第139話 チーズ入りチキンカツとお迎えです。

 いっけな~い、遅刻遅刻ぅ~。


 わたし、田中。

 どこにでもいる高校二年生。


 今日はお友達のスズキさんとおしゃべりしていて学校の存在をわすれちゃって(はぁとまーく)。

 一生懸命全力疾走しているとことなのだ。きゃは。


 なんてこと言ってる場合じゃねぇぇぇぇ!!

 ただでさえ出席日数やばくて居残り補習やら、山のような課題を押し付けられているのにっ。


 俺は脳に回す酸素を筋肉に与えるイメージで全力で走る。

 密林さんで千円程度で購入したチープカシオの腕時計をちらっと確認するが、なんとかギリギリ間に合いそうである。

 こんな全力疾走の時にいちいちスマホを取り出して時間確認など出来ないし、そもそもスマホを買うまで携帯電話を持っていなかった俺は腕時計をするという習慣が身について、今更変えられない。


 学校が近づいてくると、周りにちらほら登校する学生たちが目につく様になってきた。

 そんな中で汗をかきながら走っているのは俺だけだ。

 何故なら他の生徒達には始業の三十分前に行わなければならない課題の提出という義務が無いからだ。

 もし時間に遅れてしまうと先生たちは朝の職員会議に入ってしまうので、職員室への出入りができなくなる。

 そうなったらゲームオーバーだ。


「もう課題の追加はいやだ。追加はいやだーっ」


 俺は勢いのまま校門を突っ切り玄関で上履きに急いで履き替えると二階にある職員室へ階段を駆け上る。

 途中、早めに出てきていたクラスメイトとすれ違うが、軽く片手を上げて挨拶するだけで俺の足は止まらない。


 ガラッ。


「しつれいします!」

「ギリギリセーフよ、田中くん」


 職員室の開き戸を開けながら入室の挨拶をした俺の目の前に副担任である城之内先生がいつものバッチリ決まったパンツルックスーツで腕を組みながら立っていた。


「はぁ~よかった」


 俺は一つ深呼吸して息を整えると、背負っていたナップサックから先週分の課題の束を取り出し彼女に手渡した。

 ミッションコンプリートだ。


「はい、たしかに受け取りました」


 城之内先生はパラパラっと軽くその課題の束をめくって確認した後笑顔でそう俺に言った。


「では俺はこれにて失礼をば」

「待ちなさい」


 ミッションコンプリートを見届けた俺はすぐにその場を立ち去ろうとしたのだが、そうは問屋が卸さないとばかりに城之内先生が俺の肩をぐわしっと掴んだ。


「な、ナニカゴヨウデモ?」

「忘れ物よ」


 俺の肩越しに紙の束が突き出された。


 キーンコーンカーンコーン。


 新たな課題(ミッション)の始まりを祝福するかのように予鈴が響き渡った。



     ♣     ♣     ♣



「オイオイ、死ぬわ俺」


 俺はちゃぶ台の上に今朝城之内先生に手渡された新たな課題(ミッション)を放り出してからベッドに倒れ込んだ。

 賑やかだった今朝と違い、今俺の部屋には俺以外誰も居なかった。


 今日は夜までミユたちは全員ユグドラシルカンパニージャパンへ出向いて、転移者の帰還計画に必要な最終調整を行うらしい。

 夕飯は冷蔵庫の中に作り置きしてくれてあるらしいのだが、それを確かめる気力も出ない。


「静かだな……こんなにこの部屋って静かだったんだ」


 俺はゴロッと仰向けになり見慣れた天井を見る。

 あの日、山田さんがミユを連れてやってくる前の日常が少しの間戻ってきただけだというのに何なのだろう、この寂寥感は。


 何時もミユがいるPCデスクの上に自然と目線が動く。

 もちろんそこには何もない。誰もいない。


 あと数時間もすれば帰ってくるのはわかっているのに。


 娘が嫁に出ていった後の心境とはこういうものなのかもしれない。

 いや、まぁ、世界樹であるミユが嫁に行くなんてことはありえないんだけども。


 ……。

 大丈夫だよね?


 そういえばお父さんと娘のイベントの中で「将来はパパと結婚するの~」というヤツをまだ経験していないな。

 どうやってそのシチュエーションに持っていけばいいのか想像もつかないけれど、とりあえず俺の心の中の『お父さんイベント一覧メモ』に追記しておくことにしよう。


 少し調子が戻ってきて心が落ち着いたのでベッドから起き上がるとキッチンへ向かう。

 冷蔵庫の中に夕飯が入っているはずだ。

 これで『開けたら中にカップラーメンが一個』とかだったら完全に心が折れるだろうが、そんな心配はしていない。

 そっち系統のイベントはお断りだ。


 キッチンに入ると、帰宅したときには気が付かなかったが、テーブルの上に、なにやら書き置きが置いてあった。


「えっと、なになに……」


『あなたの大好きなチーズ入りチキンカツを作っておいたので、味噌汁と一緒にレンジでチンして食べてください』


「この文字はメカさんか。たしかに胸肉にチーズを挟んで揚げたカツは大好物だったけども、どうしてメカさんがそんなこと知ってるんだろう」


 山田さんの入れ知恵かなと首をひねりながら冷蔵庫を開け、キンキンに冷えたカツと味噌汁を取り出しレンジに放り込んだ。

 普通のチキンカツなら冷たいままでもかまわないのだが、チーズ入りチキンカツはアツアツじゃないと意味がない。

 ナイフで切った時、とろりととろけてこそなのだ。


 俺はレンジの中で回転するチキンカツを横目に炊飯器の蓋を開く。

 ちなみに味噌汁は今日は温めない。

 なぜなら今日の味噌汁は玉ねぎの味噌汁だったからだ。しかも赤味噌である。


 玉ねぎの味噌汁の場合、俺の場合温かいときより冷たい時の方が美味いと思っているからだ。

 一晩置いた玉ねぎの味噌汁の味は絶品だと思うんだよ。特に赤味噌バージョンは。

 白味噌バージョンだと俺には甘すぎるんだよね。


 ち~ん。


 何年かぶりに目にした赤味噌玉ねぎ味噌汁に興奮している間にレンジからほどよいチーズの匂いが漂ってきた。


「あちっ」


 早く食べたくて慌ててレンジの中の皿を直に触ってしまって手を引っ込める。

 温めすぎたかなと思ったけど、トロトロのチーズ感を出すためにはコレくらいがちょうどいいのだ。


 俺は改めて布巾を使って皿を取り出すとテーブルの上に置いた。

 今日はミユもいないのでちゃぶ台の方まで持っていかず、キッチンのテーブルで夕飯を食べることに決めると、棚と冷蔵庫からそれぞれソースとケチャップを取り出し、ナイフとフォークも用意する。

 洗い物が増えるが、小鉢を用意してその中にケチャップを入れてからソースを適量入れてナイフを使って混ぜる。

 少し黒ずんだケチャップをゆっくりと熱々なチキンカツの上に垂らすと完成である。


 さくっ。


 俺は手に持ったフォークでチキンカツを押さえながらナイフで切り分けていく。


 さくっ。

 どろっ。


 切れ目からとろっとろに溶けたチーズが流れ出しお皿に広がる。

 俺は切り分けたチキンカツをフォークで持ち上げてソースと、皿に広がるチーズを絡めて口に入れる。


「うまっ!!!」


 胸肉で作られたチキンカツは油もなくさっぱりしているのだが、それに濃厚なチーズの味とケチャップソースが混ざり合い、さっぱりしながらもコクがあるという見事な味わいが口の中に広がった。

 もも肉ではこうはいかない。


「美味い……本当に美味しい……あれ、なんだろう涙が――」


 気がつくと俺は何故か涙を流しながらその料理を一気に食べ終わっていた。

 もう何年も食べたことがなかった料理だからだろうか?

 それとも懐かしい今はもういない母の味だったからだろうか?


 しかし、この料理を作ったのはメカさんだ。

 そう、つい先日この家にやってきたばかりの謎の依代体でしかないロボットなのだ。

 なのに。


 そう……なのに何故『このチキンカツが俺の好物だと知っていた』んだ?


 もしかして。

 いや、でもそんなはずは。


 俺は混乱する頭を押さえながら立ち上がると玄関へふらふらっと歩き出した。

 何処へ行こうというのか。

 いや、誰に会おうというのか。


 靴の踵を踏んだまま俺は玄関扉を開いた。


 そこには何時もと違う決意に満ちた表情を浮かべた一人のイケメンエルフが月光を背に立っていた。


「こんばんは田中さん。やっと準備が整いましたのでお迎えに参りました」


 そう言って彼は俺に向かって手を差し伸べたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る