第82話 ~7年前 彼の世界で~

 ~7年前 彼の世界で~



「山田、ちょっとまてよ」


 ユグドラシルカンパニーの長い廊下を早足で歩いていた山田に一人の男が声をかける。


 山田は足を止め面倒くさそうに振り返る。


「なんですか渡辺、急ぎの用事じゃなければ後にしてください」


 それだけ言うとまた廊下を早足で歩き出す山田。


「だからちょっと待てって」


 渡辺と呼ばれた男は追うように小走りで山田の横まで行くと、歩調を合わせて歩きながら山田に喋りかける。


「お前、ドワーフの研究所に出向になったんだって?」


「それが何か?」


 山田はそっけなく返すが言葉は続かない。


 渡辺は少し困ったような笑みを浮かべて「研究所の所長からの要請と聞いたが本当か?」と尋ねた。




 世界樹の声を聞き、その力を引き出せ、エリートコースをひたすら歩んできた山田が、世界樹の願いを叶えるために作られたこのユグドラシルカンパニーを一時的とは言え、去るというのだ。


 口さがない社員の中には、山田が大きなヘマをやらかしたせいで左遷されたと言うものもいた。


 その話を聞いた時、彼のライバルだと自負していた渡辺はいてもたってもいられなかった。


 彼が慌てて研究室を飛び出し、山田の会社で与えられていた部屋に向かうと既にもぬけの殻であった。


 その足でドワーフの協力を得て新たに作られたその研究所へ向かおうと階下へ降りると、ちょうど歩き去る山田の後ろ姿を見つけたのだ。




「ドワーフ研究所の所長が私のバリア研究に興味を持ったらしくてね。こちらの研究が終わり次第出向することは決まっていたんですよ」


 そう答える彼の顔は、渡辺が思っていたような悲壮なものではなかった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 山田は渡辺に見送られるようにユグドラシルカンパニーを後にし、そのまま歩いて二十分ほど離れた場所に新たに作られたドワーフとの共同研究開発を行う施設にやって来た。


 白いほぼ真四角なその建物は、木々の色合いを基調にしている建物が多いこのエルフの里の景色からはすこぶる浮いていたが、正面以外の周りに背の高い木々が植えられて居るおかげでエルフの里全体の景観は損なわれないように配慮されていた。


 どうせ配慮するなら建物自体の色を変えれば良いものを……山田はそう思わずにはいられない。


 研究所自体は正面に見える三階建ての建物の奥にもう一回り小さい建物があると手元にある館内案内図には書いてあったが、そちらは完全に蔦に覆われているようで形はわからない。


「ここがドワドワ研究所ですか……実際に足を運ぶのは初めてですね」


 今までもバリア装置開発のためにドワドワ研究所や、その前身ぜんしんのドワーフ工房へ発注などしていた山田であったが、それに関してはほぼ全て部下に一任していたため自身が訪れることは今まで無かったのである。


 施設の入口にある門に書かれた「ドワドワ研究所」の文字を横目に彼は一つ深呼吸してからその中へ入っていった。


 向かうは所長室である。




 所長室で待っていたのは、このドワドワ研究所の所長である土井と名乗る中年の男であった。


 ドワーフにしては背が高く、体つきもがっしりしていて、研究者というイメージからはかけ離れている。


 かろうじて身にまとう白衣と、分厚い瓶底メガネが『研究者らしさ』を醸し出している程度だ。



 山田が部屋に入った時、土井所長はそのドワーフとしては大きな体を丸めるように、何やら甲高い音のする小さな魔道具をいじっていた。


「ああ、山田くんか。今セーブするから少し待っていてくれたまえ」


 所長は指の長さほどに切りそろえられた髭を揺らして振り返り、それだけ告げてからまた手元の魔道具をいじり始める。


「セーブ?」


 山田が今まで聞いたことが無い単語の意味を考えていると、その間にやることを終えたのか所長が手に持っていた魔道具を持ったまま山田の前までやって来た。


「よくきてくれたね山田くん、とりあえず座って座って」


 所長が部屋の真ん中にある椅子を指差して着席を勧めた。


 山田が座ると、応接机を挟んだ反対側に所長も座る。


「その魔道具は穴の向こうの遺物ですか?」


 山田は所長が手にしたままの謎の魔道具が気になって尋ねた。


「これかい? ああ、そうだよ。これはねゲーム機さ」


「ゲーム機?」


 聞きなれない単語に、また山田は興味を示す。


「穴の向こうの世界の娯楽だよ」


 そう言いながら所長はその魔道具……ゲーム機を起動させた。


 何やら見たことのない文字が、その魔道具の一部分に表示され、同時に先程聞いたような甲高い音で作られた音楽が流れ始める。


「さすが異世界遺物研究で右に出る者は無いと言われている土井所長ですね。このようにまともに動作する異世界遺物は初めて見ました」


「あまり持ち上げないでくれないか、私は自分が好きでやっているだけなのだよ」


 所長はゲーム機をそのまま机の上に置くと、真面目な顔になり告げる。


「山田くん、君をこの研究所に呼んだ理由は聞いているだろう?」


「ええ、ユグドラシル計画を進めるにあたって絶対に必要な育成ケースの制作に協力して欲しいという話を上の者から聞いています」


 山田は、自分の力が認められたという悦びで目を煌めかせながらそう答えた。


「そ、そうだね。世界樹の声を聞けて力も引き出せる君の能力が必要なのは間違いない」


 所長は山田の勢いに少し押されていた。


「渡辺ではなく私を指名していただいたことを後悔はさせません」


 両手を握りしめるように力強く答える山田の目は燃えていた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「ここが仕事場ですか」


 山田が所長に連れられてやって来た新たな職場は、ドワドワ研究所の研究員が昼夜を問わず研究開発を行っている研究室であった。


「これはひどい」


 山田は目の前に広がる光景に唖然としていた。


 何故ならその部屋はかろうじて人が通れる程度の通路のような場所を除けば、そこら中がガラクタで埋め尽くされていたからだ。


 この研究所が出来てまだ半年も経っていないはずなのに、足の踏み場もないほどの魔道具の成れの果てが生み出されて放置されるを繰り返した結果である。


 彼らドワーフ族は、物を作り出すことにかけてはスペフィシュの種族で一番の能力を持つが、整理整頓という言葉とは最もかけ離れた種族なのだ。


「山田くんにはまずこの状態の改善から行ってもらいたいと思っていてね」


 所長が山田の方をポンッと叩く。


「これを……ですか?」


 山田は近くにあるガラクタの山を指差して尋ねた。


「山田くんに片付けをやってもらうわけではないよ。君にはこの研究所の研究員に『整理整頓』を教えこんでやってもらいたいんだ」


「整理整頓ですか……しかし私はそんな事をするためにここに来たわけでは」


 ガラガラガラッ!!


 山田が少し声を荒げかけた時、隣のガラクタの山が突然崩れた。


「うわっ」


 思わず飛び退いた山田の耳に「ゲホッゲホッ」という女の子の咳き込む声が聞こえてきた。


 ガラクタの倒壊により舞い上がった埃が落ち着いてくると、そのガラクタの中に一人の少女が口に手を当てて咳き込んでいる姿が見えてきた。


「やぁ高橋さん、こんな所に埋まって何をしてたのかな?」


 所長がその女の子……高橋さんに声をかける。


「ゲホッ、ちょっと『そだてるん』にセットする亜空間装置の資料を探して来て欲しいとたのまれまして。この机の三番目の引き出しに入っていると聞いて開けた途端に隣の山が崩れてきて」


 それでガラクタの山に埋もれたそうな。


 驚いたことに彼女はそんな状況にもかかわらず、ここ一週間ろくに睡眠も取っていなかったらしく、そのままガラクタに埋もれながら眠ってしまい、二人の話し声で目が覚めたらしい。


 その話を聞いて「ドワーフというのはなんと図太い神経の持ち主なんだろう」と山田は呆れていた。


 ドワーフは有能な技術者ではあるのだが、全てにおいてマイペースだとは聞いていたがこれほどまでとは。


 山田は自分の中にあるドワーフの情報を上書きすると所長に苦言を呈する。


「この状況を私がどうにか出来るとは思えません。それにですね、そもそも私はこの研究所に世界樹育成ケースの制作を手伝いに来たのであって、社員教育をしに来たわけではないのですよ?」


 その言葉に所長も「それはそうだろうけれどね」と苦笑した後


「そもそも我々ドワーフ族はそれぞれ勝手気ままに何かを『創る』事に関しては他に比肩を取らない種族だと自負しているんだが、一つのことを突き詰めるという精神に欠けていてね」


 と、言いながら部屋のなかを見渡して「その結果がこれなんだ」と自嘲気味に答えた。


「逆に君たちエルフ族は長い年月を一つの研究に費やし、物事を統率する能力に長けている。今回君に来てもらったのはその『統率力』を期待してのことなんだ」


「統率ですか、たしかに我々エルフ族は一度一つのチームを作れば、成果が形になるまで決して諦めず、協力して研究を続けるという特性があるかもしれませんね」


「だろう? それで、君たちの上層部、つまり長老会に掛け合って、一番適任であるという君を紹介してもらったんだ」


 長老会が自分を認めて推薦してくれたという事実を聞いて山田は先程までの不満気な顔から一転してにこやかな誇らしげな表情に変わる。


 エリート街道を只管ひたすら突き進んできた彼にとって、エルフ族の頂点である長老会に認められているという事実は、他人が思う以上に誇らしいことだった。


 自分の言葉を聞いて、予想以上のやる気を見せる彼を余所よそに所長は目の前でホコリまみれのまま突っ立っていた高橋に山田を紹介すると「では、後は任せたよ」とだけ言い残して所長室へ帰っていった。


「それでは高橋さん」


「は、はい。はんでしょうか?」


 所長が去った後、山田は早速自らの仕事に取り掛かることにした。


 彼は手元に研究所に来る前に用意していた管内見取り図を見ながら指示を出す。


「まずはこの部屋の大掃除を行いますので研究所の所員全員を隣の会議室へ呼んでください」


 先程まで見せていた熱い感情を仕舞い込んで、彼は静かな口調で高橋にそう告げると、一足先に会議室へ向かって歩き出す。


「これから忙しくなりそうです」


 そう呟く口元は自分が進む道の明るさを信じているのか少し緩んでいた。






 しかし颯爽さっそうと歩き去っていく彼が、数日後『歓迎会』というドワーフ族の大宴会で、記憶が飛ぶほどの散々な目に合い、トラウマを刻み込まれるなどとはこの時は知る由もなかった。

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