流れから察するに、ようやく本題――事件についての話があるのだろうが、果たしてどこで行うつもりなのだろうか。極端なことを言ってしまえば、あの警察寮で始めて貰っても構わなかったわけで、わざわざ外に出る必要はないように思えるのだが。


「ここからほんの少し歩くぞ」


 車を降りると、安野の後に続いて静かなアーケード街らしきものを歩く。アーケードであきないをやっているほとんどの店は、すでに閉店時間をすぎたらしく、そこはシャッター街と化していた。そんなシャッター街の一角に、煌々こうこうと明かりの灯る看板が現れた。どうやら飲食店――いわゆる夜のお店というやつだろうが、まさかこんなところで事件の話をするわけではあるまい。そんな縁の期待を見事に裏切って、安野はその看板の前で立ち止まった。


「――ここだ」


 縁達がこの土地へとやってきたのは、この界隈で起きている猟奇殺人事件を解決に導くためだ。決して遊びにきたわけではない。少なくとも、お酒を飲んでいる場合ではないだろう。それなのに、連れてこられた場所がスナックとは、どういうことなのだろうか。安野はここで事件の話をするつもりなのか。


「あの、ここってスナックですよね? こんなところで事件の話をするのはまずいんじゃ――」


 思わず考えが口を突いて出てしまった。どうして安野が、こんなところを選んだのか分からない。なんというか、事件の話をする場所として、もっとも剥離した場所のようにも思えた。


「いや、実は他にも何人か警察関係者に声をかけてあってな。集まるには、この辺りが都合いいんだ。それに、ここのママはちょっと特殊でね。多少、物騒な話を店の中でしても問題ないんだよ」


 いや、大問題であろうに。そもそも、0.5係でなくとも刑事には守秘義務がある。事件などの情報は身内だけで共有し、公の場で漏洩させるようなことがあってはならない。わざわざ、人が集まるようなスナックで事件の話をする必要は皆無だ。


「スナック、サンテラス――っすか。なんか、夜の店っぽくねぇ名前っす」


 看板を見つめながら尾崎が呟くが、問題視する部分はそこではない。人の集まる公の場で事件の話をすることが問題なのだ。しかし、そんなことを考える縁をよそに、安野は慣れた感じで店の扉を開ける。扉に備え付けられたベルが、からんからんと音を立てた。扉から中を覗き込み、常連ぶった感じで声をかける。


「ここに顔を出すって話はしたが、貸し切りにしてくれなんて一言も頼んでないぞ」


 公の場で事件の話なんて――。そんなことを考えた縁だったが、安野に続いて店に入った際、妙に納得がいった。お客さんがいないのだ。時間帯的な問題なのか、それとも今日が平日のど真ん中であるためか。もしくは、失礼な話であるが、流行っていないお店なのか。公の場で事件の話をするわけにはいかないが、お客がいないのであれば、公もへったくれもない。もっとも、それでも店にはスタッフがいるわけであり、やはり事件の話をするには相応しくないことに間違いはないのだが。


「あのね――たまには閑古鳥が鳴くことだってあるのよ」


 安野の皮肉たっぷりの一言にも慣れているのか、カウンター越しにグラスを拭いていた黒いドレスの女性が、軽く安野をあしらった。


「たまには客が入ることもある――の間違いじゃないのか?」


 それでもめげずに皮肉っぽい言葉を吐く安野。その様子から、随分とカウンター越しの女性とは親しいようだ。


 肩より長い黒髪で、耳元で段がつけられている。前髪は綺麗に切り揃えられ、縁の想像する水商売の女性とは少し印象が異なった。俗にいう姫カットというやつか。筋の通った鼻立ちに、ばっちりとメイクをして大きく見せている目。お世辞抜きにも美人の部類に入ると思うのであるが、どうしてこうも客が入っていないのか。なんとなくだが、地理的に問題があるのではないか――そんなお節介なことまで考えてしまった。


 安野がカウンターの角に座り、促された尾崎が安野の隣に座る。縁は尾崎からひとつ席を空けて座った。別に尾崎のことが嫌いというわけではなく、無意識に異性と席を空けてしまうのは自然なことだ。尾崎も全く気にしていないらしい。カウンターは狭く、数えてみると五席しかない。


「今日はママ一人か?」


 黒いドレスの女性から手渡されたおしぼりで手を拭きながら、安野は店内を見渡す。どうやら彼女が、このスナックのママらしい。言われてみれば、そんな感じの貫禄があるように思えた。つられて店内を眺めてはみるが、スタッフの姿はおろか、他のお客の姿もない。有線放送の音が虚しく響いているだけだ。


「ミサトが買い出しに出てるわ。それにしても、安野さんが女の子を連れてくるなんて珍しいじゃない。どこかのお店の子?」


 一応、この有様ではあるが、店は二人で回しているらしい。仕返しとばかりに皮肉たっぷりに言われた安野は、鼻で笑ってそれをあしらった。


「そんなわけないだろう。この二人は、まだ若いけど刑事なんだ。ちょいと他の署からレンタルしてるだけなんだよ」


 どこかのお店の子――とは、同じように夜の店の人間ということなのだろうか。自分としては地味な感じのつもりなのであるが、第三者からすればそのように見えてしまうのか。色恋沙汰は苦手であるし、そもそも恋人というものも長いこといない縁からすれば、なんだかこそばゆい勘違いだ。


「へぇ、刑事さんなの――。これは失礼。あ、もしかしてまた他力本願で事件を解決しようとしてるんじゃないでしょうね?」


 ママは水割りのセットらしきものを用意しながら、なぜだか悪戯そうな笑みを浮かべた。安野はバツの悪そうな顔をすると、わざとらしく咳き込む。


「他力本願? また?」


 そこで容赦なく突っ込むのは尾崎である。確かに、今回は猟奇事件とのことで0.5係が派遣されたわけであるが、ママの言い回しでは今回が初めてではないといった感じである。


「えぇ、この人ね――自分で解決できそうにもない案件だと思ったら、真っ先に私に……」


「ふ、二人は何を飲むんだ? この店には俺がボトルをキープしてるから、水割りなら飲み放題だぞ!」


 ママの言葉にかぶせるようにして、慌てた様子の安野が問うてくる。どうしてそんなに慌てているのだろうか。それを見たママが「まぁ、今回は本人の名誉を守ってあげますか」と、仕方ないといった具合に呟いた。安野がほっとしたような表情を浮かべたように見えた。この二人の間柄は本当に何なのであろうか。詮索するつもりはないが、ただのスナックのママと常連客という間柄ではないような気がする。


「自分――ロックっす! 男は黙ってロックっす!」


 これから事件の話をするというのに、アルコールを入れるなんてとんでもない。尾崎はなにを考えているのだろうか。すかさずお茶を頼もうとした縁に、安野の言葉が見越したかのように飛んでくる。


「少しでも構わんからアルコールを入れておいたほうがいい。飲めないなら無理強いはしないが、これから話をする事件は素面しらふじゃまともに聞けたもんじゃないだろうからな」


 その表情には、若い女性に無理矢理酒を飲ませようなんて、いやらしい中年の魂胆はなく、むしろ縁のことを気遣うような雰囲気があった。改めて思うのであるが、今回の事件はどれだけ酷いものなのだろうか。


 安野に促されて縁は仕方なく水割りを頼む。正直、どうせ飲むのであればカクテルとか、もう少し洒落たものが良かったのであるが、そんなことを言い出せる空気ではなかった。


 三人の前に飲み物が出され、お菓子を詰め合わせたチャームなる酒のつまみが出される。それらを出し終えると、ママはご丁寧に、尾崎と縁に名刺を手渡してくれた。

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