25

「俺が先頭に立つ。0.5係は二人で後ろの警戒を――。中嶋は間に入ってくれればいい」


 楠木を先頭にし、それに続く形で中嶋が、そして縁と尾崎が最後尾になるようにして、簡易的な陣形が組まれる。これが果たして、本当に機能してくれるのかは不明なところであるが、武器を持たぬ中嶋を真ん中に置き、そして死角となる背後の警戒を、縁と尾崎の二枚にした辺り、それなりにもっともらしい形になってはいるのだろう。普段やっていることと、全く違うことばかりの連続で、果たして何が正しいのか分からなくなっている自分がいる。


「行こう――。ここから独房まではすぐそこだが、気を抜かずにな」


 0.5係の詰め所から坂田の独房までは、ほんの目と鼻の先である。少しばかり廊下を歩けば、何枚もの鉄格子にぶちあたる。認可証を使って鉄格子を開いたら、その先はもう坂田の独房だ。縁達が頷いたのを確認すると、楠木はゆっくりとドアノブを回し、そして少しだけ開けた扉の隙間に、アサルトライフルの銃口を差し込む。そのまま警戒に警戒を重ねながら扉を全開にすると、中腰の姿勢のまま廊下に出て周囲を警戒。辺りが安全なことを確認したのか、手招きをして縁達を呼ぶ。


 通い慣れた空間が、まるで異空間のような感覚である。地下の奥深く、コンクリートむき出しの廊下は、普段からひんやりと冷たいのかもしれないが、それに増して冷たく、そして静かな印象があった。本当に解放軍などという連中が、アンダープリズンを占拠しようとしているのか――。そう疑ってしまうほど静かだった。いつもは何気なく歩いている廊下を、一歩、また一歩と、ゆっくり進んだ。すぐそこに見えているはずの、最初の鉄格子が随分遠く思えた。


「ここから先は0.5係の出番だ――」


 声を潜める楠木と立ち位置を交代した。尾崎と縁が前に出て、背後を楠木がフォローする形だ。認可証をほぼ同時に取り出し、そして認証機の前でお見合い状態になってしまったが、ここは尾崎に任せて、縁は認可証を仕舞った。


 認可証が認証される度に、電子音が響く。静まり返った廊下には、ほんのささいな電子音ですら、やけに響いた。鉄格子を開いては前進し、また認証機に尾崎が認可証を読ませて鉄格子を開ける。この行為を何度も繰り返し、四人は独房の前へとたどり着いた。


「自分達は慣れてるから大丈夫っすけど、坂田とはできるだけ目を合わせねぇほうがいいっす。下手をすると取り込まれてしまうかもしれねぇっすから」


 どこかで聞いたような文言を、さも忠告であるかのように口にする尾崎。間違いなく倉科からの受け売りであろう。ここを初めて訪れた時に、同じようなことを言われたような覚えがある。


「まぁ、俺は食事の配膳なんかで、何度か坂田に会ったことありますし――」


「直接会ったことはなくとも、凶悪犯と対峙する際のノウハウは心得ているつもりだ。腐っても元|SAT《サット》だからな――。忠告されずとも、坂田ごときに取り込まれはしないさ」


 先輩面をして忠告をしたのであろうが、中嶋と楠木からは、実にあっさりとした返事が返ってきた。中嶋は刑務官の業務の中で坂田に会う機会があるようだし、楠木は元SATだという。元SATならば仕方がない――と思ったところで、ようやく驚きが追いついた。あまりにも自然と口にされたから、ごくごく自然に受け入れてしまったではないか。


「え、SAT? 楠木さん、SATにいたんですか?」


 こんなところで無駄口を叩いている暇はないのだが、思わず聞いてしまった。縁自身がキャリアという立場を捨てた人間であるがゆえに、楠木の経歴が気になってしまったのかもしれない。


 Special・Assault・Team――それらの頭文字を取ってSATと呼ばれる部隊は、直訳すると特殊急襲部隊になる。警察組織内における特殊部隊だ。


 刑事部にも特殊事件捜査係――俗称|SIT《シット》が存在するのであるが、そのSITでは対処ができないような事件を担当するのがSATになる。重大なテロ事件やハイジャック事件など、犯人グループが武装していることを前提とした事件を取り扱うことが多い。ちなみに、SATがスペシャル・アサルト・チームの略称であることは、テレビドラマなどの影響もあって広く知られているが、SITがSousa・Ikka・Tokusyuhanの頭文字を取ってSITと呼ばれていることは、あまり知られていない。存在をマスコミなどに知られぬように施した苦肉の策だったらしいが、少しばかり安直でもある。


「あぁ、わざわざ話すことでもないから、誰かに話したことはないかもな。まぁ、俺が元SATだと知っているのは、それこそ上のお偉いさんだけだろう」


 銃器やらに詳しいとは思っていたが、まさか楠木が元SATだったなんて驚きである。アンダープリズンに関わる人間もそうではあるが、SATもまた機密にがんじがらめにされるような立場だ。どのような形で、アンダープリズンの守衛長という立場にたどり着いたのかは知らないが、楠木が元SATであるということは精神的な面で実に心強い。


 解放軍に対して堂々とした振る舞いを見せていたのも、軽々とアサルトライフルを扱うことができたのも、またその場に適した最適な判断を下すことができたのも、全ては楠木が元SATだったから。アンダープリズンに思わぬ人材が隠れていたものである。もっとも、このような状況に陥ることでもなければ、その真価はずっと発揮されなかったのであろうが。


「へぇ、他の人とは少し違うとは思ってましたけど、まさか楠木さんが元SATだったなんて驚きですよ」


 下手をするとSATの隊員は、0.5係やアンダープリズンにたずさわる人間よりも、厳しく機密によって管理されているのかもしれない。SATの人間の個人情報が公表されることはないらしいし、離れて暮らす両親が、自分の息子がSATに属していたことを、殉職してから知った――なんて事例があるほど、機密に対しては徹底している。そんなところにいた楠木からすれば、ここの機密の扱いなど生易しいものであろう。


「昔取った杵柄きねづか――というやつか。もうSATを離れてから大分経つし、確実に腕は衰えているだろうがな」


 中嶋の言葉に返すと、楠木は気持ちを切り替えるかのごとく、軽く咳払いをしてから続ける。


「まぁ、俺の昔話なんてどうでもいいことだ。解放軍の気配がないうちに、さっさと対面してしまおう。ここの大問題児とな」


 坂田に力添えして貰うことが、必ずしも良い結果を引き寄せるというわけではない。懸念されているように、坂田を独房から出したことによって、さらに状況が悪くなることだって充分に考えられる。楠木が問題児と坂田を揶揄やゆしたのは的確である。


 縁と尾崎は顔を見合わせ、そして頷き合う。尾崎が認証機に近付いて、認可証を読み込ませた。重厚な扉が横へとスライドし、その先にいる魔物の元へと縁達を誘う。扉の隙間から漏れ出す瘴気しょうきのようなものに、楠木と中嶋が身構えたような気がした。何も感じないのは、悪い意味で坂田と面会することに免疫ができてしまったからなのか。九十九殺しの殺人鬼に対して警戒心が薄れてしまっていることに、危機感を抱かねばならないだろう。


 ここはやはり、坂田とのやり取りに慣れている縁と尾崎が率先して独房へと入り、拳銃を引き抜いた。ここに入ることが初めてであろう楠木は、やや遅れてからアサルトライフルを鉄格子の向こうへと向けた。恐らく、縁と尾崎を真似たというよりも、本能的な部分で危険を察知したからこそ、無意識に銃口を向けたのかもしれない。

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