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「ほ、他にも調べておかなきゃならないことがあるっすよ! 第一の犠牲者が既婚者かどうかとか、恋人がいたかとか調べなきゃならねぇっすし、第二の犠牲者の足取りとかも調べなきゃならねぇっす!」


 尾崎が予想だにしなかった声量を出したせいか、麻田は両耳に指を突っ込んで、実に迷惑そうな視線を尾崎に向けた。何事かとカウンターの奥から顔を覗かせた店主に、縁は何でもないと手を横に振って答えた。この事件そのものが公になっていないことを、尾崎は自覚しているのであろうか。


「――そんなこと調べて何になるわけ? 第二の犠牲者の足取りを調べるってのは、何となく意味が分かるけど、第一の犠牲者が既婚者だったら何になる? 恋人がいるからって何になるの?」


 麻田の言葉に、はたと我に返った様子の尾崎は「そりゃ、分からねぇっすけど――。そのように指示されたっす」と、やや語気を弱めた。全ては坂田の指示であろうし、尾崎はそれに従っているだけだ。根幹的な部分……どうして、その情報が必要なのかという点については、詳しく教えられていないのだろう。そんな尾崎を尻目に、安野は手帳をめくりながら口を開く。


「第一の犠牲者が一人暮らしだったって話は、昨日の夜の時点で話したはずだがな――。ただまぁ、結婚を約束したフィアンセはいたみたいだ。なんでも、事件が起きる数日前にプロポーズをしたばかりだったみたいでな……婚約指輪を眺めて、涙ながらに話をする婚約者の姿には、こっちが同情したくらいだ。これだから、被害者の身辺調査ってのは好きになれん」


 どうやら、第一の犠牲者の身辺調査のほうは、滞りなく済んでいるようだ。被害者の身辺調査は捜査の基本であるし、しっかりとおさえていないほうがおかしいのであるが。


「安野警部――。その婚約者さんとやらに、直接会って話を聞くことはできないっすか?」


 坂田が何をもってして、そこに着目したのかは分からない。ただ、闇雲に尾崎へと指示を出したとも思えなかった。あの男の人間性は全く信用ならないし、事件に対しての姿勢も感心できるものではないが、意味もないことを尾崎に指示するとは思えない。きっと何かしらの意図があるはずだ。


「身元が割れているから、会おうと思えば会えないことはない。ただ、身辺調査の段階でかなり参っていたみたいだし、よほどの理由がない限りは、こちらから接触するのは控えたほうがいいと思う。幾ら事件のためと言えども、刑事も気遣いくらいはできないとな」


 例え刑事であっても――そして事件のためだとしても、いつでも自由に誰彼構わずに呼び付け、事情を訊くことができるわけではない。それはさておいたとしても、安野としては、第一の犠牲者の婚約者と接触すべきではないと考えているのだろう。


「そ、そうっすか――」


 なんだが、尾崎が集中的に叩かれているようで可哀想になってきた。尾崎はただ、坂田に出された指示に従っているだけであろうに。それにしても、どうして坂田はそんなところに着目したのであろうか。


「ちなみに、第二の犠牲者が事件に巻き込まれるまで足取りも、ある程度掴めている。知り合いの元を泊り歩いていた犠牲者は、その日の朝も普段通りに学校へと向かったらしい。その知り合いの話だと、その日の夜は遅くなると告げて出て行ったようだ――。あぁ、これは参考になるかどうかは分からないが、話を聞かせてくれた知り合いとは別に、恐らく犠牲者と最後に会ったであろう友人に話を聞いた時に貰ったものだ。犠牲者が事件に巻き込まれたであろう日は、学校帰りに友人とゲームセンターへと寄り、そして一旦お互いに家に帰ってから、夜に合流する予定だったらしい。皮肉なもんだな。最期の写真がプリクラなんて――」


 安野はそう言うと、名刺入れを取り出し、そこから小さな写真を出した。それを縁達に見えるように差し出す。それは正確には写真ではなく、かなり昔から文化として定着していたプリクラだった。今やスマートフォンで簡単に写真が撮れてしまう時代であるが、この文化はいまだに廃れてはいない。必要以上に足を細く見せたり、目を大きく見せたりと、最近のは余計な機能が多々ついているらしいが――。


 その小さな小さなプリクラを手に取り、それを凝視してみる。尾崎が隣から覗き込んできた。プリクラには犠牲者と思わしき人物と、恐らくその友人であろう人物が、かなり盛られた状態で写っている。目が大きく補正されているのが、正直なところ気持ち悪いと感じてしまうのは、女子として失格なのであろうか。


「左のほうが犠牲者だ。まさか、この時は事件に巻き込まれるとは露にも思っていなかっただろうな。まだ若いってのに――」


 プリクラに写った犠牲者とその友人は、手の甲をカメラのほうに向けて広げている。何のポーズかと思ったが、落書き機能を使って【ネイル記念】と書かれている。左右のデザインが異なる奇抜なネイルだが、どうやらお揃いのネイルを施した記念にプリクラを撮影したようだ。もっとも、このネイルを施した指は、全て悪食に食されることになってしまうのだが。


 縁がプリクラを返そうとすると、安野が「そいつはやるよ。何枚もあるからな」と突き返された。もしかすると犠牲者の友人とやらは、事件を解決して欲しい一心で、安野にプリクラを託したのかもしれない。まぁ、これが事件解決の糸口になるとは思えないけれども。


「さてさて――いよいよ手詰まりだねぇ。犯人が何をしたいのかさっぱり分からないし、まだ司法解剖の結果が出るには早いし。何にもできない……してやれないってのは歯がゆい」


 麻田が拍子抜けしたかのごとく両手を頭の後ろに組んで椅子にもたれかかる。本当に手詰まりなのだろうか――。少しずつではあるが、この事件の奇妙な点も浮き彫りになってきているし、ひょんなきっかけで、何かを掴めそうな気もするのだが。


 縁はとりあえず、安野から貰ったプリクラを自分のパスケースの中に仕舞った。その際、ミサトから貰った名刺が見えて、なんだか切なくなった。嬉々としてこれを配っていた彼女はもういない。天変地異が起きようが、地球がひっくり返ろうが戻ってはこない。


「とりあえずここを出るか――。大将、お勘定!」


 ここを出たところで行くあてなどない。ただ、尾崎が持ってきた情報が空振りのようになってしまっている今となっては、ここに居座る理由もなかった。もはや事件のことに関して検討することはなく、ただただ新しい情報が降りてくるのを待つだけの雰囲気になってしまっていた。


 絵梨子の姿が見えないから、安野は大将――絵梨子の親父さんのほうに声をかけたのであろう。しかし、それが絵梨子にも聞こえたのか、パタパタと音を立てて厨房の奥から絵梨子がやってくる。


 お勘定をしている間も、麻田から安野に対しての痛い視線が飛んでいた。このまま彼女にミサトのことを話さなくて良いのか。客観的に見ても、麻田がそう言っていることは明らかだった。


「絵梨子ちゃん、ちょっと時間いいか? あぁ、麻田達は先に外に出ててくれ」


 ようやく決心がついたのか、釣り銭を貰いながら重たそうに口を開いた安野。その様子が絵梨子にも伝わったのか「え、別に構いませんけど――」と、やや戸惑ったような返し方をする。


「さぁ、俺達はさっさと外に出るの。外に――」


 どんな風に切り出すのか気にはなったが、麻田に追いやられるようにして縁達は外に出た。暖簾をくぐる間際に「ごちそうさまでした」と言うと、ハリのある声で「ありがとうございましたー」と、絵梨子の声が飛んできた。彼女のようにサバサバとしたタイプが、知り合いの訃報を聞いた時、果たしてどんな反応をするのであろうか。考えたくもないし、想像したくもない。


 ――どれくらい待っただろうか。いきなり店の引き戸が音を立てると、安野ではなく大将が出てくる。そして、やや乱暴に暖簾を降ろしてしまった。


「今日は店仕舞いだ。あれじゃ使い物にならないからな。まったく、いい迷惑だよ」


 縁達に向けられた大将の声には、明らかに怒りのニュアンスが含まれていた。開け放たれたままの引き戸から中が見える。絵梨子は床にへたり込んだままうつむき、そして肩を震わせているように見えた。とうとう、安野がミサトの訃報を伝えたのであろう。

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