「とにかく、どうやら事件は収束に向かってくれるようだ。俺がここに到着した時点で、もうクライマックスだったってことか」


 せっかく助けに来てくれた倉科ではあるが、その出番もほとんどなく、事件は解決しようとしている。その背負った大きなリュックサックには、きっと食料やら水やらが詰まっているのだろうに。倉科のことだから、万全の準備をしていたに違いない。


「こういう時、やはり現場は保存しておくべきなのか? 一応、事件に関しては俺達も素人なわけだし」


 ぴくりとも動かない流羽の姿を一瞥すると、なんだか少し寂し気な表情を見せる楠木。今となっては、この食堂で流羽と楠木が衝突したことさえ懐かしく思えてしまう。楠木も複雑な想いなのであろう。


「そうっすね――現場保存は鉄則っす。自分達には捜査権がないっすから、介入するとすれば普通の捜査一課になるっす。ただ、ここは機密の施設っすから、果たして捜査はどうなることやら。まぁ、現場保存をしておいて間違いはないっす」


 解放軍によるアンダープリズン占拠事件は、解放軍の集団自決により終わりを迎えようとしていた。しかし、そんな折のことだった。足音らしきものが、かすかに廊下のほうから響いたような気がした。


 どうやら縁の気のせいではないらしい。その場にいた全員が身構える。解放軍のほとんどは、この食堂にて命を絶っているはず。けれども、全てが全てというわけではない。例えば、守衛室の前に拘束しておいたライオンや、機械室の前で武器を取り上げたまま放置したゴリラなど――戦力は削いでいるものの、まだ解放軍の残党は間違いなく存在する。もしかすると、廊下から聞こえる足音は、死に損なった解放軍のものなのかもしれない。そこまで脅威となるものではないだろうが、暗闇の中に響く足音は不気味である。自然と一点に固まり、近付いてくる足音に備えた。


 楠木が食堂の出入口に向かってライフルを構える。尾崎が固唾を飲み、倉科は廊下のほうへと神妙な面持ちを向ける。縁は尾崎達の背中越しに、出入口を見つめていた。坂田はしゃがみ込んで流羽の顔を興味深そうに覗き込む。足音のことなど、警戒するどころか、一切の興味なしである。彼の感覚は、どれだけ縁達とズレているのだろうか。


 足音は徐々に――そして確実に近付いてきている。この暗闇の中、唯一明かりらしい明かりが灯るここを目指すかのごとく。ほんのりと辺りを照らす暖色系の明かり――そこに、ふっと人影が映り込んだ。楠木が反射的に叫ぶ。


「動くなっ!」


 楠木から銃口を向けられると、その人影はすぐさま両手を挙げた。抵抗するつもりはないということだろうか。


「――中嶋。無事だったのか」


 楠木が驚いたような声を上げる。ふらりと姿を現した影の正体――それは楠木とはぐれてしまい、現状では行方が分かっていなかった中嶋であった。尾崎が大きく安堵の溜め息らしきものを漏らす。


「楠木さんも無事だったみたいでなにより――。ということで、それ……降ろして貰えませんか?」


 中嶋に言われて銃口を向けたままだったことに気付いたのであろう。楠木が銃口を降ろした。蝋燭の明かりでほんのりと照らされた中嶋の顔。それはすっかりと疲れ切っているように見える。


「今までどこに行ってた?」


 その言葉に、ようやく倉科の存在に気付いたようだった中嶋は、少しだけ笑みを浮かべて「さすがは倉科さん。助けに来てくれたんですねぇ」と漏らす。倉科が無言で頷くと、中嶋は宙に視線を投げた。


「楠木さんと一緒にいて、恐らく解放軍に襲われたであろうところまでは覚えているんですがねぇ。気が付いたら守衛室の辺りで気を失っていたみたいで――。明かりもないし、どうしたものかと思っていたら、銃声みたいなのが聞こえて、それを頼りにして、ここにたどり着いた次第でして」


 尾崎の言葉に対して面目なさそうな表情を見せ、そこで中嶋は周囲を見回した。今度は中嶋が質問する番だった。


「それにしても、この有様は?」


 中嶋の問いに楠木が事情を説明する。中嶋は楠木の話が終わるまで、何度も相槌を打っていた。楠木の話を聞き終えると、改めて辺りを見回し、流羽の遺体の前でしゃがみ込む。


「まさか本庄さんがレジスタンスリーダーだったなんて――。彼女がこんなことをするなんて、信じられない」


 そう呟いた中嶋は、ゆるく首を横に振ると、両手を合わせて黙祷を捧げる。それを終えると立ち上がり、小さく溜め息を漏らした。それを見ていた楠木が口を開く。


「多くの犠牲を出してしまったのは事実だし、後味の悪い終わり方ではあるが――これで事件は解決だな。これ以上の贅沢は言うまい」


 尾崎が頷き、それにならうようにして倉科と中嶋が頷いた。解放軍によるアンダープリズン占拠事件。ゆっくりと幕が降ろされ、終幕を迎えようとしていた。


 これまで漂っていた緊張感が、明らかに緩んだ気がした。結果として大勢の犠牲者を出してしまった凄惨なる事件。そんな中で、事件の着地点が見えたことにより、自然と緊張が緩んでしまうのは仕方がないのかもしれない。しかし、この場で気を緩めることができるのは、偽りの真相を信じてしまった者だけだ。事実、縁は気を緩めるどころか、これまで以上の緊張状態に陥っていた。もはや――自分だけでは抱えきれない。


「――違う。そうじゃない」


 気が付けば勝手に口が動いていた。この事実を口にすること自体、どこかで迷っていたのかもしれなかった。縁の中だけで留めておいて許されるのであれば、きっと縁の中で留めておいたのだろう。しかし、我慢するにも限界というものがある。真実は真実として、やはり白日の下に晒さねばならない。


「ひゃっはっはっはっはっ! すっかり気を抜いてるお馬鹿さん達に聞きたいんだがよぉ。まさか本当に、この女がレジスタンスリーダーだなんて――思ってねぇよなぁ?」


 そう言いいつつ、流羽の髪の毛を鷲掴みにした坂田に対して、縁は「やめてあげてっ!」と、ややヒステリック気味に叫んでしまった。どうして、そんなに死者を冒涜するような真似ができるのだろう。坂田にとってのそれは、すでに人間の抜け殻なのかもしれないが、縁にとっては違う。特に数少ない女性同士、それなりの付き合いをしていた大切な友人の一人だったのだ。例え亡骸であったとしても――レジスタンスリーダーの濡れ衣を着せられた哀れな友人を、そんな風にぞんざいに扱って欲しくなかった。


「縁。それ、どういう意味っすか?」


 尾崎達の中では、きっと流羽がレジスタンスリーダーだということで決着しつつあったのだろう。しかしながら、尾崎達がたどり着いたのは、予め用意されていた偽りの真相だ。そう、真犯人――本当のレジスタンスリーダーが罪を逃れるために用意したものなのである。


「言葉の通りです。流羽さんはレジスタンスリーダーなんかじゃない。根拠だってあります。彼女が仮にレジスタンスリーダーだったとしたら、あり得ない点があるんです」


 流羽はスケープゴートだ。芦ヶ崎と男女の間柄にあったとか、その芦ヶ崎が危険な思想を持っていたとか――実のところ、その辺りの背景はどうでもいい。なぜなら、縁がたどり着いた真相の先に、見たこともない芦ヶ崎という男の存在はないのだから。レジスタンスリーダーは、縁にとって実に身近な存在なのだ。芦ヶ崎などという、どこの馬の骨かも分からぬ男ではない。

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