 山田さんはきっぱり言い放つ。


「どうしてですか?」


「一度契約されたミニ世界樹は、我々エルフの力を持ってしても解約は不可能なんです」


 山田さんは痛恨の極みといったような苦渋に満ちた表情で答えた。


 また『エルフ』か。


 この人はどこまで会社の『設定』を守るつもりなんだろう?


 さすがに現代日本でそんな解約不可能とかいう理屈が通るわけない。


 俺は少し呆れた声で答える。


「山田さん、もうその設定はいいですから。さっさと引き取ってくださいよ」


「設定? 田中さんはまだそんな事を言ってるんですか? 私は嘘は一つも言ってませんよ?」


 さも心外そうな表情で山田さん。


「だって、エルフとか世界樹とか何処の世界のファンタジーのお話だって話ですよ」


 そう俺が言うと彼は真剣な眼差しをこちらに向ける。


「わかりました。そこまで言うのなら我々エルフの世界へご招待いたしましょう。田中さんは我々ユグドラシルカンパニーにとって栄(は)えあるこの世界のミニ世界樹契約者様ですから多少の無理は通るでしょう」


 なにやらぐっと拳に力を込めて彼は俺にそう言った。


 その後、山田さんは俺に「今から会社と掛け合ってきます。明日、朝十時頃に迎えに来ますから」とだけ言い残して去っていった。


 どうやら俺は明日ファンタジー世界へ連れて行かれるようだ。


 現実的に考えてヤバイ薬か何かで別世界へトリップさせられるとしか思えない。


「ほうら、別世界を見せてあげますよ」とイケメンスマイルを歪めて迫ってくる山田さんが頭に浮かぶ。


 逃げるか?


 そう考えるリアルリアリティな自分とは別に、誰もが憧れるファンタジーな異世界は実在するかもという自分が少し居る。


「ヤバそうな場所に連れて行かれそうになったら逃げればいいか」


 楽天的な考え方だとも思うが、真剣な眼差しだった山田さんを信じてみたいとも思うのだ。


 とにかく明日真実がわかる。


 俺は彼を少しだけ信じることに決めて部屋に戻り、しぶしぶ持ち帰ったミニ世界樹を机の上に置いて水やりをするのであった。

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