「――名前?」


 縁の口から飛び出した言葉に首を傾げたのは安野だった。犯人のこだわりがゆえに生じた選定基準。それが被害者の名前だったということなのだろうか。


「えぇ、名前です。安野警部、ちょっとお願いがあります。持ち歩いている手帳に第一と第二の事件で犠牲になった人の名前を、縦書きで書いて貰っていいですか? 1ページに一人ずつです。できる限り分かりやすく大きく書いて下さい。あ、漢字でお願いします」


 縁に言われた安野は「あ、あぁ」と、少しばかり戸惑いながらも、胸ポケットから手帳を取り出すと、それに備え付けてあるボールペンを手に取った。


「えっと、確か第一の犠牲者は中田未来なかたみくで――漢字はこうだったはず。それで、第二の犠牲者の名前は森山真央もりやままお。漢字はこれで間違っていなかったはずだ」


 記憶を手繰り寄せるように宙へと視線を投げつつ、メモ帳にペンを走らせる安野。なにゆえに、縁はこんなことを安野に頼んだのか。


「これでいいか?」


 安野が手帳を見せると、縁は小さく頷いて「ちょっと代わって貰っていいですか?」と、メモ帳と引き換えに拳銃を安野へと手渡す。安野はやや気が向かないという感じでありながらも、仕方なく先生に対して銃口を向けた。


「さて、ここに犠牲者の名前を縦書きで書いて貰いました。それでは、ここで遺体が発見された際の状況を確認してみます。今回の事件の被害者は、体の中心を通るようにして点線が引かれ、それをガイドラインにするかのごとく、頭部をかち割られていました。それと同じように、こうすると――」


 縁はそう言いながら、犠牲者の名前が書かれていたページを半分に折った。すると、当然ながら縦に書かれた名前の中心を通るように線が入る。


「名前がね――綺麗に左右対称になるんです」


 一瞬、何を言っているのか分からなかったが、縁が先生に向かって突き付けたメモ帳を覗き込んで、ようやく合点がいった。


 中田未来――。これを縦書きにして中心線を通してやると、そこを境にして文字が左右対称になるのだ。同じく森山真央も綺麗に左右対称になる。


「犯人はレシピを作成する際にゴシック体を使っていました。ゴシック体とは文字の装飾を省いたものであり、明朝体とは違い、とめ、はね、はらい――といった要素を簡略化している。それゆえに、明朝体では左右対称とならない漢字も綺麗に左右対称となります。だからこそ、好んでゴシック体を使ったのだと思われます」


 犠牲者が選定された基準のひとつ。それは、名前に使用されている漢字が、全て左右対称になっているというもの。体に残されていた点線らしき印と、それに沿って頭部がかち割られていたのも、もしかすると犯人が左右対称を意識したからなのかもしれない。まるで、体もろとも名前を縦に割るかのごとく――。そこで尾崎はあることに気付いた。


「そう言えば、第一と第二の犠牲者は、自分の指の骨と一緒に発見されていたはず。第一の犠牲者は口の両端にくわえる形で、第二の犠牲者は口の中に四本、鼻の穴に二本、そして耳の穴に二本――この形も左右対称っす」


 そう、第一と第二の犠牲者は、自らの指の骨と一緒に発見されている。そして、今になって思い返してみると、それが発見された状況も左右対称になっていたのだ。縁は尾崎の言葉に力強く頷く。


「えぇ、そうです。ちなみに、第三の犠牲者であるミサトさんが残してくれたボイスメモ。そこで犯人らしき人物が呟く数式も対称式です。加えて、第一と第二の事件現場に残されていたレシピも、左右の文章量が同じになるように作成されていました。これらのことから考えるに――犯人はシンメトリー左右対称に異常なまでのこだわりを持っていたのではないでしょうか?」


 縁はそこで言葉を区切り、改めて先生のほうを見据えると続けた。


「そして、犠牲者達は犯人の異常なこだわりに反してしまったからこそ、犠牲者として選定されてしまった――。これが、犠牲者を選定する際に犯人が基準としていた、ふたつめの条件だと思われます」


 名前が左右対称となる漢字のみで形成されている。これこそ、犯人が犠牲者を選定する際に設けたひとつめの条件。これは明確な形で提示されたから尾崎にだって理解できる。しかしながら、条件のふたつめ――犠牲者が犯人のこだわりに反したからというのが、いまいち良く分からない。何をもってして、犠牲者は犯人のこだわりに反してしまったのであろうか。


「ひとつめの条件は分かるんだが、ふたつめの条件というものが、どうにもピンとこない。俺でも分かるように、もう少し噛み砕いて貰えないだろうか?」


 どうやら、ふたつめの条件の意味が理解できていないのは尾崎だけではないらしい。もっとも、麻田が小さく溜め息を漏らしたことから察するに、彼はもう理解しているようだが。


「――犯人は何よりも対称性に異常なこだわりを持っていました。自分の名前である中谷美華もまた、全ての漢字が左右対称ですから、もしかすると対称性に愛着すら待っていたかもしれない。だからこそ、せっかく対称性を持つ名前であるにも関わらず、自ら対称性を欠くようなことをする人達が――許せなかったんだと思います」


 先生は黙ったまま縁を見つめるだけで、特に反論をしようとはしない。なんだか、縁の話を聞く先生が楽しそうに見えるのは、異常犯罪者かもしれないという先入観があるからなのか。そんなことに気が向いてしまったせいで、縁の言葉がすんなりと頭の中に入ってこなかった。


「ここで注目すべきは、遺体の切り取られた部位になります。犯人は左右対称に異常なこだわりがある。だからこそ、遺体も左右対称でなければならない。体の中心に点線を引いたのも、それに沿う形で頭をかち割ったのも、そして指の骨を現場に残した形も――全ては左右を対称にするためです。しかし、それだけでは左右対称にはならなかった。犠牲者が犯人にとって対称性を欠く人間なのだから当然です。よって犯人は、対称性を欠く要因を排除する必要があった」


 犯人は名前が左右対称でありながら、しかし自ら対称性を欠いているような人間を標的にしていた。その対称性を欠くようなものとは、具体的にどんなものを指しているのだろうか。尾崎の疑問に呼応するかのごとく、縁は続ける。


「第一の犠牲者はプロポーズされたばかりでした。そして、切り取られた部位は両手の薬指です。犯人が非対称であると判断して、両手の薬指を切断したわけですが、では一体何が非対称と判断されたのか。それは――」


「婚約指輪でしょ?」


 縁の言葉を横から奪うようにして口を開いたのは麻田だった。犯人にとって非対称となるもの。それこそが――婚約指輪だったというのだろうか。確かに、婚約指輪をはめるのは左の薬指であり、当然ながら右の薬指には何もつけていない状態になる。これが犯人にとって対称性を欠くものだった――。幾ら非対称であるといっても、ほんの些細なことなのに。


「その通り。第一の犠牲者は、名前が左右対称であるにも関わらず、左手の薬指だけに指輪をつけていたせいで、犯人のターゲットとなってしまったんです。常人からすれば信じられない動機ですが、犯人にとってはそれが許せなかったんです」


 第一の犠牲者は左の薬指に指輪をはめていたせいで殺害された。では、第二の犠牲者は何が非対称になっていたのか。確か随分と若かったはずだし、婚約指輪は幾らなんでも早いだろう。

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