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 今日の坂田は酷いものだった。縁達が独房内に入るや否や、まるでずっと待っていたかのごとく鉄格子を叩く。その表情には恍惚感こうこつかんのようなものすら浮かんでいるように見え、明らかに興奮を抑えることができていないみたいだった。


「おい! なんかさっきから面白そうな音がしてんじゃねぇか。こんなところで、あれだけ派手な銃声が聞こえるとか、何か妙なことが起きてんだろ? なぁ? なぁ? なぁぁぁ?」


 坂田は鉄格子を掴むと、それに体重を預けて体を前後に揺さぶる。思わず引き金を引いてしまいそうになるほどの狂いよう。間接的に事件へとたずさわってきた坂田ではあるが、リアルタイムで何か良からぬことが起きていることを察して、感情のたかぶりを抑えきれなくなったのであろう。


「いつもは――もう少し大人しいんですけどね」


 坂田の様子を見て呆気に取られている楠木に、なんだか妙なフォローを入れてしまう。それほどまでに、今日の坂田は普段の坂田と違って見えたのである。普段は話が通じないわけではないし、彼の思想や考え方は受け入れられないが、それなりに坂田のことを分かってきたつもりでいた縁。しかしながら、これこそが坂田の本性なのかもしれない。


 彼が関与する事件は、当然ながらアンダープリズンの外で起きている。だからこそ、彼は間接的にしか関与することができない。しかし今回ばかりは違い、事件はアンダープリズンで起きているのだ。すなわち、坂田も直接関与できてしまう範囲で事件が起きているのである。縁でさえ見たことのない態度を見せる坂田の姿は、この辺りに原因があるとしか思えない。普段はテレビ越しにしか見ることのできない憧れの芸能人と、直接会った時のファンのようなもの――と例えると、また少し違うような気もする。


「坂田、事件っす。でも、今回は事件の資料もなければ、自分達も全容を把握していないような事件っす」


 尾崎が言うと、坂田はさらに体を前後に揺する。もう居ても立っても居られないといった具合だ。


「はぁぁぁぁぁ? これだけ面白そうな雰囲気なのによぉ、お前達が事件のことを把握してねぇとか、マジで使えねぇなぁ! どうすんだよ?」


 普段の坂田であれば、予定通り坂田を独房から出してやっても問題はないだろうが、今の坂田を見ていると、独房から出すのも心配になってきた。坂田のことをプロファイリングして、分かったつもりになっていた自分が恥ずかしい。坂田仁という存在は、そうそう簡単に理解できるものではないし、分析できるものでもない。彼にはまだまだ未知の部分が多いのだ。


「――そもそも、アンダープリズンが占拠されること自体、あってはならないことなんだよ。ただ、こうなってしまった以上、事態を把握していようがいなかろうが、どうにかするしかない」


 坂田に取り込まれまいとしているのか、アサルトライフルを構えたまま、照準越しに坂田のことを睨み付ける楠木。少し声が震えているような気もするが、坂田と初対面というシチュエーションで、ここまで振る舞えれば大したものである。まぁ、思い返してみれば、縁や尾崎もまた、堂々と振る舞えていたのだろうが。


「は? それ――マジかよ? ここが占拠されたとか」


 楠木と中嶋という、言わば普段とは違う因子が入り込んでいるのだが、その辺りのことは全く気にしていない様子の坂田。それだけ、自分の身の回りで起きている事件のほうに意識が行ってしまっているのか。それとも、そもそも二人に興味がないのか。坂田のことを理解しようとする事自体、馬鹿げた行為なのかもしれない。


「マジっす。このアンダープリズンは解放軍と名乗る集団に占拠されたっす。すでに多くの死者も出ているし、このままじゃ全滅する可能性だってあるっす」


 尾崎の言葉に、坂田は急に真顔になり、相も変わらず鉄格子を掴んだまま、ゆっくりと縁達の顔を見回す。


「なぁ、聞いたか? アンダープリズンが占拠されたってよ。くくくくくっ――この俺を閉じ込めておくだけの、コンクリートの塊がよぉ……占拠されたってよぉ!」


 あぁ、完全にスイッチが入ってしまった。ある程度は予想していたのであるが、まさかここまで坂田が喜ぶとは思ってもみなかった。ますます、鉄格子の中から坂田を出すことに抵抗を覚えてしまう。


「ひゃっはっはっはっはっ! どこのどいつなんだよ、こんな場所を占拠しようなんていう物好きはよぉ。あー、親の顔が見てみてぇわ。しかも、それが集団だってんだろ? 馬鹿がわらわらと群がって、ここを占拠したとか――。マジでふざけた話だぜぇ!」


 鉄格子を軸にして、体をぐわんぐわんと揺らす坂田。そこに笑い声が加わって、もう収集がつかなくなってしまう。楠木や中嶋の視線を感じた。それどころか尾崎の視線までもだ。それらの視線は「本当にこんな狂人を檻から出すのか?」と、縁に問いかけているような気がした。そのメッセージを受けて、縁は咳払いをひとつ。拳銃を構え直すと口を開いた。


「坂田、落ち着いて聞いて。このアンダープリズンが解放軍に占拠されたのは紛れもない事実――。人数的にも戦力的にもあちらが上で、私達だけでは太刀打ちできないというのが、残念なことに現状なの」


 興奮状態の坂田の手綱たづなを、どこまでさばくことができるのか。正直なところ、そこまで上手くさばけるとは思っていない。しかしながら、この面子の中で坂田と深い関わりがあるのは、縁と尾崎である。そのように自負している部分もあるし、なんとかしなければならないという責任感みたいなものもある。とにもかくにも、縁は坂田の説得を試みることにしたのだった。


「――で? 俺にどうしろってんだ?」


 狂ったように暴れていた坂田が、動きをピタリと止めて、完全なる無表情を見せる。感情の起伏が普段よりも大きい分、能面のような無表情には気味の悪さがある。ここで本題を切り出したら、きっと文字通り狂喜乱舞するのだろうが……果たして、坂田を上手い具合に扱うことができるのだろうか。こんな土壇場になってから、妙な不安感に襲われた。首を横に振って、それを振り払うと縁は重大な一言を放った。これは――アンダープリズン史上、前代未聞の一言。それこそ、関係者のお偉いさんでもいたら、まず間違いなくとがめられるような禁断の言葉であろう。


「一時的であり、また限定的だけど、この独房から外に出してあげる。ただし、私達に危害を加えないこと、そして全面的に協力することを最低限の条件とする。情報が足りないのであれば、その目で実際に現場を見て事件を整理すればいい。調べたいことがあるのならば自分で調べればいい――。私達に力を貸しなさい」


 坂田を独房から出すなんてこと、こんな危機的な状況でなければ、絶対にあり得ないことである。きっと後にも先にも、坂田が独房から外に出るなんてことは、二度とないのだろう。死刑という権利さえ国に剥奪され、きっと死ぬまで独房で飼い殺しにされるのである。ふと、そんなことを考えて、ほんの少しだけ坂田に同情した。本人は暇潰し程度の感覚で事件に協力しているが、言ってしまえばそれは無報酬の労働であり、国にとって都合の良いように利用されているだけだ。まぁ、それでも償いきれないほどの罪を坂田は犯したわけであり、ある意味では死刑と対等の処罰なのかもしれないが――それでも坂田には人権があるはずで、国が坂田のことを自由に利用していい理由にはならない。


「マジかよ! このしみったれた場所から出れるとか、パネェなぁ! おい、だったらさっさとここから出せよぉ! 力を貸してやるからよぉぉぉ!」

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