第138話 味噌汁の香りと勇者の事情です。

 翌日、俺は味噌汁の香りで目が覚めた。

 大体いつもミユが市販の合わせ味噌を使って作ってくれているのだが、その日の味噌汁の香りは微妙に違うものに感じられた。


「これはもしかして……」


 ミユの料理は基本的に伊藤さんが作るものを見よう見まねで覚えたものだ。

 それに加えてインターネットで色々とレシピを検索して研究しているようだが、実際料理を習ったことはない。

 基本的な部分は俺が教えることもあったが、あの小さな体で器用に野菜の皮を剥き、魚を三枚に下ろせるようになってからは既に俺よりも料理上手になっていて口出しも手出しも出来なくなっていた。

 むしろ『邪魔だから食器並べててなの!』とか言われて娘の反抗期かと涙ぐむ日もあるくらいだ。


 正直、何故かミユは料理に関してだけは異様に気合が入っていて、俺はおろか山田さんですら最近は調理に関わらせてくれないと言う話だ。

 え? 高橋さん?

 あの歩く生ゴミ製造機に何を期待しているのかな?


 俺はベッドから起き上がると、何故か懐かしいその匂いに誘われ、そっとキッチンを覗いてみた。


「凄いの!」


 ミユが何やら興奮した様子で目の前でキッチンに立つ女性の手元をキラキラした目で見ている。

 あれは伊藤さんが料理しに来てくれた時と同じ状態だ。

 いや、むしろその時より興奮している様だ。


 ミユから羨望の眼差しを向けられ、最近はミユの聖域となり誰も近づけなかったキッチンに立っているその女性は――。


「メカさんって料理出来るのか」


 そう、昨日から色々お騒がせしてくれているこのアパートの新たなる住人(?)、メカさんことメカ高橋さんだった。

 ここからではよく見えないがミユの様子を見る限りかなり手際が良いらしい。

 伊藤さんが料理をしているとき以上にミユの目が輝いて見えるのは気のせいではないだろう。


 あの伊藤さん以上の手際とか、いったい何者なんだメカ高橋さん。

 ドワドワ研所長を問いただして色々聞きたい所だ。

 スペフィシュに行ったら絶対聞き出してやる。


 そんなことを考えている間にも、いったいいつの間に手に入れたのか小型のホワイトボードを使ってミユと会話(?)しながらメカさんが手際よくキッチンの机の上に朝ごはんを並べていく。

 ああ、なんだかとても懐かしい。


 両親がいなくなってから見ることがなかったその懐かしい風景に俺は思わず涙を――。


「皆おはよう!」


 俺の感傷を吹き飛ばす様に背後から現れた一人の男が爽やかに朝の挨拶をしながら二人の元へ歩み寄っていく。

 そういえば昨日は山田さんとかも帰ってこなかったせいもあってスズキさんを部屋に泊めていたのだった。

 すっかり目の前の景色と美味しそうな味噌汁の香りのせいで忘れていた。


「これはこれは実に素晴らしい朝食ですな。 あまりに美味しそうな香りが漂ってきて我も目が覚めてしまった」


「おはようなのー」

<<おはようございます>>


 ミユと、「おはようございます」と書かれたホワイトボードを抱えたメカさんが振り返って彼と挨拶を交わす。

 おかげで二人が振り返ったせいで、入口でコッソリ覗いていた俺も二人に気づかれてしまった。


「お父さんもおはよーなのー」

<<おはようございます>>


 なんだかスズキさんのついでみたいな扱いでしゃくだ.

 特にメカさんなんて、スズキさんに見せたホワイトボードをそのまま俺の方に向けるだけという適当さだ。

 そりゃ声もかけずにこっそり覗いていた俺も悪いとはおもうけどさ。


 そんな少しすねた心を見透かしたのか、メカさんはホワイトボードを置いて手を一度パチンと打ち鳴らしてから俺とスズキさんを洗面所の方へ押しやる。

 予想外に力のあるメカさんにスズキさんは少し驚いてはいたようだが「ああ、まずは顔を洗ってこいということだな」とすぐにメカさんの意図を察し、自ら洗面所に向かった。 

 この察しの速さ……さすが勇者といったところか。


 いや、関係ないか。



     ♣     ♣     ♣



 洗面所で顔を洗ってから自分の部屋に戻ると、すでにちゃぶ台に三人分の朝食が用意されていたので早速席に着く。

 俺の右斜め前にスズキさん、左斜め前にはミユの本体を何故か抱きかかえて座っているメカさん。

 素体のミユはそのケースの上にちょこんと行儀よく腰掛けている。

 どうやら三人共俺が来るのを待っていてくれたみたいだ。


「まった?」


 俺が特に意味もなくそう言うと、何故かメカさんがホワイトボードにペンを走らせて俺の方に突き出した。


<<ううん、いま来たところ☆>>


 いつの時代のカップルだよ!

 というか俺には一応言葉通じるんだからホワイトボードにいちいち書いた理由は何よ?

 ミユかスズキさんにツッコミでも入れてもらいたかったのか?

 しかし残念ながらあの二人はツッコミ属性に関しては皆無過ぎるくらい皆無なのでそんなボケを拾ってくれる可能性は極めて低い。

 それどころか――。


「ははっ、たしかにちょうど今準備を終えて座ったところだ。気にするでない師匠」

「ちょうどなの~」


 などと普通の反応を示すだけであった。

 まさにボケ殺しコンビだ。


 そして二人のその反応を聞いてメカさんはそっとホワイトボードの文字を消した。

 どんまい。


「さぁ、ではさっそく朝食をいただこうか。こんなにうまそうな物を目の前にしては我慢しきれぬ」


 机の上にはご飯、味のり、納豆、味噌汁、お新香、そして生卵という完璧な日本の朝食がセッティングされていた。

 いつかどこかで見たような、そんな朝食に俺が少しの間見とれていると「いただきます」という二人の声と一人の念波が部屋に響き渡る。


「あっ、いただきますっ」


 俺も慌てて後に続くと朝食セットの中で一番気になっていた味噌汁に手を伸ばした。


「これは赤だしの味噌汁……か」


 朝目覚めた時に、ここ数年嗅いだ記憶のない懐かしい味噌汁の香りを感じたが、やはり間違いではなかった。


「そうなの! ミユ今まで白味噌と合わせ味噌っていうのしか使ったことなかったからこんな色の味噌汁初めてなの」


 たしかに今までミユが作ってくれた味噌汁に赤味噌は無かった。

 理由は簡単、伊藤さんの出身地が赤味噌を使わない文化圏だったため、彼女の料理をベースにしているミユにとって赤だしの味噌汁というのがそもそもレパートリーになかったのだ。

 そして俺はミユに赤だしの味噌汁を求めなかった。

 なぜなら赤だしの味噌汁を飲むと数年前に俺の前から消えてしまった両親を思い出してしまう。

 そう思っていた――。


「思ってたより大丈夫なもんだな……」


 誰にも聞こえないような声でそう呟くと、手に持った味噌汁に口をつけ、その懐かしい味を心ゆくまで堪能したのだった。




     ♣     ♣     ♣




「スズキさんがここに来たのって転移者帰還計画に参加してたからなんですか?」


 俺は一日置いてスズキさんがこちらの世界にやってきた理由を今更ながらに聞いていた。

 本来なら昨日、彼が来た時に尋ねるべき案件だったのだが、昨日は色々ありすぎて疲れ切ってすぐ眠ってしまったのでしかたがない。


「ああ、その通りだ。 我は転移者を移送する専用の住居が機能するかどうかをチェックする被験体に立候補してな」

「被検体って……」


 その言葉の不穏さに俺が眉をひそめると、鈴木さんは豪快に笑った後「なぁに、心配はいらぬよ」と説明を始めた。


 今回の転移者帰還計画では、転移被害者を元の世界に戻すため様々なハードルを越えないといけないのは今まで聞いていた通りなのだが、いくら咲耶姫とティコライの力を使ってもすぐに彼らを元の世界に戻すことは出来ない。

 なぜなら元の世界を離れて年月が経ちすぎた人達を元の世界に直接送り届けると、その世界の魔素に過剰反応を起こす可能性があるというのだ。

 なんせ世界ごとに魔素は違う。

 こちらの世界に流れてきた人で聖域にいる人達も、長い年月をかけてこちらの世界の魔素に体が慣れてしまっている。

 たとえほぼ皆無に近い状態だったとしてもだ。

 

「そこで考え出されたのがその住居なのだ」


 スズキさんの話を聞くと、実際は住居というより宇宙ステーションの様なものらしい。


「移動の間、現在彼らが過ごしている場所の魔素と、目指す先の魔素を徐々に混ぜていく事によって体を慣らしていくのだ」

「そんな事可能なんですか?」

「可能だ。この我が我が身をもってそれが可能であることを示したのだから間違いはない」


 ドワドワ研の研究によって今回使うその装置は計算上ではなんの問題もなく計画通りの結果をもたらすであろうことは示されていた。

 そして、実際に実験も兼ねて第一棟を作り上げた時、その実験を『誰で行うか』で揉めた。

 実験動物になるなんてまっぴらゴメンだ!と皆が嫌がったのかとおもったら全く逆で、ドワドワ研研究員の誰も彼もが『俺が』『私が』と自分を被検体に選んで欲しいと願い出たそうな。


「でしょうね」


 聞くだけでその状況が頭に浮かぶ。

 マッドサイエンティスト集団に餌を与えてはいけない。


「その話を偶然イノウエがワタナベ殿と異世界通信機で話しているのを聞いてな。 我なら何か不具合が起こっても勇者の力を使えば問題ないだろうと半ば無理やり立候補したというわけだ」


 いくら勇者の力があるとはいっても万が一が無いとも限らない実験に自ら志願するなんて、さすが勇者様と言って良いのか悪いのか。


「それにだ」

「それに?」


 彼は俺の目を強い光の篭った目で見返すと言葉を続けた。


「今回のこの機会を逃せば師匠にお礼を言いに来ることは永遠に出来なくなると、そう思ったのだ」


 そんな、お礼を言うためだけに危険な実験に立候補したというのか。

 俺があっけに取られていると彼は少し微笑んで――。


「我が世界と世界樹の恩人たる師匠に改めて礼を言う。 ありがとう」


 そう言って深々と頭を下げたのであった。

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