27

 縁の言葉に一度は落ち着いた様子を見せていた坂田であったが、再び狂喜乱舞である。独房の中で生活の全てが完結しており、二度と外に出ることはないであろう坂田。自業自得としか言いようがないのであるが、そんな彼からすれば、この独房から外に出るというだけでも、願ってもないことなのであろう。


 それにしてもパネェなどという俗語はどこで覚えるものなのか。半端ではない――という意味合いであり、次々と言葉が簡略化されたがゆえに出来上がった俗語であるが、坂田が捕まる以前からあった俗語なのであろうか。まぁ、ここから一歩も外に出ない坂田が口にするということは、きっと坂田がシャバにいる頃からあった言葉なのだろう。


「言っておくけど、私達に協力することが大前提。もし少しでも怪しい動きを見せたら、容赦無く模擬弾を撃ち込むから」


 喜びのあまりか、縁の言葉など完全に聞き流しつつ「あぁ、そんなことは分かってんだよ」なんて返し方をされる。明らかに縁の言葉なんて届いていないようだし、どうにも信憑性に欠ける。


「本当に坂田をここから出して大丈夫なんですかねぇ? なんか物凄く不安なんですけど」


 坂田の様子に、中嶋が誰に問うでもなく呟き、尾崎が無責任に「大丈夫っす」と返す。それに続いて溜め息を漏らしたのは楠木だ。


「どちらにせよ、こっちの戦力が不足しているのは間違いないんだ。坂田がどれだけの戦力になるかは未知数だが、仮に全く使い物にならなくても、過去に何件もの事件を解決してきた実績がある。もう、ここまで来たらヤケクソだよ。どこかで自分のリミッターを外さなきゃならん」


 坂田を独房から出すことに不安があるのは、縁だって同じだ。しかしながら、楠木の言うように、坂田は何件もの猟奇的な事件を解決に導いた実績があるし、頭も切れる。狂人と天才が坂田の中で共存しているとでも言おうか。餅は餅屋と言わんばかりに、特に猟奇的な事件においては、その力を思う存分に発揮する。今回の一件だって、狂った集団との対峙であると言ってもいい。よほど狂わねば、このアンダープリズンを占拠しようなんて考えないだろうし、坂田の解放も要求しない。犯行に銃器が使われおり、また集団であるから猟奇性が隠れてしまっているだけで、これもまた坂田が得意とする分野の事件であろう。縁の希望的観測が強いのかもしれないが、この不利な戦況に坂田を投入することで、状況が好転してくれることを願わずにはいられない。


 坂田を独房から出すか否か。尾崎のほうに視線を移すと、力強く頷かれた。中嶋は「まぁ、状況が状況ですし、背に腹はかえられませんから」と漏らし、楠木は独房の鍵穴に近付くことで返事としたようだった。不安要素がないと言ったら嘘になるし、これが最善の手であると確定しているわけでもない。もっと他に良い方法があるのかもしれないが、しかし今の縁達が出した答えはひとつだった。すなわち、坂田を独房から解き放つこと――。


「坂田、幾つか約束して欲しい。まず、絶対に相手を殺したりしないこと。自分の身を守るため、もしくは誰かを助けるための暴力は仕方ないとして、決して自分の本能に赴くままに暴力を振るわないこと。これらをしっかりと守りなさい」


 楠木が鍵穴に鉄格子の鍵を差し込んだタイミングを見計らって坂田に釘を刺す縁。鉄格子を開けるためには複雑な手順を踏まねばならないと、解放軍には訴えていた楠木であるが、それらはハッタリであったようで、実際には鍵を差し込んで回すだけで鉄格子は開いてしまうらしい。カチャリと音がすると同時に、坂田がニタリと笑みを漏らす。


「人をどんだけ凶暴な化けもんだと思ってんだよ? 本能に赴くままに暴力を振るうほど、頭が足りねぇわけじゃねぇよ」


 ――果たしてどこまで信じていいものか。坂田が何を考えているのかなど全く分からないし、どこまで本当のことを言っているのかも分からない。ただ、考えなしに自分達を襲うような真似はしないだろう。その辺りのことは坂田を信じているというか、変な自信があった。その根拠を示せと言われたら難しいのだろうが。


 鍵を引き抜いた楠木は、瞬時に鉄格子から飛び退くとアサルトライフルを構える。坂田が発する妙な重圧感がそうさせたのか、それとも九十九殺しの異名が先行してしまい、楠木を警戒させてしまうのか。何にせよ、楠木の反応は正常であると言える。


「心配しなくても、お前らのことを取って食ったりはしねぇよ――。今はお前らより面白い連中が近くにいるんだからよぉ。いつでも殺れる奴を殺っても面白くねぇだろ?」


「坂田っ! 殺しは絶対に駄目って言ったばかりでしょう!」


 鉄格子をゆっくりと開ける坂田に駆け寄り、こめかみに銃口をぴたりと突き付けた。思っていたよりも坂田が近く、自分で近付いておきながら背筋がぞくりとした。


「うるせぇなぁ。言葉のあやだ。まだ状況が分からねぇし、解放軍とやらの実態も掴めていねぇ。明確な目的も釈然としない。情報がほとんど掴めていない状態で相手を殺すとか、楽しみが半減するだけだろうが――。こういう状況を楽しめないようじゃ、人生の80パーセントは損してるぜぇ」


 この状況を楽しむことなど、常人にはできない。それができるのは狂人だけだということに坂田は気付いていないのだろうか。きっと気付かないのであろう。なぜなら、これが彼にとっての正常運転。彼にとっての常識なのだから。


 ――とうとう、坂田が鉄格子をくぐり抜け、本来ならば越えてはならない一線を越えてしまった。縁だけではなく、尾崎と楠木に銃口を向けられる様子は、なんとも物騒であり、そして仰々ぎょうぎょうしかった。


 基本的に坂田は、独房内であれば自由に生活できる権利が与えられている。それゆえに、彼の手足は常に自由な状態である。手錠が年がら年中かけられているなんてことはないし、足に鉄球が結び付けられているというわけでもない。ゆえに、鉄格子をくぐってしまった坂田は、檻の外に出てしまった猛獣と同じ。それをなんとか無力化しようと、麻酔銃を突きつけている飼育員が縁達といったところか。


「大体よ、そこまでやらなくても、お前らを殺ったりしねぇよ。なぜなら――」


 坂田がそう呟いてから、ほんの一瞬の出来事だった。いいや、一瞬だったかさえも分からない。銃口を突きつけていたはずの坂田の姿がブレたかと思うと、全く違う場所から坂田の声が聞こえてきた。


「俺が本気なら、もうお前らは皆殺しになってるからだ――。でも、お前らは生きてるだろう? お前らよりも面白いもんがあるからなぁ」


 いつのも間にか、坂田は楠木の背後へと回り込み、アサルトライフルの銃身を掴んでいた。動きが全く見えなかったし、元SAT隊員の楠木でさえ、坂田の動きは見えなかったらしい。九十九殺しの殺人鬼との異名は、やはり名前だけではないということか。そんな坂田は笑いを噛み殺しながら、律儀に元いた場所へと戻る。坂田にとって拳銃なんてものは玩具なのかもしれない。少なくとも、彼に対する牽制力にはならないことが、良く分かった。


「――まさか、ここまでの身体能力を兼ね備えているとはな。こんな時だからこそ言うが、これほど心強いことはない」


 呆気なく坂田に背後をとられてしまった楠木。恐らく向けても意味はないのだろうが、改めて銃口を坂田に向け直す。確かに楠木の言う通り、坂田ほどの身体能力があれば、解放軍を相手にしても対等にやり合えるかもしれない。それにしても人間離れした身体能力である。もしかすると、そもそも坂田は人間ではない別の何かなのではないだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る