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 やはり、スマートフォンもろもろが没収された理由として、後の明かりを断つためだったとは考えにくいようだ。坂田が言った通り、解放軍には別の目的があった。そして、それは縁が気付いた答えと同じだと推測される。このタイミングで、まだ他の可能性に目を向けようとしてしまうのは、自分の中で湧き上がった疑念を認めたくないからなのかもしれない。もし、この事件が縁の思った通りの真相だったとするならば、あまりにも酷である。


「それにしても、坂田はどこに行ったっすか?」


 それは縁のほうが知りたいくらいだ。ぼんやりとしたライターの明かりは、ほんの縁と尾崎の周辺を照らすだけであり、そこまで広範囲を照らしているわけではない。足下くらいならば照らせるが、目の前は相変わらず真っ暗だ。


「電気室のほうに向かってみましょう。何か――分かるかもしれません」


 先ほど、坂田の気配が消えると同時に、男の低い唸り声が聞こえた。現在の状況から考えると、あれは坂田が解放軍を襲った際のものではないだろうかと思われる。暗闇に紛れて闇討ちするなど、いかにも坂田らしいではないか。想像でしかないが、解放軍が逆に坂田を襲撃したとは考えにくい。襲撃するのであれば、手に持っている立派な銃器を使うであろうし。


 明かりを持つ尾崎に続きつつ、そんなことを考える縁。勝手な行動はやめて欲しいし、ましてや殺しだけは絶対に勘弁して欲しいものだ。坂田本人は気にも留めないのかもしれないが、例え犯罪者であったとしても、命は尊重されるべきだ。少なくとも、日本ではそのような思想があるわけだし、日本の警察である縁や尾崎は、それに従わねばならない。これだけの緊急時なのだから、きっと誰も責めたりはしないのだろうが、しかし殺しだけは駄目だ。九十九殺しを独房から出してしまった以上、これだけは遵守じゅんしゅせねば。いいや、坂田に遵守させることが縁達の責任でもある。


 前を歩いていた尾崎が立ち止まる。どうしたのだ――その言葉が喉まで出たが、ライターの明かりが照らす先を見て、それを飲み込んだ。この光景は予想できていただけあって、妙に冷静な自分がいた。


「――多分、解放軍っす」


 尾崎の足下には、見たこともない顔の男が横たわっていた。しかし、どういうわけだかトレードマークとも言えるラバーマスクが剥ぎ取られてしまっている。それ以外の格好から察するに解放軍であることに間違いはないと思うのであるが。


 ピクリとも動かない様子の男に、なんだか嫌な予感を抱いてしまう。まさか、縁の恐れていたことが真っ先に起きてしまったのか――。心臓がひとつドクリと脈打ち、指先がじんわりと痺れた。


「気絶してるだけみたいっすね。息はあるみたいっす」


 男の様子を調べた尾崎の言葉を聞き、縁は大きく胸をなでおろした。どうやら九十九殺しは、とりあえず九十九殺しのままのようだ。間違いなく坂田の仕業なのだろうが、殺しまではしていない。一応、こちらの言うことを守っているのであろうか。


「ならば、武器を取り上げてしまいましょう。そうすれば、この男は無力化できます」


 縁が言うと、尾崎が男のかたわらに転がっていたライフルへと視線を移す。恐らく楠木がライオンから奪ったものと同じタイプのライフルなのであろう。これさえ奪ってしまえば、また一人、解放軍の無力化に成功したことになる。地道であるし、焼け石に水であるようにも思えるが、少しだけ事件が進展したようにも思えるから不思議である。


「じゃあ、早速――。使うことはないと思うっすけど、こいつは預かっておくっす」


 いまだに気を失っている男に向かって言うと、片手で器用にライフルを拾い上げる尾崎。安全装置がかけられているかも分からないから不用心といえば不用心だ。そんな尾崎のもう一方の手はライターで塞がっており、ライフルを拾い上げる際に手が滑ったか何かしたかで、ライターの火がふっと消えてしまう。尾崎の舌打ちが聞こえた。


 ライターの火が消えていたのは、ほんの一瞬のことだ。それこそ、尾崎がすぐに火を点け直したのだから、長くとも数秒程度だったと思われる。しかし、ライターの火が消える前と、その後では景色が異なっていた。思わず叫び声を上げてしまいそうになるのを堪え――いや、実際には短い叫び声を上げてしまったのかもしれないが、とにもかくにもレッグホルスターから拳銃を抜き出す。


 ライターの明かりにぼんやりと照らされた尾崎の顔。その背後にゴリラの顔があったのだ。縁達の足下で解放軍らしき男が気を失っているのに、ゴリラは尾崎の背後にいる。暗闇の中、ほんの一瞬でこのようなことが起きれば、誰だって混乱してしまうことだろう。心臓が口から飛び出すほど驚くという表現は、あながち大袈裟でもないのかもしれない。


「くっくっくっくっくっ――。俺だよ、俺。似合ってんだろ?」


 ゴリラが肩を震わせる。その声に安堵した反面、馬鹿みたいに驚いてしまった自分が恥ずかしくなる。――坂田だ。坂田がラバーマスクを男から剥ぎ取り、被っているのである。このような状況なのだから、変な冗談は止めて欲しいものだ。


「坂田、びっくりさせないで」


 かなり強めに言ったつもりだが、安心した際の脱力感のほうが勝ってしまい、なんだか締まりのない言い草になってしまった。


「別にそっちが勝手にビビっただけだろうが。それよりも、ほら――こいつをやる」


 ライターの明かりが照らす範囲は狭い。それゆえに、坂田の手元までは見えていなかった。だから、坂田が首根っこを掴んで桜を差し出してきた時にはぎょっとした。桜はだらりと両手をぶら下げ、こうべも垂れている。


「心配するな。死んじゃいねぇよ。人の顔を見るなり、ぶっ倒れただけだからな。ちなみに、表面上じゃなくて内部的に深い部分で電力が落とされてるみてぇだ。手探りでブレーカーらしきものを弄ってはみたが、手応えなしだ。そいつが目を覚ましたら、改めて聞いてみたほうがいい」


 坂田の言葉を聞いてホッとすると同時に、不安も湧き上がった。坂田本人は不本意であるようだが、この暗闇の中から坂田が現れたら、誰だって驚く。自分が九十九殺しと呼ばれる殺人鬼だという自覚はあるのだろうか。いや、ゴリラのラバーマクスを被っていたのなら、解放軍と勘違いした可能性だってある。どういう経緯でこうなったのかは分からないが、桜は声を上げる暇もなく、むしろ失神に近い形で気を失ったのであろう。そして、挙げ句の果てに電力は簡単に戻らないときたものだ。


 坂田に突き出された桜は、縁と尾崎の二人で受け取った。尾崎が抱えていたライフルは「俺が持っていてやる」と、坂田が受け取る。互いに桜の脇の下に手を差し込んだわけだが、しっかりと人の体温を感じることができた縁は、もう一度だけ安堵の溜め息を漏らした。


「さて、じゃあ――俺はもう少し一人で楽しむとするかぁ」


 ライターの明かりの中から、すっと坂田の姿が消える。尾崎が桜を抱えながら、坂田を追うようにライターの火を動かすが、すでに坂田の姿はどこにもなかった。尾崎から一時的に受け取っただけのはずのライフルと共に姿を消したのだ。


「坂田! 勝手な真似をしないでっ!」


 暗闇に向かって叫ぶと、遥か暗闇の向こうから坂田の笑い声だけが返ってきた。明らかにこの状況を楽しんでいるのだろうし、元より人の言う事に耳を貸すつもりはないらしい。思っていたよりも素直に従っていたと思ったのに、やはり坂田は坂田ということか。


「――縁、とりあえず一旦、合流地点に向かうっす。きっと彼らも待っているっすよ」


 もうすでに約束の時間は過ぎていた。坂田が何を考え、そして何をやらかそうとしているのかは分からないし、野放しにしておくのは不気味なのであるが、この暗闇の中を闇雲に探し回っても徒労に終わることであろう。

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