「第二の犠牲者が犯人のターゲットにされたのは、両手の指に異なるデザインのネイルアートを施していたからだと思われます。左右が非対称になっているからこそ、犯人は犠牲者の指を全て切断する必要があったんです」


「ちょっと待てよ――。となると、ミサトちゃんの両耳が切断されていた理由ってのは――」


 口を挟んだ安野の言葉に頷き、そして縁は静かに言い放つ。その言葉には犯人に対する怒りと、軽蔑をするような冷たさが含まれていた。


「えぇ、ミサトさんの左耳のみに、沢山のピアス穴が開けられ、また彼女も左耳にばかり偏ってピアスをつけていました。それが犯人からすれば許せなかったんですよ」


 犯人が許せなかった事柄は、普通なら全く気にならない程度の非整合性だった。第一の犠牲者は婚約指輪をつけていたから、第二の犠牲者は左右の爪に異なるデザインのネイルをしていたから、そして第三の犠牲者――ミサトに限っては、左耳に偏ってピアスをつけていたから。たったこれだけ。尾崎からすれば、本当にどうしようもない理由で三人もの犠牲が出てしまったのだ。


「もしかすると、犯人は犠牲者の左右対称ではない部分を食べて消化することにより、非対称性をなかったことにしようとしたんじゃないでしょうか? 自分の中で浄化する意味合いさえあったのかもしれない。まぁ、これは本人にしか分からないことでしょうし、無理に分かりたいとも思いませんけど」


 なんとも恐ろしく、そしてなんとも理解しがたい動機なのであろうか。左右対称へのこだわりの強さがゆえに、名前に対称性を持つ人間が、左右対称ではないことを嫌った。ほんのささいな非対称性に悪意すら抱き、それを食して消化することにより、自らの欲望を満たすなど悪魔の所業だ。縁の推測に過ぎないのかもしれないが、考えただけでもゾッとする。縁の言葉は明らかに先生へと向けられ、それに全く動じない様子を見てか、さらに言葉が投げかけられる。


「先生、覚えていらっしゃいますか? サンテラスにやって来た時、わざわざ麻田さんと席を代わるようにお願いしていましたよね? あの時、空いていた席は一番端の席――そして麻田さんはカウンターの真ん中に座っていました。あれも対称性が崩れるのを嫌ったから、麻田さんに席を代わるようにお願いしたのではないですか? 自分がカウンターの真ん中に座れば、左右に座る人間の人数が左右対称になりますから」


 縁に言われて、そんなやり取りがあったことを思い出す。あのささいな言動にさえそんな意味があったのか――。感心する尾崎とは違い、先生は縁を小馬鹿にするかのように鼻で笑った。


「まさか、これこそが左右対称に異常なこだわりを持っていた証拠です――なんて言いださないわよね? 単純に、貴方達に意見を求められた際に対応しやすくなるから、真ん中に座りたかっただけ。あの時は事件の話をする手筈になっていたからね。この程度で犯人にされたら堪ったものじゃない」


 縁の言葉を巧みにかわす先生。縁の言い分ももっともであるが、しかし先生の言い分にも一理はある。この程度で、左右対称に対する異常性を認めさせることは不可能だ。それくらいは尾崎にだって分かる。そもそも、その異常性を認めさせること自体が難しいだろう。心の内を知ることができるのは、その本人だけなのだから。


「先生、違います。犯人ではなく悪食です。あ・く・じ・き。先生もおっしゃってみて下さい。はい、せーの」


 だからなんなのか――。妙に悪食の部分を強調して吐き出した縁。犯人だろうが悪食だろうが変わりはないというのに、何を考えているのだろうか。それを先生に言わせたところで、どうにもならないだろうに。


「な、なんでそんなことを――」


 縁の意図も分からないし、先生がやや戸惑ったような表情を見せたのも仕方のないことであろう。こんなことをしたって、先生が悪食であると証明できるわけがない――。そんなことを考える尾崎をよそに、縁はなぜだか勝ち誇ったかのような表情を浮かべた。


「やっぱり、発音できないんですね? 悪食という言葉自体を」


 縁の一言に疑問符が浮かんだのは、きっと尾崎だけではなかったのであろう。その場の空気が凍りつき、しかし縁はそれをものともせずに続ける。


「別に【いらっしゃいませ】でも【おやすみなさい】でも【ありがとう】でも構いませんよ。どれかひとつでもいいから、今すぐこの場でおっしゃってみて下さいよ」


 縁の様子を見ていた麻田が「なるほどねぇ……。ボイスメモか」と呟き、縁は待っていましたと言わんばかりにスマートフォンを取り出した。


「そうです。ボイスメモなんです」


 何が何だか、さっぱり分からない。第三の犠牲者が残したボイスメモと、縁が先生に妙な要求をしたことに、どんな関連性があるのだろうか。縁はスマートフォンを操作するとボイスメモを再生する。


『え、え、え、えっくすぅ、じじょう。ぷらす、えっくすわい。ぷらす、わい、じじょう』


 金切り声にも似た不気味な声が辺りに響く。縁が麻田のスマートフォンから録音する際に初めて聞いた尾崎であるが、やはり何度聞いても気味が悪い。心の奥底から寒気が湧き上がるような声だ。


『い、い、い、い、い……いただきまーす!』


 目の前にいる先生の表情を伺う。どうにも印象は異なるが、確かに先生の声であると言われれば、そのように聞こえなくもない。本人は果たして、どんな思いでこれを聞いているのだろうか。表情からそれは読み取れなかった。


『う、う、うまーい! 小麦粉をまぶしたソテーにバターの香ばしさが際立つ。なによりも軟骨の歯触りが素晴らしい。よし、これを【耳たぶと耳軟骨のバターソテー】と名付けよう』


 一同が黙り込み、ただただ不気味な肉声に耳を傾けている。その声に嫌悪感さえ抱き始めていた尾崎は、両耳を塞いでしまいたくて仕方がなかった


『お、お、お、美味しいよぉ。究極の一品だから、さぁ食せ――』


 そこで音声はぶっつりと途切れ、そして縁はスマートフォンを手にしながら「お分りでしょうか?」と、先生へと向かって言葉をぶつけた。先生からの返事は――ない。ただ黙って縁を見つめ返すだけ。


「お聞き頂ければ分かると思いますが、この犯人――妙にどもっているんです。しかも、ただ吃っているだけじゃない。ある特定の音を発する時に限って吃るんです。それは【あ】【い】【う】【え】【お】の母音を発音する時。しかも言葉の頭に母音が来た時のみ、吃っているんですよ」


 ミサトが残してくれたボイスメモは、何よりも重要な手掛かりを残してくれていたようだ。彼女が死の間際に見せた悪足掻きは、こうして縁がしっかりと受け継ぎ、そして犯人へと突き付けられているのだ。いいや、もしかして受け継いだのは坂田のほうなのかもしれないが。


「では、どうして犯人は母音が頭につく言葉を発する際に吃るのか? それは恐らく、犯人が吃音症きつおんしょうだったからではないでしょうか?」


 縁はスマートフォンを仕舞いながら、先生を睨みつけた。周囲には緊張感が漂い、縁から拳銃を任された安野が、改めて先生に向けて拳銃を構え直す。少しずつ――少しずつではあるが、先生と悪食がイコールで結び付きつつあった。


「吃音症とは、主に子どもが発症し、その大半が成長の過程で自然と治ると言われています。しかし、大人になっても吃音症に悩まされている方もおられます。その症状は様々で、個人によって差はありますが、ある特定の音を発音しようとした際に吃るなど、明確な法則があるそうです。犯人の場合は、言葉の最初に【あ】【い】【う】【え】【お】の母音が来ると吃ってしまうものだと思われます」

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