第45話 イメージトレーニングですです。
俺達が伊藤さんの部屋にたどり着くと高橋さんが一生懸命舞台を組み立てていた。
正直狭いアパートの一部屋をどれだけいじっても限界があると思うんだけどな。
俺はその忙しそうに働く高橋さんの姿を見て踵を返し部屋に戻ろうとしたのだが
「ちわーっす」
吉田さんがそんな修羅場に空気も読まず侵入していく。
俺はもう声もかけず帰ろうと思っていたのになんてやつだ。
「おじゃましますね」
「おじゃまなの」
山田さんとミユも続いて入っていった。
俺はあきらめて仕方なく三人を追いかけるように中に入った。
「こんばんわ」
「みなさん良いところに来たですです。ちょっと手伝って欲しいですですよ」
何故さっき部屋に来た時に言わなかったのかと俺は思ったが来てしまった以上仕方がない。
「ボクは何をすればいいのかな?」
「吉田さんは冷蔵庫前あたりにある照明の角度をこの印の所に向けてくださいですです」
「私は何をしましょう?」
「山田さんはベランダの所に置いてある暗幕カーテンを今付いているカーテンと替えてきてくださいですです」
「俺は?」
「田中さんはそこにいる伊藤さんを舞台の上に持ってきてくださいですです」
そこにいる?
俺は高橋さんの指差す方を見た瞬間目を疑った。
そこには、わっさわっさと生い茂る木の化物が存在していた。
「え? これ伊藤さんなの?」
わっさわっさ。
木が俺の言葉に答えるように揺れる。
いや、本当に答えているのか?
「オーディションに向けて木になりきりたいって言うのでリアルな木のキグルミを作ってあげたですです。まさに木ぐるみですです」
「お、おぅ」
山田さんといい高橋さんといいユグドラシルカンパニーの関係者はどれだけつまらなくてもボケないと死ぬ病気なのだろうか?
「伊藤さん大丈夫ですか?」
俺はその木グルミに近寄って覗き込んだ。
木グルミの中央部から伊藤さんの顔が出ていたが、その顔も見事にペインティングされている。
「すごいの」
ミユがその出来に感心している。
高橋さんにこんな特技があることに俺が驚いていると伊藤さんが反応する。
わっさわっさわっさ。
木グルミが揺れるが何を言っているのかは流石に俺にはわからない。
「伊藤さん。 『はい』なら一回、『いいえ』なら二回揺れてください。いいですか?」
わっさ。
木グルミが一回揺れる。
「自分で動けますか?」
わっさわっさ。
どうやら自分では動けないらしい。仕方がない。
「今から持ち上げますけどいいですか?」
わっさ。
『はい』の返事を確認して俺は伊藤さんの後ろに回り込み腰に手を回す。
わっさわっさわっさ。
木グルミが激しく揺れるが気にしない。
そのまま一気に力を込めて持ち上げる。
わぶっ。
木グルミの葉っぱの部分が顔にっ。
わっさわっさわっさわっさ。
しかも伊藤さんが木グルミを揺らすせいで葉っぱに顔を擦られてザリザリして痛い。
俺は木グルミを持ち上げた勢いのまま一気に高橋さんの指示した舞台上へ木グルミを運ぶ。
わっさわっさわっさ。
わぶっわぶっわぶっ。
わっさわっさわっさ。
わぶっわぶっわぶっ。
わっさわっさわっさ。
わぶっわぶっわぶっ。
何回かの攻防の後に俺は木グルミを無事舞台の上に載せることに成功した。
頭が葉っぱだらけだ。
舞台上に設置された伊藤さん、もとい木グルミも心なしかぐったりしている。
「おつかれさまです」
暗幕カーテンを付け終えた山田さんが戻ってきて俺の頭についた葉っぱを取りながら労ってくれた。
なんだか遊び帰ってきたあと親に頭についたゴミを取ってもらってるような気分だ。
この身長差……解せぬ。
「ミユも手伝うの」
俺がもやもやした気持ちでいるとミユも山田さんの真似をして俺の頭や肩に付いたゴミを取る手伝いを始めてくれた。
かわいい。
ミユのおかげでもやもやした気持ちが一気に晴れた。
「高橋くん、この照明はこの角度でいいかい?」
「ですです。そのまま固定ネジで固定してくださいですです」
「高橋さん、暗幕カーテン付けてきましたよ」
山田さんは俺の頭の葉っぱを取り終わると舞台の方へ歩いていき木グルミの伊藤さんを興味津々に見始めた。
「これは凄いですね」
わっさわっさわっさわっさ。
照れてるのか伊藤さんの動きが激しくなる。
「木が主役の劇と聞きましたからてっきり木っぽい格好をして動き回るような物を想像してましたが」
山田さんは木グルミの根っこの部分を見て。
「完全に木ですねこれは。さきほど田中さんが運んでいるのを見ていましたが移動も自分では出来ないとは。いったいどんな舞台なんですかね」
わっさわっさわっさわっさ。
「伊藤さんは今、完全に今回の舞台の木になりきってるですですから聞いても何もしゃべらないですですよ」
徹底してるな。
「そうなんですか。高橋さんは今回の舞台がどんなものか聞いてます?」
「俺も気になる」
「ボクも」
「ミユもなの!」
高橋さんはそんな一同を見渡してから何故か偉そうに胸を張って「では私が教えてあげるですです」と
今回の舞台の主役である木は常に舞台の中央に設置されて動くことはないらしい。
いや、先程から伊藤さんがやっているように葉を揺らすなど微妙なリアクションは話に合わせてするようだが移動は一切しない。
お話の内容は、ある街道沿いに一本立つ大樹とそこに集う人々の物語なのだそうな。
ある人は雨宿りに、ある人は恋する人との待ち合わせ場所に、ある人は大樹に宿る精霊へお願いに。
様々な人が様々な理由で訪れ、大樹の前でそれぞれの『物語』を紡いでいくという内容らしい。
大樹はそんな人々を見守りながら葉を揺らす僅かなリアクションで観客にその心情を伝えないといけないらしい。
見かけのシュールさと違ってそれってかなり難しいんじゃなかろうか?
「伊藤さんは才能はあるですですがメイクなしの素状態だと何時ものあの状態になってしまうですです」
高橋さんが腕を組んで眉間にしわを寄せる。
「でも一度その役のメイクさえしてしまえば完璧にその『キャラ』になりきるという特技があるですです。いつもヤオチューバーになる時にあんなケバいメイクをするのもそのためですです」
たしかにあのメイクをしている伊藤さんはいつもの地味な伊藤さんとは全く別人格としか思えないキャラになってしまっているが、あれもヤオチューバーの役に入り込んでいるということなのか。
「伊藤さんはメイクさえすればその役を完ぺきにこなす天才ですですが普通オーディションの時はメイクとかしないですです」
まぁテレビとかで見たことがあるオーディションの光景では完璧なメイクをして演じている人なんて見たこと無いもんな。
「今までは軽いメイクで入り込める端役しか受けてこなかったらしいのですですが今回は本気で主役を取りたいと私に頼ってきたですです。
三日三晩私が考えた末に出た結論がコレです!」
高橋さんはそう言うと完璧にセッティングされた舞台装置を示して言い切る。
「この舞台がなんなの?」
チッチッチと高橋さんが「解ってないなぁキミ」みたいな感じで指を振る。ムカつく。
「いいですですか?伊藤さんは演じるキャラの格好さえすればそのキャラを完璧に演じることが出来る天才ですです」
そこで一呼吸置いて。
「つまり! キャラさえ設定してやれば完ぺきにこなすその才能を逆手に取ってやればいいんですです」
と握りこぶしを作って熱弁する。
「つまりどういうことだよ」
「簡単に言えば『主役のオーディションに挑戦する天才娘』の役を伊藤さんに『演じて』もらえばいいんですですよ!」
その考えはなかった。
たしかに今までの話が真実だとすると伊藤さんはその役に入りきるためにはメイクが必要だがそのハードルさえ超えれば完璧に演じきれる天才だ。
その天才がオーディションの役目である『木』を演じるのではなく『木を演じる役者を演じる』のならメイクは一見普通のナチュラルメイクで行けるということか。
わっさわっさわっさ。
伊藤さんが嬉しそうに揺れている。
「私のような天才にかかればコレくらいのアイデアを出すなんて朝飯前ですですし」
お前、三日三晩考えたってさっきいってたろうが。
何かふんぞり返ってるそのおでこをデコピンしたい。
「それはわかったけど、じゃあこの舞台はなんなんだよ」
「これですですか? これは私の理論を証明するためにテスト装置としてオーディション会場を作ってみたですです。
流石にぶっつけ本番ではいくら天才でも不安があるですですからここで実際のオーディションの練習をするですです」
わっさわっさわっさわっさ。
「一つ疑問なんだけど、実際のオーディションでは木の格好はしないんだよね? なんで今伊藤さんは木グルミ着てるの?」
今回のオーディションで伊藤さんが演じるのは『木を演じる役者』だ。 実際の木は本番かそれに近い場面以外ではないだろう。
「イメージトレーニングですです」
「イメトレ?」
「木を演じる役者を演じると言っても実際その演じる木を知らなければいくら天才でも入りきることは出来ない……と伊藤さんが言うので作ってみたですです」
わっさわっさわっさわっさ。
「実際に木を演じてみることでその木を演じる役者という物を自分のものにするわけですです。ディープラーニングですです」
ディープラーニングってそういう意味だったか?
「とにかく舞台も完成したので伊藤さんはそろそろ木グルミを脱いで本番に向けて『木を演じる役者を演じる』練習に入るですですよ」
高橋さんのその言葉を受けて木グルミがモゾモゾ動き出した。
やがてスポンと頭の部分が抜け、その中から伊藤さんが這い出してきた。
下着姿で。
「!?」
「では我々は外に出てますね」
焦る俺を山田さんがそっと部屋の出口へエスコートする。
山田さんの
これがイケメン力……勝てない。
外に出ると俺は一つ深呼吸して動揺を抑える。
「はぁはぁ、物語とかテレビとかでは聞いたことあるけど役者さんって役の着替えの時って本当に気にせず着替え始めるんだな」
「まぁ人によると思いますけど」
俺は現状伊藤さんしか知らないからなぁ。
「佐藤さんに頼まれて行ったファッションショーというか写真撮影の時も控室でみんな何も気にせず着替えてましたしね」
「え? あそこ男女で分かれてないの?」
「更衣室は別れてますよ。でも皆いちいちそこまで行かずに時間も無いので撮影現場の横の部屋でさっと着替えてメイクしてましたからね。」
ファッションモデルレベルの美男美女ばかりが集まり好き放題着替えする現場を想像して俺は少し夢の世界にトリップした。
「田中さんの思っているような楽園じゃありませんよ。田中さんって女子校とかに夢と希望をまだ持っているタイプでしょう?」
「も、もってねぇし」
「本当ですか?」
少しは持っているがそれは言わない。
「女子校とうちの学校を掛け持ちしてる臨時の先生が前にボヤいてたからね。女子校は実際はとんでもない所だから疲れる。コッチの学校の授業の日は凄くほっとするって」
あの時の先生の目はマジだった。
普段ジョークも言わない先生だからなおさらだ。
その後俺たち二人は伊藤さんの着替えが終わるまで外でそんな他愛もない話を続けるのであった。
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