第123話 ヴァンパイアマントは中二心をうずかせます。

「イベントのアシスタント……ですか」


 その日、私は会社での徹夜仕事を終えて昼過ぎに帰宅しました。

 ちょうど階段を上った辺りで201号室の伊藤さんが少し地味めの格好で私の部屋の前でしゃがみ込んでいるのに気がついたのです。


「伊藤さん、いかがしましたか? 何か体の具合でも?」


 私は階段を一気に駆け上がると、しゃがみ込んでいる伊藤さんの脇に座り彼女に声を掛けました。

 それほど顔色が悪いようには見えませんが、素の伊藤さんは普通の状態でも少し弱々しく見えてしまいますのでよくわかりません。


「山田さんに少しお願いがあって」


 彼女は少し顔を上げてそう答えます。


「お願い? 何でしょうか。ここでは何ですから中でお話を聞かせていただきましょうか」


 今考えると少し軽率だったかもしれません。

 私の認識だとまだまだ子供にしか思えない伊藤さんも、こちらの世界で言えば既に成人間近の女性です。

 そんな方を男の部屋に軽々しく呼ぶなんて、周りからいらぬ誤解を受けてもおかしくないでしょう。


「い、いえ、ここで結構です」


 だから、彼女のその過剰なまでの反応は今考えると普通だったのでしょう。

 当時、私は徹夜仕事のデスマーチ帰りでしたので脳みそがまともに働いていなかったのです。


「そうですか」

「はいっ、そうです」


 いつもは血色悪気なその顔を少し赤らめて彼女は立ち上がりました。

 私も彼女に合わせて立ち上がりますが、どうしても身長差のせいで彼女が見上げるような形になります。

 少し話し難いかなと思ったのですがここには椅子もありませんしどうしようも無いので仕方なくその状態で話を聞くことにしました。


 彼女のお願いとは、今度自分がメインのラジオの公開収録ステージがあの超巨大施設アエリオンで行われるのでぜひ手伝って欲しいとの事でした。

 実はラジオのスポンサーが、私と田中さんがアシスタントをした動画をひどく気に入っておられるそうで、是非その再現をお願いしたいと頼まれたらしいのです。

 私は胸ポケットから愛用の手帳を取り出し、彼女の告げた日時にスケジュールが空いているかどうかを確認し、彼女に答えました。


「その日なら私もちょうど休日のようですので手伝うのはやぶさかではございませんが……」


 このアパートの住人からのお願いは極力断らないというのが、私がこの世界でここに来た時に決めた不文律でもありますし。

 ですが私は良くてももう一人、田中さんの方が問題でした。


「田中さんには後でまたお願いしようと思ってます」


 彼女は弱々しげにそう言いますが、正直そのお願いが聞き届けられる可能性はかなり低いのではないでしょうか?

 動画撮影の時ですら脇役に徹して、極力画面に映らないように行動していましたし。

 あの出来事があって以来、表立った場所で目立つことに対して軽いトラウマがあるのでしょう。

 もう少し早く私達が、私がこちらの世界に来ていればと何度悔やんだことでしょうか。

 ですが、そのトラウマを私の手によって少しずつ消していく事はできるはず。


「伊藤さん、田中さんは私がなんとかしましょう」

「そんな、私の事ですから私がやるべき事で」

「いいえ、伊藤さんが直接頼んでも彼は首を縦には振らないでしょう」


 そう、伊藤さんがいくら頼んでも人前のステージに彼が立つようなことはない。

 普通に頼んでも彼は適当な用事を作り出して逃げてしまうでしょう。

 なら、逃げられない所まで手を引いて導くしか無いのです。

 彼の性格的にそこまで導けば後は断ることもせず舞台に立ってくれるはずです。

 それに――。


 私は伊藤さんを見送ると一度自分の部屋に戻って荷物を置き、身繕いをしてもう一度外に出ると隣の部屋の呼び鈴を押しました。


 ピンポーン。


 室内に呼び出しチャイムが鳴り響く音が漏れ聞こえます。

 そのまま暫く待つと、扉の向こうからかすかな物音が聞こえ、その後ドアの鍵が開きました。


「いらっしゃいなの」


 ふわふわと空中に浮いたままのミユさんが私を出迎えてくれます。


「お父さんはまだ学校なの」

「でしょうね、でも今日はミユさんに用事があったので」

「ミユに?」

「ええ、中に入ってもいいですか?」

「いいよ~」


 私が部屋の中に入るとちゃぶ台の上で毛づくろいをしていたコノハさんが顔をもたげ「なんニャ、山田か」とだけ言うとまた毛づくろいを再開し始めます。

 もう完全に猫になりきってますね。


「今日はミユさんだけじゃなくコノハさんにもお願いがあって来ました」


 私がちゃぶ台の前に座ると、それを見計らったタイミングでミユさんが温かいお茶を煎れて来てくださいます。


「それで、お願いってなんニャ?」


 お茶を飲んでいる間に毛づくろいを終えたコノハさんが尋ねます。


「ええ、実は……」


 私が一通り伊藤さんのイベントにどうやって田中さんを出演させるのかを彼女たちに一通り話すと、ミユさんは憧れのイトキンの頼みに大興奮で部屋中を飛び回り出しました。

 一方コノハさんの方は、飛び回るミユさんを目で追いながら「面白そうニャ。やってやるニャ」とこちらも乗り気のご様子。


「それでは後日詳細な作戦案を作って持って来ます。ミユさん、お茶美味しかったです。くれぐれも田中さんには気が付かれないようにお願いしますね」


 私はそれだけ告げて田中さんの部屋を後にしました。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 コノハからそんな話を聞かされた俺は山田さんと色違いのパピヨンマスクを石川さんから手渡され、途方に暮れていた。


「これは?」

「パピヨン執事二号の仮面です」

「二号……でも俺別に執事っぽい格好をしてないですよ?」


 今日の俺は普通にカジュアルな服装で決めている。

 背中に背負った猫耳リュックさえ見なければごく普通の休日の男子高校生という出で立ちだ。


「そうですねぇ」


 石川さんは俺の体を上から下までさっと見渡すと、楽屋の隅っこにおいてある鞄をガサゴソとあさりだした。


「えっと、たしかこの中に……っと、あったあった」


 鞄の中から何やら一抱えの布を取り出すと彼女は俺の目の前でそれを広げた。


「これは?」

「ヴァンパイアマントですよ」

「ヴァンパイアマント?」

「ええ、吸血鬼役をする時の衣装の一つですが、これをまとって下さい」

「吸血鬼とこのイベント関係ないですよね?」


 何故そんな物を持っているんだこの人。


「実はですね、先日別のイベントがありまして、その時に使ったのを返し忘れてたんですよね」


 石川さんの所属事務所はそんな管理体制で大丈夫なのだろうか。

 

「さぁさぁ、付けてみてくださいよ」

「お、おぅ」


 彼女の気迫に圧されるようにそのマントを受け取った俺はバサッと格好をつけて羽織ってみた。


「どうかな?」


 なにげに中二心をくすぐる漆黒と、内側は真っ赤な血の色をしたヴァンパイアマントをまとった俺は石川さんにそう尋ねた。


「ん~」


 しかし彼女の反応はかなり微妙だ。

 もしかしてかなり似合わなさすぎるのだろうか?


「田中さん」

「はい?」


 俺が少ししょんぼりしていると彼女が俺の方を指さしてこう言った。


「背負っているその猫耳の付いたリュックは下ろしたほうが良いと思いますよ」






「ですよね」



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