質問を投げかけてやると、尾崎は考え込むような仕草を見せる。チャイムが【別れのワルツ】から【蛍の光】に差し替えられていたのは、どうしてなのか。縁がたどり着いた答えは、ごくごく単純なものだった。


「えーっと、間違えたんじゃないっすかね? ほら【別れのワルツ】と【蛍の光】は原曲が同じっすから」


 尾崎の言葉に小さく頷く縁。犯人はある理由によりチャイムを差し替える必要があった。その際、用意する楽曲を間違えてしまったと思われる。事実、縁もある人物から豆知識を披露されていなければ、いまだに終業のチャイムは【蛍の光】であると間違って認識していたであろうし、犯人が間違えたという可能性も決して低くはないだろう。充分にあり得ることだ。縁は小さく吐息を漏らすと続ける。


「私もそう思います。犯人はきっと終業のチャイムを【別れのワルツ】ではなく【蛍の光】として認識していたのではないでしょうか? だからこそ、差し替えられたチャイムは三拍子の【別れのワルツ】ではなく、四拍子の【蛍の光】だった。これを踏まえた上で、尾崎さん――仮に流羽さんがレジスタンスリーダーだったとして、この認識の間違いは起こり得たと思いますか?」


 呪縛から解き放つ。レジスタンスリーダーの汚名を被せられ、年齢だって縁とさほど離れていないというのに命を奪われてしまった流羽。彼女への疑いを晴らし、そして真なる犯人を暴く。それが……今の縁がしてやれる精一杯のこと。


「いや、彼女が間違えるはずがねぇっす。だって自分達に【別れのワルツ】と【蛍の光】の話をしてくれたのが彼女なんすから。絶対に間違えるはずがねぇっす」


 その言葉が欲しかった。まだ終わっていないというのに、縁は大きく溜め息を落とした。こうして、途中途中でしっかりと気持ちを落ち着けなければ、精神的に参ってしまいそうだ。縁自身がそう思ってしまうほどに、この事件の真相は信じがたいものなのである。


「そうです。彼女は【蛍の光】と拍子が異なるだけの【別れのワルツ】という曲を知っていたし、アンダープリズンで採用されているチャイムのメロディーが【別れのワルツ】であることも知っていました。だから、仮に彼女がチャイムの差し替えを行なったのだとしたら、終業のチャイムは【別れのワルツ】になっていたはずなんです。でも、実際には違った。これこそ、彼女がレジスタンスリーダーではないという根拠になるのではないでしょうか?」


 流羽がレジスタンスリーダーならば【別れのワルツ】と【蛍の光】を間違えるわけがない。これこそ流羽がレジスタンスリーダーではないと証明する根拠だ。


「話を聞いた限り、彼女が【別れのワルツ】と【蛍の光】を間違えた可能性は低いでしょう。でも、何かしらの意図があって、あえて【別れのワルツ】と【蛍の光】を差し替えた可能性だってあり得る。そもそも、曲の差し替えを行った理由が不明瞭である以上、彼女がレジスタンスリーダーではないと決め付けるのは危険なのではないでしょうかね?」


 中嶋が言う。縁の根拠の前提には、犯人が差し替えの際に曲を間違えてしまった――というものがある。だからこそ、流羽が曲を間違えるわけがないという根拠になり得る。しかし、彼女が意図的に曲を差し替えたという考え方をすれば、あらかじめ【別れのワルツ】と【蛍の光】の性質を知っていても、この事態はあり得たと考えることもできる。


「いいえ、意図的に【別れのワルツ】と【蛍の光】が差し替えられていたとは思えません。終業のチャイムが別の曲だったことに気付いたからこそ、私はチャイムの差し替えが行われたことにたどり着けた――」


「そして、それに気付かれることは、レジスタンスリーダーにとって不都合なこと極まりねぇんだよ。なんせ、チャイム差し替えの意図に気付かれたら、アリバイトリックがばれちまうかもしれねぇからなぁ」


 またしてもいいところを持って行く坂田。しかも、この場でレジスタンスリーダーが実行したと思われるアリバイトリックのことまで持ち出してしまった。こちらは慎重に推理を展開させたいのに。


「――アリバイトリック?」


 案の定、尾崎がその言葉に食いついた。いや、尾崎だけではない。声には出さないものの、誰しもが坂田の言葉を待っているようだった。しかし、坂田はもったいぶるかのように笑みを浮かべながら、その光景を眺めているだけ。焦らしているなんてレベルではない。縁は大きく溜め息を漏らすと、坂田の代わりに口を開いた。


「えぇ、坂田の言う通り、レジスタンスリーダーは、ある事柄を誤認させてアリバイを確保しました。チャイムの差し替えが行われたのも、トリックを成立させるためです」


 坂田が先走ってくれたおかげで台無しである。もう少しロジックを固めながら真犯人を追い詰めようと思っていたのに。大きく溜め息が漏れると同時に気が重くなる。


 レジスタンスリーダーの正体は流羽ではない。それゆえに、この場面で遺書の通りに自殺する必要もない。そして、彼女が自殺ではなく他殺であろうと推測できる根拠も縁にはあった。ただ、坂田がアリバイトリックと明言してしまったがゆえに、先に真犯人――レジスタンスリーダーの正体を明らかにしておいたほうが、色々とやりやすい環境となってしまった。まだ出していない根拠は、真犯人と直接対決になった時の手札にすべきだろう。


 信じられないし信じたくもない。はっきり言ってしまえば、こんな役割を自らやりたいなんて思いもしない。でも、真相にたどり着いているのは自分と坂田だけのようだし、肝心の坂田は縁の言葉を待っている様子だ。ただただ気味の悪い笑みを見せるばかり。ここ一番の見せ場なのに、それを掻っさらうつもりもないようだ。もしかすると、真犯人との対峙に葛藤する縁を見たいのかもしれない。


「逆に言ってしまえば、真犯人はアリバイをトリックによって成立させなければならないような立場にいた。事件発生から今の今まで、この食堂で監禁されていた流羽さんには――当然ながらアリバイを成立させる必要もない」


 一度はホルスターに戻した拳銃をゆっくりと引き抜く。信じたくない、信じたくない、信じたくない、信じたくない。頭の中で何度も呪文のように唱える。だからといって真相が書き換えされたりするわけでもないのに。


「何度も考え直したんです。色々な可能性を探ってみたんです。でも、最後にたどり着く答えはこれしかなかった。他に答えがあるのならば、誰か教えて欲しい――」


 自分の意思とは別に、銃口がある人物へと向けられた。呼吸が荒くなる。急に体が熱くなり、額からは一筋の汗が流れ落ちた。


「おい、山本――正気なのか?」


 倉科の声が耳に入るが、それに答えている余裕などなかった。


「縁、落ち着くっす」


「山本さん、冗談はやめにしましょう――」


 尾崎と中嶋が口々に漏らし、しかし縁は首を横に振った。そして楠木が大きく溜め息を落とす。


「まさか、ずっと俺達のこと……騙していたのか?」


 その言葉は明らかに、レジスタンスリーダーへと向けられていた。縁は震える指先を引き金にかけ、少しばかり腰を落として銃をしっかりと構える。変な動きをした時は容赦なく引き金を引くつもりだ。


「冗談なんかじゃないんです。――どうしてこんなことをしたんですか? レジスタンスリーダー」


 縁はそこで言葉を区切ると、小さく息を吐き出して気持ちを落ち着ける。そんな場面ではないのだが、そうでもしなければ脳がオーバーヒートしてしまいそうだった。


「いいえ、中嶋さん――」


 縁が向けた銃口の先では、何が何だか分からないといった様子の中嶋が首を傾げた。

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