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【4】


「それで――幾つか分かったことって何だ?」


 ハンドルを握る安野が口を開き、助手席に座った麻田が、小さく溜め息を漏らした。後部座席に座っていた縁は、運転席と助手席の背に手をかけて、やや前のめりになりつつ二人の間に割って入る。


 時刻はすでに夕方。尾崎が朝一番で神座に向かってから、丸々半日以上経っている。いつ電話がかかってくるのかと、ちょくちょくスマートフォンを確認しているのだが、今のところ着信はない。通信手段の制限を律儀に守っているのだろうか。いいや、あの尾崎のことだ。今頃、何も考えずにこちらのほうへと向かっているに違いない。


 現場でミサトとの衝撃的な再会を果たした縁は、安野に少しでも休むようにと言われて、なかば無理矢理に警察寮へと戻された。情報が上がってくるまで動きようがなく、安野は捜査本部のほうに参加していたとかで、結局合流したのはついさっきのことだった。休めと言われても休むことなどできず、ただただ部屋でやきもきとしていただけであり、あれから一睡もしていない。水を飲むくらいのことはしたが、食事も全くしていなかった。それほどまでにミサトの死はショックが大きく、自分の刑事としての資質を疑ってしまうような出来事だった。


「先生のところに行ってから、まとめて――なんて思ってたけど、二人でこうにも迫られちゃねぇ。これから分かっていることを話すから、二人共そうがっつくなって」


 そんなにがっついているだろうか。縁はやや前のめりになっているだけだし、安野は時折ウインカーを出すのが遅れたりする程度だ。いや、この時点で、麻田からすれば充分にがっついているように見えるのだろう。一刻も早く新たな情報が欲しいためか、自分が見えなくなってしまっているのかもしれない。刑事が私情を挟むべきではないのだが、昨日会ったばかりの人が殺害されたのだから、私情のひとつくらいは挟みたくなる。悪いのは殺人犯であるが、なんだか責任を感じているのも、その一因となっているのだろう。


「とりあえずこれ――。まだ全部が全部調べ終わったわけじゃないんだけど、ミサト――いや、被害者のスマートフォンに、恐らく事件があったであろう時間帯に録音されたと思われるボイスメモが残されていた。こっそり俺のスマートフォンにデータを移してきたからさ、とりあえずこれを聞いてみて」


 麻田はそう言って、ポケットからスマートフォンを取り出した。話の流れから察するに、プライベートで麻田が使用しているものなのだろう。どのような方法でデータを移し替えたのかは知らないが、これまでの事件ではなかった新たな材料である。なんだか手慣れている様子なのが引っかかったが、今は麻田の鑑識官としての倫理観を問うている場合ではない。


 今の世の中は便利になったもので、レコーダーを携帯していなくとも、デフォルトでスマートフォンの中にアプリが入っている。犯行時間だと思われる時間帯に録音されたということは、隙を見てミサトが自らボイスメモを起動させたのであろうか。


 縁達を乗せた車は、専門家の意見を聞くために中谷先生の元へと向かっていた。先生は小さな法医学教室に在籍しているらしい。まだミサトの遺体が回されていないかもしれないし、とても司法解剖が終わっているなんてことはあり得ない。それでも、こうして集まって向かっているのは、とにもかくにも落ち着かなかったからなのかもしれない。安野と麻田は以前よりミサトと面識があっただろうし、昨日が初対面だったとはいえ、縁だってミサトのことは知らない人間ではない。例え無駄足だと分かっていても、じっとしていられないというのが本心だった。安野の話だと、今回も司法解剖は先生に嘱託しょくたくされるだろうとのことだが――勇み足もいいところだ。


 麻田がスマートフォンを操作して、音を聞きやすいようにと掲げる。まずはノイズのようなものが流れ、その後に気味の悪いメッセージが流れ出した。


『え、え、え、えっくすぅ、じじょう。ぷらす、えっくすわい。ぷらす、わい、じじょう』


 何やら得体のしれない呪文のような言葉。甲高い声は、男性が無理矢理に出しているようにも思えるし、女性の声のようにも聞こえた。犯人の声だろうか――ぞわりと背筋が冷たくなる。麻田と目が合ったが、まだ続きがある――と言わんばかりに、麻田はスマートフォンフォンのほうへと視線を移した。


 ノイズ混じりの音の向こうで、なにやらカチャカチャと音がする。まるで、皿もフォーク、そしてナイフがぶつかり合う音のように聞こえた。


『い、い、い、い、い……いただきまーす!』


 その異様さに、車の運転どころではなくなったのだろう。安野がウインカーを出し、車を路肩に停めた。


『う、う、うまーい! 小麦粉をまぶしたソテーにバターの香ばしさが際立つ。なによりも軟骨の歯触りが素晴らしい。よし、これを【耳たぶと耳軟骨のバターソテー】と名付けよう』


 その名前を聞いただけで、胸が気持ち悪くなりそうだ。犠牲者は全て、生きたままの状態で体の一部を切り取られている。そして、ボイスメモが残されていたことを考えると、この時点ではミサトもまだ生きていたらしい。その光景を想像して、恐ろしさよりも怒りが先に出てきた。こんな殺され方をして、さぞ悔しかったであろう。


『お、お、お、美味しいよぉ。究極の一品だから、さぁ食せ――』


 そこで何の前触れもなく、ボイスメモは途切れてしまった。しばらくの間、車内には沈黙ばかりが漂う。


 ミサトが残したであろうボイスメモは、彼女が着実に死へと向かっていることを、残酷なまでに伝えていた。切断された両耳を調理され、そして目の前で食される。これを意識がある状態で見せつけられるなど、たまったものではないだろう。しかも、会話の流れから察するに、最後の最後で犯人は、ミサト自身に料理をすすめているようにも解釈できる。


「――多分だけど、残されていた力を振り絞って録音したんだと思う。犯人の目を盗んでね。大したもんだよ」


 沈黙を破ったのは麻田だった。ミサトの最期を思うと、やり切れないのであろう。安野は小さく溜め息を漏らし、そして怒りを込めるかのように唸った。もちろん、縁も改めて、この事件の残虐性を再認識し、さらなる怒りを覚える。――絶対に許せない。


「それにしても、この冒頭のほうの妙な呪文みたいなのは何だろうな? やけにどもっているし、かなり興奮しているようにも思えるが」


 安野の言葉に、とりあえず縁は頷いた。全く同じところに引っかかりを覚えていたからだ。


 まず全体的に吃っているような喋り方。これは、まるで対峙した時の殺人蜂のような印象を受けた。言葉を発しようにも興奮してしまい、言葉の出だしの一句を何度も繰り返してしまう。これを俗に吃りというのであるが、その辺りが殺人蜂と共通しているように思える。


 続いて、冒頭にて犯人らしき人物が口にしている、呪文なのかお経なのか良く分からないもの。犯人がこれを口にすることに、何かしらの儀式的な意味でもあるのだろうか。一度聞いただけであるし、吃りも酷くて聞きにくかったが、他の文言は聞き取ることができた。しかし、この冒頭の呪文のようなものだけは、どうにも意味が分からなかった。


「これね、何度か聞いてみて分かったんだけどさ。別に呪文でもなんでもなく、ちゃんと意味があるものなんだと思うよ」


 麻田はそう言うと安野のほうに手を差し出して「メモ帳とペン」と呟く。しかし、安野は年季の入った手帳に思い入れがあるのか、やや躊躇ためらっているようだった。そこで麻田が「ミサトちゃんのためだろ?」と急かすと、渋々といった具合に手帳とペンを取り出し、それを麻田に手渡した。


「口で説明するのは難しいけど、書いてみると案外簡単なことを言っているってのが分かるんだよね」」

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