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 麻田はそう言いながら、さらさらとメモ帳にペンを走らせた。そして、それを安野と縁に見えるようにして掲げる。そこには言葉や文字ではなく、記号が並んでいた。いいや、記号の羅列ではなく、数式だった。


「冒頭の【えっくす】ってのは、アルファベットの【X】で間違いないと思う。その後に続く【じじょう】ってのは【自乗】のことだと思われる。つまりは【Xの2乗】ってやつだね。その後に続く【ぷらす】は文字通り【+】で、その後の【えっくすわい】は【XY】のことを指す。その後に【+】がきて、最後は【Yの2乗】がくる。俺、あんまり数学得意じゃないけどさ、どうやら犯人が口にしているのは数式みたいなんだよね」


 麻田がペンを走らせたメモ帳にも【Xの2乗+XY+Yの2乗】という数式が書かれている。犯人が口にしたであろう呪文のようなもの。その正体は数式だったということか。


「――それで、この数式は何を意味しているんだ?」


 安野が問うたが、麻田は首を緩く横に振り「だから数学は苦手だって言ってるじゃん。安野さんこそ、何かピンとこないの?」と、逆に聞き返す。しかしながら「数学を習ったのなんて何十年も前だからな」と、安野が視線を縁に向けてくる。それにつられて麻田の視線も縁のほうへ――。そんなに期待を込めた視線を向けられても困るが、幸いなことに数式に見覚えがあった。たまたまなのであろうが、頭の片隅に知識としてあったのだ。


「これって、対称式じゃないですか?」


 安野と麻田が顔を見合わせ、ほぼ同時に「――対称式?」との疑問を投げかけてくる。それに対して、やや自信はないものの、縁は答えてやる。恐らく、対称式で間違いないと思うのだが――。


「対称式ってのは、変数を入れ替えても成立する式のことです。もっと簡単に言えばXとYの位置を入れ替えても、答えが同じになる式――と説明するのが分かりやすいと思います」


 二人が怪訝けげんそうな表情を見せるから、できるだけ分かりやすく言ったつもりなのだが、果たして伝わっただろうか。反応を見る限り、伝わったか微妙なところなのだが。


「それで、この対称式とやらを犯人が口ずさんでいた理由は?」


 そんなことまで聞かれても困る。数式が対称式であることは分かっても、それを犯人が口ずさんでいた理由までは分からない。無責任ではあるが、犯人に聞いてくれと言いたいところだ。もちろん、本音をそのままぶちまけるわけにもいかず「それは分かりませんけど――」でごまかす縁。


「まぁ、とりあえず頭がおかしい奴ってことは間違いないねぇ。そもそも、この数式そのものに意味があるかさえ定かじゃないし、とりあえず置いといたほうがいいかも。後々で何かしらの意味が出てくるかもしれないし――」


 ミサトが残したボイスメモ。ただ、これだけでは今のところ決定的な材料とはならなそうだ。対称式を口ずさんでいること、そして妙に吃った喋り方をしていることくらいしか分からない。


 麻田がそう言って、ボイスメモの話を終わらせてしまったのは、他にも証拠となる材料があったからであろう。ボイスメモにこだわるのもいいが、多角的に事件を見つめる材料があるのならば、それを先に検証してしまったほうが良い。ただ一点を見つめるだけではなく、方々から事件を眺めてみるのが鉄則である。


「じゃあ、これ――。例のごとく残されていたレシピね。今回も縮小コピーしてあるんだけど、なんせ事件が起きた直後に、他の人間の目を盗んでコピーしたもんだから、ちょっと雑な感じになったけど、それは愛嬌ってことで」


 続いて麻田が取り出したのは、例のごとく現場に残されていたレシピの縮小コピーだった。本人が雑だという通り、やや斜めに曲がった状態でコピーされている。ただ、文字列は見切れていないし、資料としては充分な役割を果たしていた。


 料理の名前は【耳たぶと軟骨のバターソテー】であり、写真からは思わず目を背けてしまった。別に料理の写真が残酷なものだからというわけではない。その材料がミサトの体の一部であると考えたくなかったからだ。とりあえず、続いて材料へと目を移す。


 【バター……適量】【小麦粉……大さじ1】【オリーブオイル……適量】――いつものごとく材料と分量が書かれていたのだが、そこに妙な違和感を覚えた。それがなんなのかは分からないが、これまでのレシピとは異なる部分があるような気がする。


 ――【コリコリとした軟骨と、それに相反するかのように柔らかい耳たぶ】。


 ――【口の中でそれらがハーモニーを奏でる】。


 ――【お酒のおつまみにも最適、お洒落な一品】。


 続けてコメントを読んでみるが、なんだろうか――麻田がコピーを失敗してしまったせいか、今回のレシピは妙に雑であるように思える。これまで見たレシピは、どこかに整合性が取れていたというか、もっとしっかりと書かれていたような気がするのだが。そこで縁はあることに気付いた。


「麻田さん、さっきのボイスメモ。もう一度再生して貰っていいですか?」


 ボイスメモで犯人らしき人物が口にしていた言葉。それと決定的に異なっている部分が、このレシピの中にはある。


「あぁ、別に構わないけど」


 麻田は膝の上に置いたままだったスマートフォンに手を伸ばし、再び例の気味が悪いボイスメモを再生する。車内に響いた、男性なのか女性なのかも分からぬ声に鳥肌を立てながらも、縁はそれに聞き入った。


「――そこです」


 犯人があることを口にしたタイミングで、縁は思わず声を上げた。なかば反射的にボイスメモを止める麻田。縁はレシピのコピーへと視線を落とし「やっぱり……」と呟き落とす。


「何が、やっぱり……なんだ? 何かおかしな点でもあるのか?」


 全く違う意味で聞き役に徹している安野の言葉に、縁はレシピを手にすると、二人にそれが見えるように指をさした。


「違うんですよ。犯人が口にした料理の名前と、実際にレシピで採用されている名前が――本当に微妙な違いではあるのですが」


 ――で、それが何を意味するのか。そんな言葉が返ってくることを察して、縁はやや尻込みした。正直なところ、この違いが何を意味しているのかは、縁も分からない。しかし、どうにも引っかかったのだ。刑事がこんな言葉を使ってはいけないかもしれないが、直感というやつだった。根拠もへったくれもない勘とも言う。


「犯人はボイスメモの中で料理の名前を【耳たぶと耳軟骨のバターソテー】と名付けています。でも、ほら――実際のレシピには【耳たぶと軟骨のバターソテー】って書かれているんです。耳軟骨が、ただの軟骨になっています」


 縁の指摘に、安野がレシピへと目を近づける。そして麻田と顔を見合わせると口を開こうとした。それを封じるようにして「あ、どんな意味があるのかは分かりませんし、単に犯人が間違えただけなのかもしれませんが」と、予防線を張ってやった。二人は同時に溜め息を漏らす。そこに、ややがっかりしたようなニュアンスを含めるのはやめて欲しい。


「まぁ、間違ったって可能性もあるねぇ。人間の記憶なんてもんは曖昧で、自分の言ったことすら正確に覚えているわけじゃないし」


 確かに麻田の言う通り、そして縁自身が言ったように、単に犯人が間違えただけなのかもしれない。しかし、どうもそれだけではないのだ。今回のレシピには漠然とした違和感がある。


「とりあえず、今のところ分かってるのはこれで全部ね。ボイスメモとレシピ――正確な死因やらは司法解剖が終わってからになるだろうし、もうちょっと時間がかかるわけ」

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