縁仁【ENZIN】 捜査一課 対凶悪異常犯罪交渉係
鬼霧宗作
事例1 九十九殺しと孤高の殺人蜂【プロローグ】1
この歓楽街に来るのは、どれだけぶりになるのであろうか。輝くネオンと、道行く人に片っ端から声をかけるキャッチセールス。今日は客の入りが悪いのであろう。道端ではドレス姿のキャバクラ嬢が、自ら客引きをしていた。いいや、自ら通りに立つ辺り、ラウンジかそこらの嬢なのかもしれない。
この辺りでは割りかし栄えている歓楽街である
しつこく声をかけてくるキャッチセールスをかわしつつ、とにかく目的の場所へと向かう。あまりのしつこさに、遊びに来たわけではないと怒鳴ってしまいそうなのを、ぐっと堪えていた。
彼の名は
通りの一角にあるファッションビル。そこの外壁に取り付けられた街頭テレビでは、実に不愉快な映像が流されていた。夜のニュース番組なのであるが、今の彼にとっては何よりも面白くないものだった。もっとも、国民の皆様は、さも興味深くテレビに見入っているのだろうが。
テレビではキャスターと思わしき男女と、きっとゲストとして呼ばれたのであろう。年輩のスーツ姿の男性が映っている。その年輩の男性が映し出されると、テロップで【元警視庁捜査一課警部】なんてものが表示される。
『今回の連続通り魔事件ですけども、今月に入って四件目が発生してしまいました。その件についてご意見を――』
メーンキャスターであろう男性が、その元警視庁の警部とやらに意見を求める場面を見て、倉科は虫酸が走る思いだった。マスコミはいつもこうだ。凄惨な事件が起きると連日のように騒ぎ立て、こうして事件の捜査に全く関係のない元警視庁関係の人間を招き、事件の真に迫ろうとする。ゲストとして呼ばれるほうも呼ばれるほうで、さも自分も事件捜査に加わっているかのように、あれこれと意見をする。挙句の果てに、警察の捜査体制を批判したりもする。
そもそも警視庁出身者なんて、現場にはほとんど関わらずにエスカレーター式に出世するキァリア組がほとんどなのだ。現場経験も少ないくせに、退職した後はやたらとテレビに出たがるし、もっともらしいことだけは一丁前に喋りたがる。現場で汗水垂らしている現職の刑事の前で、同じことを口にして欲しいものである。
かくいう倉科は、その現職の刑事だった。交番勤務から始まった警察生活は、昇格試験や涙ぐましい努力を積み重ね、今や捜査一課の警部にまで昇華されていた。叩き上げというやつだ。五十代を手前にして手に入れた立場は、しかし所轄という小さな城の中で手に入れたものにすぎなかった。どんなに足掻いたところでキャリア組にはかなわないのが実情だ。なんせ、キャリア組は警部補スタートで、実務経験を二年も積めば、自動的に警部に昇進するのだから。
しかし、彼は警察庁の人間でもごく一部の人間しか知らない機密に関わっている。いや、正確には強制的に任命されたというべきか。所轄との距離がもっとも近く、また積み重ねた実績もあって押し付けられた機密である。
ごちゃごちゃと不快なことばかりを連ねる街頭テレビの前を通り過ぎ、彼は目的地の前で足を止めた。春先であるというのに、冷たい風が吹いて倉科は体をぶるりと震わせた。今年の春は随分と冷える春である。
そこは雑居ビルの一角。表の看板には女性のきわどい姿がでかでかと描かれ、店名には率直に【人妻ヘルス】などという、いかにもいかがわしい
店舗は半地下となっており、コンクリートの階段には革靴の音が反響する。階段を降りると、地上にあったものと同様の看板があり、いかにもといった様子の扉があった。倉科は辺りを見回し、誰もいないことを確認してから扉に手をかける。ただし、それはヘルス店への扉ではない。脇のほうにあった、もうひとつの扉のほうである。
扉のプレートには【関係者以外ノ立チ入リヲ禁ズ】と書かれており、さも店舗関係者が出入りするための通用口のように見える。しかし、おそらくはヘルス店の人間でさえ、この先の扉がどこに繋がっているのかは知らないであろう。なんせ機密なのだから。
倉科は鍵を取り出すと、人が来ない間に扉の鍵を開ける。
扉を開けると、素早くその中に体を滑り込ませ、すぐさま内側から施錠をした。扉の先には、さらに薄暗いコンクリートの階段が続いている。そこを倉科は、手探りでゆっくりと下っていく。
階段の先に明かりが見えた。ここまで来れば目的地もすぐそこだった。はやる気持ちを抑えながら階段を下りきると、そこはコンクリートに囲まれた広い空間だった。その空間には、ぽつりとエレベーターの扉があった。
念のために辺りを見回すと、エレベーターの前まで小走りで近づく。通常のエレベーターとは違い、エレベーターを呼び出すパネルはない。その代わり、背の高さくらいの位置に端末が埋め込まれていた。倉科はそれを覗き込むように顔を近づける。
電子音がして、エレベーターの作動音がコンクリートに反響した。このエレベーターは網膜認証でのみ作動する特殊なもの。端末は倉科の網膜を読み取って、エレベーターを作動させたのである。これだけのセキュリティーを揃えるのであれば、わざわざ歓楽街の地下深くまで潜らせる必要もないのに――。全くもってお
扉が開くと、用心深く周囲を見回してからエレベーターに乗り込んだ。ゆっくりと扉が閉まり、そしてふわりとした嫌な感覚が体を襲う。どれくらいの速度なのかは分からないが、倉科を乗せたエレベーターは、さらに地中深くへと潜っていく。
どれだけ気味の悪い重力の変動を味わったことだろうか。とどめといわんばかりに、ぐわりと重力が分散し、ようやく通常の感覚が倉科の足元へと戻る。それと同時にエレベーターの扉が開いた。
エレベーターを降りると、そこもまたコンクリートに囲まれた空間。空気がどんよりと濁っているのは倉科の気のせいだろうが、やはり息の詰まるような感覚は、いつ来ても慣れることはない。関係者の話だと、しっかりと空調は機能しているらしいのだが。
エレベーターの扉の真向かいには、
『はい――』
インターフォンの向こうから、ノイズ混じりのくぐもった声が返ってくる。
「捜査一課の倉科だ。事前に連絡を入れてある」
『認可証の提示を』
形式ばった、いつも通りの対応に、倉科は苛立ちを溜め息に乗せて吐き出した。ここを訪れるのも初めてではないのだから、声くらいは覚えてくれているだろうし、顔だって分かるはず。それなのに認可証を見せろとは、どこまで他人行儀な連中なのだろうか。もっとも、この先は国家の管理下になるから仕方がないのかもしれないが。
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