縁が真犯人の名前を口にした途端、周囲の空気が凍り付いた。尾崎は信じられないといった様子で、縁と中嶋の間に視線を往復させる。楠木はただただ深い溜め息を落とした。この空気を楽しんでいるかのごとく、坂田はただただニタニタと笑みを浮かべる。レジスタンスリーダーだと指摘された中嶋本人は言葉を失っているようだった。いいや、ショックのあまり言葉を失っているように振る舞っている――と表現すべきか。


「ちょっと待ってくれ……」


 凍り付いた空気を払拭すべく、倉科が口を開く。恐らく、この時点では誰も真実を受け入れていない。もちろん、縁だって明確な根拠などがなければ、中嶋がレジスタンスリーダーであるなんて信じられないだろう。事実、こうして確信を持っている今でさえ、何かの間違いであって欲しいと思っているのだから。


「もう一度確認しておきたい。解放軍が食堂を占拠したのはいつ頃の話だ?」


 倉科は最初から事件に関与しているわけではない。大まかな流れは確認しているだろうが、事件が起きた直後のことを、もう一度だけ確認しておきたいのだろう。


「えっと――。お昼休憩に入って、それからお昼の終わりを告げるチャイムが鳴る前に食堂が占拠されたっすから、正午から午後一時の間だと思うっす」


 倉科は尾崎の言葉に大きく頷くと、念のためといった具合で縁に「それで合ってるか?」と聞いてくる。


「えぇ、正午のチャイムから休憩の終わりを告げるチャイムの間に、食堂は占拠されました」


 縁の言葉を聞いた倉科は、大きく溜め息を漏らした。


「その食堂が占拠された時に、中嶋もその場にいたと言うんだな?」


 念を押すかのように、やや語気を荒げて問うてくる倉科。縁は頷いた。食堂が占拠された時、中嶋は食堂にいた。もちろん、頭からラバーマクスを被ってだ。


「えぇ、私の推測が正しければ、そういうことになります」


 こんなことを願うのは変な話であるが、この推測を崩せるものなら崩して欲しい。縁自身がたどり着いてしまった答え――それが間違いであることを証明して欲しい。縁はまだ覚悟を決めることができなかった。


「だったら中嶋に犯行は無理だな。今日の昼、中嶋は俺と飯を食ってたんだ。それこそ正午から午後一時過ぎまでな――。つまり、アンダープリズンが占拠された時、中嶋はアンダープリズンにいなかったことになる。俺と中嶋が午後一時過ぎまで一緒にいたことは、俺が保証するよ」


 中嶋と倉科の二人は、それぞれの理由は異なるものの、事件が起きた後にアンダープリズンへとやって来ている。中嶋は仕事に戻るため、そして倉科はアンダープリズンの危機を救うためだ。それゆえに、食堂が占拠された時点でのアリバイがある二人は、無意識に容疑者から外されていた。少なくとも縁の頭の中ではそうだった。


「一時過ぎまで警部と一緒にいた中嶋さんには、解放軍として食堂を占拠することは不可能っすねぇ」


 倉科に続いて、尾崎が中嶋のことを擁護するようなことを口にする。きっと、誰しもが中嶋のことをレジスタンスリーダーであると認めたくないのであろう。できることなら、縁だって中嶋を擁護するほうに回りたい。まったくもって損な役回りになってしまったものだ。


「いいえ、可能なんです。チャイムの差し替えを行うことにより、私達にある事柄を誤認させてしまえば、午後一時までアリバイのある中嶋さんでも、事件が起きるタイミングには充分間に合ったんですよ」


 アンダープリズンが占拠されたのは正午から午後一時までの間。そして、中嶋は倉科と午後一時過ぎまで外で食事をしていた。ならば、食堂を占拠する時にアンダープリズンにいることは不可能だ。しかしながら、それを可能にする方法がある。すなわち、縁達は大前提を誤認させられていたのである。


「ここで尾崎さんと楠木さんに質問します。どうして、食堂が解放軍によって占拠されたのが正午から午後一時の間だと思ったのでしょうか?」


 あえて二人に質問を投げかけたのは、複数の証言を取りたかったからだ。縁の推測が正しければ、尾崎と楠木が誤認している事柄も、全く同じになるはずなのだから。


「そりゃ、チャイムが鳴ったから――」


「あぁ、解放軍に食堂が占拠された後に、休憩時間の終わりを知らせる【エーデルワイス】が鳴った。だからこそ、解放軍が食堂を占拠したのは午後一時前になる」


 尾崎と楠木が全く同じ見解を示す。思っていた通りの答えが返ってきたことに縁は大きく頷く。坂田から気味の悪い笑みをずっと向けられているのが不快だが、あえて気にしないことにして続けた。


「――チャイムが鳴ったのは、本当に午後の一時だったんでしょうか?」


 その言葉に、楠木が小さく舌打ちをして中嶋を睨みつける。恐らく、この事件に仕組まれていたアリバイトリックに気が付いたのだろう。


「だから解放軍はスマートフォンと腕時計を没収しなければならなかったのか。スマートフォンなんて没収したところで、そもそもここには電波が届かないのに――なんて思っていたんだが、あれらを没収した理由は外部に連絡を取らせまいとするためではなく、俺達に時間を確認させないためだったのか」


 楠木の答えは大正解である。食堂を占拠された後、縁達はスマートフォンを没収された。ほとんどの人がスマートフォンだけの没収となったが、しかし中には腕時計を没収された人もいたのだ。


 なぜ、解放軍はスマートフォンと腕時計を没収したのか。外部との連絡を取らせないため――ならば、まず詰め所にある黒電話の線を切るなりしたほうがいい。それに、目的がそれだとすると腕時計が没収される意味が分からない。ここが停電状態になった時に、もしかして明かりの代わりになるものを排除したかったのかとも考えたが、やはり腕時計を没収する理由にはならない。


 答えは簡単だったのだ。スマートフォンを没収された理由に着目するのではなく、腕時計を没収された理由にさえ着目してしまえば実に簡単。腕時計を没収されるとどうなるか――明確な時間を把握できなくなる。スマートフォンが没収されたのも、外部との連絡を断つためでなく、また明かりとして代用されるのを防ぐためでもなく、時間を確認されるとアリバイトリックが成立しなくなるからだったのだ。


「その通りです。このアンダープリズンには、相変わらずのお国仕事のせいで、どういうわけだか時計というものが設置されていません。むろん、稼働しているPCなどで時間を知ることはできるだろうし、住居スペースに行けば、それぞれの部屋に個人的な目的で使用している時計もあるでしょう。しかし、少なくともこの食堂には、時計が設置されていなかった。それゆえに、食堂が占拠された際に時間を知ることができそうなツールさえ没収してしまえば――私達は時間を知ることができなくなります」


 アンダープリズンにはいまだに不備が多く、また曖昧な部分が多い。チャイムがあるからと時計を設置しない辺りも、お国仕事の集大成といえよう。これが、レジスタンスリーダーのアリバイ成立に一役買ったわけだ。食堂には時計が設置されておらず、占拠された時点で時間を知ることのできるツールを解放軍に奪われてしまった縁達。そんな中、チャイムだけが時間を知ることのできるツールになっていたのだ。


「そんな中で【エーデルワイス】が流れれば、時間を知るツールのない私達は、それが午後一時のものであると思い込みます。例えそれが、チャイムの差し替えによってだったとしても――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る