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「ほら、警部。これです――」


 倉科がパンフレットを眺めたままでいると、縁が自分のパンフレットを差し出し、ある文言もんごんを指差した。


 ――少人数制による綿密なカリキュラム。当塾では多数の講師が在籍しているため、じっくりと学べる環境をご用意いたしました。


 縁が指差した文言の下には表のようなものがあり、そこには教科と、恐らく授業の時間帯であろうか。それらが一週間分ぎっしりと並べられていた。しかも、学年別、能力別と細かくクラスが分けられているようだった。


「この塾では少人数制による授業を行っているようです。しかも学年別、教科別、能力別とクラスを分けています。加えて、在籍している生徒数も多いわけですから――」


「同じ塾に在籍していても、犠牲者同士に接点がなかったことも頷けるっす。中にはすぐに辞めてしまった犠牲者もいるため、今まで共通点が掴めなかったのかもしれないっす」


 これはいよいよ、捜査本部でも掴めていなかった重要な手掛かりとなりそうな雰囲気になってきた。言わば、この塾は学校で言うところのマンモス校。生徒の数が多ければクラスの数も多くなる。また、そこから能力別などで分ければ、さらにクラスは細分化してしまうであろう。となると、同じ塾に属していながら、一度も顔を合わせたことがない生徒など腐るほどいることであろう。これもまた、一切の関わりを持たぬまま卒業を迎える生徒がいるだろうマンモス校と同じ理屈だ。しかも、途中で退学した人間もそこに含まれるわけだから、犠牲者同士に接点がなかったことも納得できる。


「犯人はどこかで犠牲者の個人情報を入手している。だからこそ典型的な秩序型として犯行を実行することができた――。そして、この塾に属していれば、犠牲者の個人情報を手に入れることは不可能ではない――ということか」


 倉科がぽつりと呟き落とすと、縁と尾崎が同時に頷いた。


「プロファイリングによると犯人は学生の可能性が高いっす。この塾は小学生から高校生までの生徒が通っているみたいっすから、もしかすると犯人はここの生徒なのかもしれないっす」


 尾崎の言葉を聞いた縁が「あっ、そうか――」と、これまた何かに気付いたかのように声を上げる。なんだか倉科一人だけが置いてきぼりにされているような感覚だった。


「犯人は遅くとも終電で家に帰っている……。これ、犯人が学生にしては、帰宅時間が遅い時間帯になるのではないかと思っていたんですが、これですっきりしました。犯人が塾に通っているのだとしたら、帰りが遅くなる日があっても家族に怪しまれませんから」


 この縁の洞察力というか、事件を読み解く鋭さは何なのであろうか。キャリア出身ということもあり、やはり頭の回転が早いのであろうか。


「――そうっすね。その日のうちに終電で帰っているにしても、学生としてはかなり遅い時間になるっす。でも、塾に通っているのであれば、帰りが遅い日があっても不自然じゃねぇっす。もしかすると、犯人は塾のある日を狙って犯行に及んでいるのかもっす」


 今時の学生が、果たして何時に帰宅するのが健全なのかは知らない。ただ、倉科の時代はそこまで遅い時間に――終電で帰るような時間帯になることはなかった。きっと今の時代だって、特別な事情がなければ、そこまで遅くなることはないだろう。


「場合によっては、家族には塾に行っていることにして、実際のところは塾を休み、犯行に及んでいるのかもしれませんね」


 特別捜査本部は、尾崎と縁の進言によって立ち上げられたもの。言わば二人の自己満足のようなものだ。二人を0.5係へと巻き込んでしまった手前、倉科も無下にすることができずに活動を認めたのであるが、こうも簡単に進展を見せるとは思ってもいなかった。尾崎の機動力のたまものであるが、こんな展開になるとは予測だにしていなかった倉科は、内心で少しばかり焦っていた。ニュアンスは異なるが嬉しい悲鳴というやつだ。


 あくまでも捜査の舵をとっているのは捜査本部であって、非公式の特別捜査本部ではない。もちろん、特別捜査本部に捜査の権限なんてものはないし、警察としての影響力もない。つまり、捜査本部を差し置いて事件の核心に迫るような大それたことは、絶対にしてはならないのだ。それをやってしまうと捜査の混乱を招きかねない。事件が進展することは結構なことであるが、それは捜査本部主導でなければならないのである。


「警部、この葛城進学塾を徹底的に調べれば、殺人蜂が絞り込めるかも知れねぇっす。明日にでもこの塾に――」


「駄目だ。さっきも言っただろ? ここは非公式なんだ。捜査の権限も認められていなければ、捜査本部の指揮系統にも入っていない。もっと簡単に言ってしまえば、警察として動くこと自体が認められていないんだ。むろん、塾に向かって捜査をするなんてことはできない。そもそも令状すら発行できないからな」


 ノリに乗っている尾崎を咎めるがごとく、倉科は少しばかり口調を固くして首を横に振った。ここまで調べ上げたのは大したものであるが、捜査権限がない以上、勝手に塾に向かって捜査を行うことはできない。尾崎と縁には申し訳ないが、倉科の立場としても許可できるものではなかった。


 やれることはたかが知れていると、二人を野放しにしておきながら、予想以上の成果が上がったら上がったで、それ以上の追求をさせない。ある意味、二人の自己満足的な部分が満たされれば――と許可した特別捜査本部ではあるが、これでは生殺しだ。保身に走るわけではないが、警察というものはスタンドプレーが許されるものではない。それこそ、捜査本部にさえ組み込まれていない人間が、勝手に捜査を進展させてしまうことなどあってはならないのである。なんだかんだで組織であり、面倒な部分が多いのだ。


「この案件は俺が捜査本部に上げておく。それで構わんな?」


 自分でも強引で身勝手だと思う。まるで手柄を横取りするような気がして嫌だった。しかし、こうするのがベストなことも間違いではなかった。分かりきっていたことであるが、尾崎は面白くなさそうに、ふくれっ面を見せる。縁も倉科の強引さに反発心を抱いているような表情だ。


「いいな?」


 それでも、多少の凄みを利かせて念を押すと、尾崎と縁は顔を見合わせて渋々と頷いた。その内心では、きっと倉科に対する不満感で満ちているのだろうが。


「山本、お前さんはこの一週間で何か掴めたのか?」


 話を切り替えようと、今度は縁へと話を振るが、彼女は尾崎から手渡されたパンフレットを閉じると「いえ、特に掴めたものはありません」と、どこか冷たい様子で呟いた。尾崎が掴んできた情報を、捜査本部として横取りをした後だ。何かしらの情報を掴んでいても、それを話す気にはなれないだろう。


「そうか――」


 きっかけを作ったのは倉科であるが、重苦しい空気が辺りに漂った。パンフレットを鞄に仕舞う縁と、相変わらず面白くなさそうな顔をしている尾崎――。視線が壁掛け時計へと行き、会議の終わりを倉科が告げるのは自然の流れだったのかもしれない。


「それでは、今日の会議はここまで。引き続き捜査を進めても構わないが、事前に俺に相談することを忘れんようにな」


 倉科はそう言い置くと、何よりも場の空気に耐え切れずに小会議室を後にした。尾崎と縁の視線が追いかけてきているような気がして、何だか引け目を感じてしまった。改めて喫煙所に向かい、ひしゃげてしまった煙草をくわえると、久方ぶりの煙をくゆらせる。


 まだまだ実験段階にすぎぬ0.5係。これがいずれ警察の中で市民権を獲得できるのであろうか――。ふわりと宙を舞った煙を目で追いかけながら、倉科は深い溜め息を漏らしたのであった。

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